閑話**その顔が見たいから

 知らない間に視線が追っている。そう気づいたのは仕事中ではなく食堂で彼女を見かけた時だった。
 食堂の隅で、五条さんの部下と一緒にランチをしている彼女は持参しているお弁当を食べており、その様子がとても綺麗だと思った。普段から一緒に仕事をしていて、全く変わらない表情で淡々と仕事をこなす姿とは少しだけ砕けた印象だ。
 真面目に粛々と、誰の仕事でもない雑務を進んでやっている。部下としては申し分ない仕事振りではあるも、たまに無理をしていないかと心配にもなった。同僚も彼女がやってくれると分かっていて残業分を渡している。それは追い追い注意しなければ。

 ただの少し気になる部下であった彼女との見合いは本当に驚かされた。遺言について聞かされた私は、くだらないと思いながらも、断る強い理由がなく一旦はその話を受けることにした。それで良かったと思えたたのは…相手が彼女だったこと、そして職場とは違う雰囲気の彼女に心が奪われたからだ。





「ハルさん、どれがいいですか?」
「どれも素敵で迷います……あ、」
「ん? どうかしましたか?」
「あの…あのカップ、ペアなので。建人さんと一緒に使いたいなって思ったんですけど、ダメですか?」

 顔を赤くして目を泳がせながら言葉が紡がれる。その仕草に私の心がいつも高鳴っていることを彼女は知らないだろう。
 すぐに赤面するのは最初からだったが、こうして自分の考えを伝えてくれるようになったのは、お互いの気持ちを伝えあったあの日からだ。

「いいですね、ではあれにしましょう」

 私の言葉に心底嬉しそうに微笑む。今まで職場では見られることのなかったその笑顔が私にだけに向けられていると思うと、特別な感情が湧き上がる。とてもあいらしくいとおしい。

 私の言動に恥じらう姿に好意があるのだろうとは分かっていた。でもそれが、単純に男に対してそうなのか私にだけなのかが分からなかった。赤面はしても返ってくる言動が少し淡白に思えたからだ。その辺の真意を見極めるのには、私達の関係は余りに浅い。
 そんな折、家入さんとの関係を勘違いし涙を流した彼女に私は心底動揺し嬉しかった。この結婚を致し方なく受けているわけではないのだと。私を見て、私に想いを寄せてくれているのだと…家入さんの存在を不安に思う程に。私の腕の中で涙を流す彼女を、そのまま連れて帰りたいとさえ思った。まぁそれは諦めましたけど。

「建人さん…誰かに見られたら、」
「誰も私達のことなど見ていませんよ」

 マグカップを買い、店を出てから彼女の手を取った。指を絡めて手を繋ぐと、それだけで湯気が上がりそうな程に顔を赤くしている。そんな彼女に私は自然と口許が緩んでいた。
 あと何か買うものは…、と別の事を考えようと必死に頭を働かせている彼女を横目にその手に少し力を込める。頬を赤らめている愛らしい視線が私の方へ飛んできたかと思えば、「手汗が出るのでこれ以上は…」と色気のない返答をする。でもそれが彼女らしい。

「手汗なんかで私が離すとでも思いますか?」
「え、あの…」
「さて、あと一つ必要なものを忘れてましたので見に行きましょう」
「まだありますか? ほとんど建人さんの家に揃ってるので必要ないかと」
「ありますよ…とても重要なものです」
「何ですか?」
「…二人で使う、ベッドです」

 開いた口を塞げずあわあわとしている彼女の手を引いて、ショッピングモール内を歩いた。別に今のままでもいいかとは思うもさすがに狭いだろう。思い切ってキングサイズにしてしまおうか。

「まだ、早いんじゃ…」
「そうでもありませんよ。ハルさんが引っ越して来るまでそう日もありませんから、今のうちにオーダーしておかないと」
「そ、それもそうです…ね」

 ぱくぱくと動く唇を見て、顔を寄せたい気持ちになるも何とか堪える。初めて彼女を家まで送った日、マンションに来た日、それからネックレスを探していたあの日。どれも私の気持ちが伝わらずに未遂に終わってしまった。いつになったら触れさせてくれるのだろうか、その唇に―――。

「ハルさん」
「何でしょうか?」
「新生活、楽しみですね」

 繋がったままの手を上にあげ、手の甲に唇を寄せた。これくらいは許してほしい。林檎のように真っ赤な頬をした彼女が、今日も愛おしくて堪らない。

novel top / top