閑話**愛と友情と…
「好きなんだ。付き合ってくれないか?」
「ごめんね…私好きな人がいるから」
気まずそうに背を向けて立ち去る男の小さな背中を見つめ、一瞬の申し訳なさを含んだ溜め息を零しフロアへと戻った。
一ノ瀬ゆき乃。営業企画マーケティング部所属。今年に入りすでに二度目の告白を蹴ったところだ。ぶっちゃけ、生まれてから記憶する限り、私は男に困ったことはない。別れてもすぐに次の人が現れたし、告白の波はあっても定例イベントのように私の人生に入り込んでいた。
社会人になってからは学生程ではないにしろ、社内に限らず取引先の人にだって気に入られてる。それで仕事を回してもらってる部分もあるけど、使える武器は使えばいいと思ってる。
来る者拒まず去るもの追わず。そうやって私の人生は回っている。この先もモテるならそれも悪くないとは思う。でも今は正直、近寄ってくる男はどうでもいいと思っていた。
「どこ行ってたんすか?」
「んー、また呼び出されちゃって」
デスクに戻ると隣の席の彼、伏黒恵が椅子のまま近づいてきて私の顔を見つめてくる。私がそう考えるようになった原因の人物だ。新卒入社の彼はいわばまだまだ新米で学生みたいに若い。片手分は年下な彼が、私の返事に顔をムッとさせる。
「は? またかよ。ていうかどうしてそんな嬉しそうなんですか」
「だって…」
今度は私から近づいて彼の耳元に唇を寄せた。吐息に乗せた言葉は、一瞬で彼の顔を赤く染め上げていく。その計算されていない仕草も反応も、私の心をきゅっと掴んで離さない。
「…ゆき乃さん、悪趣味」
「そう? 自分の好きな男がヤキモチ妬いてくれるのって嬉しいもんよ」
「そ、…いうのは…会社で言わないでくださいよ」
初々しい反応が楽しくて恵の膝に手を置いた。耳まで赤くしちゃって、可愛い。仕事をしている風に装い無駄に恵の体に触れていると、突然フロアに駆け込んできたのは総務部所属のハルだった。
最近見合いをしてその相手が上司という面白い状況下にいるハルが、食堂以外で、しかも慌てて駆け込むなんて珍しい。理由を聞けば、どうやら突然今夜食事に誘われたらしい。身なりを気にするハルに、私の心は温かくなった。見た目なんてどうでもいいと普段から言っていたハルの変化に、女らしくなるという魔法を施してあげた。
本人に聞けば違うと答えるだろうし変に意識しちゃうから言わないけど、ハルの心にはきっと…。
◇
「え、覚えてない?!」
「うん…なんかもう感情が追いつかなくてテンパっちゃって」
「キスはしたよね?」
「え、それはないと思う……え!? そんなに早くキスなんてダメだよ」
自分の声が大きいと思ったのか、目の前に座る私に顔を近づけ声を押し殺してそう話すハルはもう顔が真っ赤だ。そう言えば昔、男にキスさせるのにハルは三か月待たせてたのを思い出した。私は恵とは付き合う前にしたけど。
昨日の出来事の報告を律儀にしてくれたハルが目を泳がせ周りを気にしながら、さっきよりも更に小さな声で私に告げた。
「ゆき乃、わたしね……好きになっちゃったみたい、七海課長のこと」
うん、言わなくても分かってたけど。ハルと恋バナをする日が来るなんて、と彼女の人生を知っている私は親心のようなものさえ生まれていた。まさか私より先に結婚することになるなんて思わなかったけどね。
家に帰ってシャワーをして、髪にタオルを乗せたまま缶チューハイを喉に流し込む。無意識だったんだろう。隣に座った恵が、「いいことあった?」と私の顔を覗き込む。
「ハルがね、恋したんだって七海課長に。お見合いっていうからどうなるかなぁって思ってたけど、なんだかんだうまくいきそうで良かったなって」
「ふうん、そっか」
「あは、興味ない!」
「そういうわけじゃないけど…俺は、ゆき乃さんのことで頭がいっぱい。ねぇ、そんな短いパンツ履いてんのも全部俺の反応を見るため?」
「ふふ、そうよ」
「ずりぃ」
余裕のない恵が私をソファに押し倒す。赤い顔が近づき、押し付けるように私の唇を塞いだ。感情を押し付けるような若々しいキス。年上の私に追いつこうとしてる感じが手に取るように分かる。
本当に好きになった人は過去にいる。私は常に追いかける恋をしてきた。だけど恵にこうして想いをぶつけられて愛されて、気づいたら恵なしでは考えられないと思えるほど彼に恋してた。
「恵っ…はぁ、服脱がせてぇ…」
好きだよ、と囁く声に心臓がきゅっと締まり身体の奥が甘く疼く。シャツの中に入ってきたその手の温もりに私は目を閉じた。
私は今この愛を感じているだけで幸せだ。すぐに結婚なんてことは考えていない。だけど、いつか…ハルのように好きだと思う人と人生を一緒に歩みたいとは思う。そしてそれが恵であって欲しいと願わずにはいられない。
私が幸せのブーケを受け取るのは、もう少し先のお話。