09.隠せない熱

「疲れましたか?」
「いえ……、えっと…少しだけ。慣れてない場所だったからだと思います。予想に反して迷ってしまいましたから」
「気に入ったデザインがあって良かったですね」

 微笑む建人さんに心臓が甘く痛みだし頬が熱くなっていく。彼が手を取って嵌めてくれた光景を思い出し、もう引いていたはずの指先の熱がぶり返したかのようだった。
 指輪を選んで決め予約した後、疲れただろうからと建人さんが先に車で待つように促してくれた。そして今は少し遅めのランチを向かい合って食べている所だった。
 結婚指輪は、建人さんが買ってくれることになった。お互い付けるのだからとわたしも支払う気でいたのだけど、すぐに却下された。だけど全部彼にという訳にはいかない。されてばかりでは申し訳ない。そう思って婚約指輪は辞退した。元々それを用意してもらうつもりなどなかったのだけど、店員がやけに勧めてきた所為で建人さんもわたしに選ぶように促してきた。
 でも、わたしには結婚指輪だけで十分だ。婚約指輪はきっとあの店にいたような、付き合って愛を確かめ合った二人の為にあるのだと思ったからだ。それにたまにしかつけない婚約指輪よりも毎日身につける結婚指輪の方が大切な気がした。
 少しの押し問答の末、婚約指輪を用意しないのだからと、結婚指輪を建人さんがすべて支払ってくれるということになった。今思えば、店内で断固として建人さんの意見を譲らなかったわたしは可愛げのない女だったに違いない。男を立てるという事が出来ていなかったなと今更ながらに反省していた。
 顔色を伺って合わせることが多いけど、こうやって妙なところで頑なになってしまうのは、わたしの悪い癖だ。

「すみません、先程はお店で…建人さんの申し出を断ってしまい申し訳ありませんでした。いま思えばあの場で言わなくても良かった事だなと反省してます」
「それは構いませんよ」
「嫌な気持ちに、なりませんでしたか?」

 恐る恐る顔を上げ、彼の表情を確認する。建人さんへの想いを認めた今、もし彼に嫌われるようなことがあればどうしようという不安が以前よりも強くなっていた。だけど見つめた先にいた建人さんは、口許を緩め目を細めて微笑んでいた。

「そんなはずはありません。今更ですから」
「え?」
「貴女がたまに頑固になることは知っています。一緒に仕事をしていてそういう場面を見てきましたからね。譲れないものがあると立場が上の人間であっても引かない」
「…す、すみせん」
「私はそういう所が素敵だと思っています。まぁ指輪に関しては想定外でしたが、ハルさんが本音を口にしてくれたので良しとします」

 普段もわたしを見てくれていたのだと知って顔が熱くなるも、上司なのだから当然だと頭の片隅にいるもう一人の自分が制する。
 騒がしくなる鼓動を悟られまいと、食後に出された紅茶を口に運ぶ。そんなわたしの耳に、柔らかな建人さんの声が届いた。

「この後、私の家に来ませんか?」





 モダンテイストで統一された部屋は、普段建人さんから香るものとは違う爽やかな香りがした。思ったよりも広い部屋。男性の部屋というのが初めてだということに今更ながら緊張する。
 入籍日を話し合いたいから、と建人さんの家に来ることを提案された時は何の躊躇いもなく首を縦にして返事をした。ただもう少し静かな場所に変わるだけ。その程度しか考えていなかった。大人の男性の部屋というのがこれ程緊張するものなのだと、二つ返事をしてしまった事を後悔するも、彼が部屋に入れてくれた事は単純に嬉しかった。

「ハルさんは、珈琲と紅茶どちらがいいですか?」
「どちらでも…建人さんが飲みたいものでいいです」
「ハルさんの好みを知りたいんです。どちらが好きですか?」
「えっと…さっき紅茶をいただいたので、今は珈琲の気分です。でもブラックは飲めないので砂糖とミルクが、欲しいです」
「フッ…分かりました」

 含み笑いを湛えた声で返事をする建人さん。よくわたしの言葉にそういう反応をする。おかしな事を言ったつもりはないし、ただ質問に答えただけなのに柔らかく微笑んで嬉しそうにする。そんな顔をされると、胸が擽ったくなってどうしたらいいのか分からなくなるというのに。

 淹れてくれた珈琲にミルクを多めに入れた。建人さんはブラックで飲めるらしい。子供じみた味覚が恥ずかしくなる。両手でカップを持って口に運びながら建人さんを盗み見るも湯気で眼鏡が曇って何も見えない。途端に聞こえた微かな笑い声。建人さんが笑ってる。
 見られていたことが恥ずかしくて、その笑い声に胸が高鳴って…何だか感情が慌ただしい。誤魔化すために出した声は本当に子供のようにムキになってしまい可愛げの欠片もない。

「笑うなんてひどいです……眼鏡あるあるじゃないですか!」
「そうですね、私も良くなります。ただ…ハルさんがあまりに可愛いので、つい」
「か、からかわないでください!」

 些細な感情の揺れに、いちいち反応する自分の赤面症を呪いたい。隠すように下を向いたわたしに、「からかってなどありませんよ。本当にそう思ってますから」と甘い言葉が紡がれた。心臓が耳元で鳴っているかのようにうるさかった。

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