08.小さな痛み

閉店後の店内は、片付けと清掃、それから売上金の確認などキャストが帰り支度をしている間にやらなければならない事が多かった。
キャストを待たせる事のないよう、ボーイ達は素早く動く。終わらない時は送りを終えてから店に戻ることもあるが、七海店長がそれを許していない。
限られた時間の中で動くことも、スタッフにとっては大切なスキルだ。

「良かった、金額合いました!藍沢がサシャのテーブルに追加注文があったの把握してくれてて助かった」
「伝票に水が零れたのが会計後で良かったよ。保管場所考えないといけないね」
「二人ともご苦労様です。マルコは送りに行って構いませんよ。そろそろリコさんの支度が終わる頃です」

マルコが七海店長に今日の売上金が入ったバッグを渡して急いで送りへと向かう。
残された私がすぐに他の仕事に向かえなかったのは、七海店長の視線が私を捉えていると分かったから。柔らかな視線なのにその場に縛られたように動けなくなる。

「これを金庫に入れてから私もリンさんの送りをしてきます」
「あ、はい」
「貴女の送りは誰ですか?」

キャストを自宅まで送るのはボーイや黒服の仕事だが、女である私やナナバは違う。それでも五条オーナーの意向で男性従業員に送って貰うのがルールだった。
夜の街は何があるか分からないからと。
だけど、送って貰う人は様々でその時手が空いてる人だったり、もしいなければタクシーで帰ったりしていた。
私がレイラと一緒に住んでいることは一部の人間しかしらない。それを知ってる人しか頼めない。
以前タクシー代を節約しようとして歩いて帰ろうとしたのがバレて、七海店長にすごく怒られたのを思い出す。

「今日は明日のスケジュール確認をしてから帰ります。あ、ちゃんと送ってもらいます。確か…アルミンが空いてるって言ってたので」
「…そうですか。では私がそれまでに戻ったら私が貴女をお送りします」

その言葉に私は何も返さず、「戸締りはして行きますね」と笑って答えた。
ちょうどその時、更衣室からやってきたリンが甘ったるい声で七海店長を呼ぶ。私から視線が離れていく。

「七海店長〜、お待たせしました!」
「では、お疲れ様でした」
「店長、リンさん。お疲れ様でした」

七海店長の大きな背中が遠ざかっていく。
リンの視線が一瞬飛んでくるもすぐに七海店長へと移り、彼の腕に自然とリンの腕が絡まる。
胸の奥で、チクリと針で刺されたような小さな痛みが走った。
七海店長があんな風に私を送ると言ってくれたのは何度かある。だけどそれは一度も叶うことはなかった。
ナンバー2の送りは七海店長と決まっている。リンの自宅はそう遠くないけど、いつも何故か遅いのだ。
仕事と理由をつけて待ってみても、同じだった。

「藍沢、何か手伝うことある?」
「ごめんアルミン。帰るの、もう少し明日の確認してからでもいいかな」
「僕は構わないよ。藍沢は本当に仕事熱心だね」

アルミンの言葉に苦笑いしかできなかった。
戻らないと分かっていても、それでも期待してしまうこの心を捨てきれないと分かったら、きっとみんな笑うだろう。

やっぱりその日も、七海店長は戻らなかった。

novel top / top