03.許しがでました。
ハルは単独の任務で脚を負傷し、蝶屋敷に入院していた。
風の呼吸はすべてを習得しているものの、捌ノ型だけがまだうまく自分の中に取り込めていないのか、技が不完全なものになってしまっていたのだ。
その所為で、身体に変な負荷がかかってしまい骨にヒビが入ったのだと、蝶屋敷の主である胡蝶しのぶに言い渡された。
「もう退院してもいいですか?」
「そうですねぇ。退院の許可は出せますが、不死川さんの所に行くのはダメですよ?」
「え?!」
「そんな顔しないでください。ここから不死川さんの屋敷まで距離がありますからね。許可できません」
「そんな! わたしもうずっと行けてないんです! そろそろ実弥さんも心配してるんじゃないかって思うんです!」
「それはないんじゃないかと……」
「しのぶさん、ヒドイです! まるでわたしの一方通行みたいじゃないですか!」
あんまりだ、と言わんばかりの顔をしたハルに、しのぶは苦笑いを向けた。
ハルが風柱の継子になりたいと通っていることは鬼殺隊の、特に柱の中では有名な話だった。それ程までに実弥に付き纏い後を追いかけているのだ。
もういっそ継子にしてしまえばいいと言う声さえ上がっていたのだが、実弥は頑として首を縦には振らなかったのだ。
普段、柱と接点のないハルだったが、こうして蝶屋敷にお世話になった時はしのぶに色々と話を聞いていた。主に実弥の情報収集ではあったが、こんなに一生懸命に継子になろうとしているハルを、しのぶは温かな目で見守っていたのだ。
「そう言えば、アオイが今日の買い物で安く小豆が手に入ったからおはぎを作ると言っていましたよ。手伝いながら教えて貰ったらどうですか?」
「え! おはぎですか?! やります!」
「では、無理のないように頑張ってくださいね」
実弥がおはぎを好きだと言うのは、匂いからハルが突き止め、それを以前しのぶに話したことがあったのだ。
しのぶにお礼を言い、杖をつきながら、ハルは不慣れながらもアオイに教えてもらいながら、好きな人の好物を懸命に作っていた。
早く実弥に会いたい。
ハルの気持ちは、例え自分が負傷中であっても常に実弥に向いていた。
* * *
任務から帰った実弥は、直ぐに報告書を書くために自室の机に向かった。
襖を開けて感じた違和感に眉を顰める。
実弥が任務に出る前と何も変わらない。机の上に出したままの筆も、部屋の隅に置いてある寝間着も、何も変わらない。
それが、実弥にとって違和感を覚えたのだ。
「チッ……」
ドスッと腰を下ろし報告書を書く。思ったよりも指に力が入って筆先が曲がり、汚れた紙を乱暴に丸めて捨てた。
ハルが継子になりたいと申し出てから、ここまで間が空いて屋敷に来ないことはなかった。
例え実弥が任務で不在であろうとその形跡は残っていたし、ハル自身が長期の任務で離れる時はそれを丁寧に実弥に伝えていたのだ。
音沙汰もなく、姿を見せないことがなかった。
任務で何かがあったのではないだろうか。
実弥は、自分の脳裏に浮かんだその考えに思わず自嘲した。真っ先にハルが自ら継子を諦めるという理由に至らなかったからだ。
無意識に彼女が来ることを当然のように思い、何があっても消えはしないだろうと、普段のハルからそう思っていた自分に複雑な気持ちになった。
「死んでたら、俺がぶっ殺すぞォ……」
実弥の声が、静かな部屋に吸い込まれていく。
二人分のおはぎが入った包みが、まだ解かれること無く台所に置かれたままだった。
数日後、任務から帰宅した実弥が屋敷の門を潜ると、何やら人の気配がした。
最初は隠が出入りしているのだと思ったが、漂う香りが鼻を掠め、気づいたら戸口へ向かう足が駆けていた。
勢いよく扉を開け、その気配の元へと向かう。
少し駆けただけなのに何故か実弥の鼓動は強く脈打っていた。
「……あ、実弥さん! おかえりなさい!」
台所に続く引き戸を開く時、口から漏れた彼女の名を呼ぶ声は、その音にかき消された。
いつもと変わらない笑顔がそこにあった。
いつもと変わらない声で名前を呼ばれた。
知らぬ間に握りしめていた拳に力が入り、グッと奥歯を噛み締める。
目を閉じ動かないままの実弥に、ハルが声を掛けた。
「あの、どうかしましたか?」
「……どうしたじゃねェだろォが! なに勝手に上がってんだァ! 全然顔見せねェと思ったら急に来やがって! 何してんだァァ!」
「任務で脚を負傷しちゃって蝶屋敷で入院してました。すみません、来れなくて。寂しかったですか?」
「アァ?! 馬鹿なこと言ってんじゃねェぞォ! うるせぇのが来なくて清々してたぜ!」
「そう、ですか……」
咄嗟の返答に、思いがけずに表情が沈んだハルに、言葉が詰まってしまった。
おい、と手を伸ばしかけたその時、下がっていた顔が上がりまたいつもの笑みを浮かべたハルが実弥を呼んだ。
「実弥さん! これ食べてください!」
「…あ?」
「おはぎです! 蝶屋敷にいる間に作り方を教わったので、たくさん作りました!」
「これ……作りすぎだろォが! どれだけ食うと思ってんだ!」
「いいから食べてくださいよぉ!」
ハルが皿を準備しようとしたのが分かった。
だがその前に、実弥はハルの手首を掴み、その手に持たれたままの作りかけのおはぎをそのまま口への運んだ。
驚くハルを無視して、広がる甘さを堪能してから手を離すと、顔を真っ赤にしたハルが固まっていた。
「ん、まぁいいんじゃねェか? 上出来だ」
「……ほ、本当に?! 嬉しい!」
「あぁ、悪くねェ」
「やった! じゃあわたしを継子にしてください! 毎日作ります!」
「馬鹿かァ、なんでそこで継子の話になんだよ。それとこれとは話が別だァ」
「そんなぁ……」
一体、継子を何だと思っているのかこの女は。
呆れる実弥だったが、百面相のように移り変わる彼女の表情は見ていて飽きないとも思った。
ハル、と名前を呼ぶと、沈んだ顔に明かりが差す。
常に力んでいるように瞼に力が入っている実弥の表情も、思わず緩まった。
「継子は取らねェが……また、作ってくれ」
「えっ?!」
「屋敷の出入り、許可してやる」
悲鳴にも似たハルの歓声と共に、身体に微かな重みが掛かった。
あろうことか、実弥の身体に抱き着くハル。
実弥は思わず両手を挙げて固まっていたが、ハッとして「離れろォォ」といつもの怒声を浴びせた。
嬉しそうに跳ねながら素直に離れるハルに、深い溜め息が漏れる。
絶対に継子にはしないと、改めて強く心に誓った実弥であった。