離したくない

 人の通りはなかったとはいえ、夜道で抱き合ってキスをするなど言語道断。今までの私ならそう思っていただろうけど、まるで漫画のようなシチュエーションに胸を弾ませ、思い返すと口許が緩んでしまいそうだった。
 そして恋をすると思いの外、仕事がはかどるということを知った。よく考えたら、社会人になってから私は誰かと付き合った記憶が無い。学生の頃に付き合っていた人とは、就職してから多忙になった事もあり別れてしまったけど、その時は恋愛が億劫になっていた。
 相手が彼だからだろうか。どちらにしても、彼の存在が私に光を照らしてくれているのは間違いなさそうだ。

「お待たせしましたっ! 会議が長引いてしまって…」

 想いを通わせたあの日からの数日が経った金曜日。仕事終わりに食事に行く約束をしており、急いでロビーで待つ彼の元へと駆けた。連絡は毎日取ってはいたものの面と向かって会うのはあの日以来。ずっと会いたかった。早く会いたかった。
 流行る気持ちが抑えきれなかったのだろう。彼を目の前にしたら早く行きたい気持ちが強くなって、あろうことかヒールを履いていた足がもつれて前に転びそうになった。

「おっと、大丈夫だったか」
「ご、ごめんなさい! やだ恥ずかしい…」
「ハルさんが飛び込んできてくれて俺は嬉しいが」

 私の両腕を掴みながら口角を上げて笑う彼に、心臓がきゅうっと絞られるようだった。触れられた所が熱い。心臓が痛いくらいに叩いて教えてくれる。この人が好きだって。
 彼が連れてきてくれたのは、閑静な場所にある和食店だった。大人びた雰囲気で少し緊張する。行き慣れているのだろうか。出迎えた店員が「煉獄様、いつもありがとうございます」なんて言うから驚いて顔を上げると、個室に通された後に少し照れながら説明してくれた。

「実は、この店は父が贔屓にしている店なんだ。ハルさんは居酒屋でもいいと言ってくれたが…落ち着いた場所でハルさんと話したかった」
「素敵なお店ですね。食事も美味しそう!」

 私の言葉に安心したよう笑ったその顔にまた胸が鳴る。予想通り食事も美味しかったし、彼の豪快な食べっぷりを見られるのも楽しかった。
 ご馳走さま、と言って店を出る。個室では机を挟んで向かい合っていた所為で、彼との距離が少し遠く感じてしまった。それを寂しく思って、歩き出した彼の手に触れようと手を伸ばしたら、彼が振り向いて私の手を握った。

「ハルさんから手を繋いでくれようとしたのか。嬉しいことだな」
「だって…座っている席が遠かったので、少し寂しくて」

 足を止めた彼の視線が落ちてくる。繋いでいる手に力が入り、一瞬で身体が熱くなったような気がした。
 相手の気持ちを汲み取るのは得意な方ではない。恋愛においては特にそうだった。だけど今、彼の言いたいことが分かった気がした。私が同じ気持ちだからかもしれないけど。そうであって欲しいだけかもしれないけど。

「煉獄さん、」
「離したくない。もっとハルさんと一緒に居たい」

 胸がキュッと締め付けられる。途端に激しく早鐘を打ち始め、まるで彼の熱が私に流れ込んできているかのように身体が熱くなった。
 身体を許すのは付き合ってから三か月経ってから、なんて学生の頃のような恋愛とは違う。もう私は大人なのだ。
 彼を見つめ上げ、彼の名前を呼ぶ。絡み合う熱い視線に、火傷やけどしてしまいそうだった。

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