01.恋をしました。
夏が過ぎ、頬を撫でる風が心地よく感じる季節。
短いキュロットスカートにブーツを履き、肩上で揺れる柔らかな髪を耳に掛けた彼女の腰には、その姿に似つかわしく無い刀が帯刀されていた。
「あ、甘い匂い……」
風が運んできたその香りに、思わず頬が緩む。
軽い足取りで飛ぶように駆けた先、重厚な門を潜る彼女の顔は、まるで花が咲いているかのような眩い笑顔だった。
* * *
「わたしを継子にしてください!」
何度この台詞を口にしたか分からない。
風柱邸にやってきて、庭で鍛練をしている風柱の不死川実弥に頭を下げているのは、同じ鬼殺隊の藍沢ハルだった。
「帰れェ! 継子は取る気ねぇって何度言ったら分かんだァ?! テメェのその耳は飾りかァ!」
「いえ、しっかり聞こえております! ついでに言うと、わたしは人より顔も耳も良いです!」
「んな事ァ聞いてねぇんだよ! 鍛練の邪魔だ、帰れェェ!」
「ではここで見てます! それにもうすぐ休憩なさるでしょう? おはぎの匂いがしますから!」
実弥が頭を抱える姿も、もう何度も見た。それでもハルはこの願いを諦めたくはなかったのだ。
ハルが実弥を初めて見たのは、階級が庚になってすぐの合同任務の時だった。
複数の下級隊士を率いていたのが風柱である実弥だったのだ。
本来、柱が下級隊士と共に任務に出ることはない。その姿を見ることも稀である。
ただその日は、偶然が重なり、広範囲の調査も兼ねた任務だったために柱が就くことになったのだ。
ハルは緊張しながらも、高く結っていた髪をキュッと締め直し気持ちを引き締めた。
「いいかァ! 鬼の気配を見落とすなァ! 手に負えねェならすぐに呼べェ!」
白い羽織に書かれた、殺、という文字。
傷だらけの顔や血走った目に、その場にいた誰もが彼に恐怖を覚えたし、ハルも同じだった。
だが、その恐怖は彼の戦いを見た瞬間に霞んでいった。
荒々しい口調とは違い、繰り出される風の呼吸は、とても柔らかく靱やかで、それでいて芯の強さがあった。
さすが柱だと思った。
尊敬の念が生まれたのと同時に、この人のそばでもっとその剣技を見たいとさえ思った。
「オイ、気を抜くんじゃァねぇぞォ!」
もっと近くで見たいという思いで、物凄い速さで駆ける彼に必死に追いつこうとした。
だけど、所詮ハルは下級隊士。柱のスピードになんて到底追いつけるわけが無い。
その時だった。背後で鬼の気配がし、刀を構えた。
気配が分裂し、ハルの周りを縦横無尽に移動していく。
近づく気配にハルが呼吸を繰り出した。
――風の呼吸 壱ノ型 晴嵐風樹
鬼に当たった技も頸まで届かない。この分裂する気配もよく分からない。応援を呼ぶべきだろうか。
ハルが考えている間、上空から飛んできた鬼の気配に気がつくのが遅れ、何とか防ごうと刀を構えた。
その体勢のハルに向かって、他の分裂した気配も近づいてくる。
絶体絶命だと思った瞬間、遠くから舞い上がった風の斬撃がハルに向かって飛ばされた。
その斬撃が、ハルが押さえていた上空にいる鬼へと当たった瞬間、地面を蹴り上げ、体勢を変えて即座に横から迫ってきた鬼に斬撃を食らわせる。
「もう一体いんぞォ!」
「はい!」
遠くからの斬撃の正体は、その姿がなくても風柱によるものだとすぐに分かった。
一度見たら忘れる事のできない技。
実弥がハルの元に着くのと同時、残りに一体を倒したハルは、荒くなっていた呼吸を整えた。
遠くから走ってきたであろう実弥は、当然ながら呼吸など乱れていないというのに。
「よくやったァ。だがこの程度で息が上がってんじゃねェ」
「はい!」
「……あ、オイ」
「え?」
急に声色が変わった実弥を、ハルは見つめた。
自分を見て、何やら頬の当たりを掻いているその姿は、何かを伝えたくて迷っているような、そんな感じがして少しむず痒い感じを覚えた。
どうかしましたか、とハルが聞くと、少し罰が悪そうに口を開いた。
「その……悪ィな」
「え?! 何がでしょうか! 不死川さんが何故謝るんですか?」
謝罪される理由が見当たらない。
そう思っていると、「髪、俺のが当たっただろ」と言ってハルの髪を指さした。
言われるがまま触ると、確かに結っていた髪の毛が短くなっている。高く縛っても肩まで届いていた髪が、結っている所から少し出ている程度しかなかった。
だけど、そんなこと気にするものじゃない。任務中だし、鬼を狩れたのだから何の問題もない。
それなのに、柱でもあろう人が申し訳なさそうに謝っており、その姿にハルの心はキュッと縮まるような感覚になったのだ。
「任務中のことなのにで気にしてません! 謝る必要なんてないですよ」
「そう、だけどよォ……髪は女の命だって言うじゃねェか」
「え……あは、あはははは! 風柱ともあろう人がそんな事気にしてるんですか?!」
「う、うるせェェ! 笑ってんじゃねェぞ!」
初対面で怖いと思い、それから尊敬が混ざり、今では照れ隠しで怒るなんて可愛らしい人だと思ってしまう。
もっと、知りたいと思った。
もっと、近くで見ていたいと思った。
「不死川さん!」
「おう、なんだァ?」
「わたしを継子にしてください!」
今では数え切れない程言葉にしているその台詞を、初めて伝えた日。
そして、ハルの恋が始まった日でもあった。