待ってろ
歳を重ねていくと、無意識に自分の不要なものを捨て必要なものだけを周りに置いて生きている事に気づく。忙殺される日々の中で、俺にとって優先されるのは仕事だ。それと気心の知れた友人がいればそれでいい。
取引先との会議を終え、帰宅したのは日付が変わる一時間ほど前だった。シャワーで汚れを洗い流し、冷蔵庫を開けてそこにある食べ物を適当に喉に流し込む。目に入った缶ビールを取ろうと手を伸ばすも、無意識にその横にあるミネラルウォーターを掴みソファへと移動した。
社会人になってから、家は寝食をする為だけの場所になった。殺風景なこの部屋にはテレビさえも置いていない。俺にとっては不要なものだ。
――ドラマ見たかったのに〜。
いつだったか忘れた情景が浮かび、吐息に混ざって笑みが零れる。明日のスケジュールを確認しようとスマホに手を伸ばした時、光を放ち振動した。もう日付が変わって誰もが寝ている時間だ。そんな時間に連絡をしてくるのは、一人しかいない。
ディスプレイに表示された名前に、俺は小さな溜め息を漏らし親指をスライドさせた。
「……何時だと思っている」
『リヴァイ…もう寝た?』
「起きてるから喋ってんだろ」
それもそうだ、と耳元で笑う女は、高校の同級である一ノ瀬ゆき乃だった。社会人になった年に開かれた同窓会で再会し、連絡先を交換した。
学生の時は、クラスが離れていた事もあってか会話はしたことはあったが、特別付き合いがあったわけでもなかった。だがゆき乃は、男から人気で常に誰かと付き合っているという噂をよく耳にしていた所為か、俺にとっては見知った存在になっていた。
勤務先が近かったという事もあり、学生の頃よりも連絡をよく取り合っていた。いや、ゆき乃から連絡が来たというのが正確だろう。仕事終わりに近くの居酒屋に呼ばれ、付き合っている男の愚痴を聞いたりもした。
正直、俺の生活には不要だった。終わりのない話を聞くことも生活を乱されることも、ただ煩わしいだけ。
「何かあったのか? 用件を話せ」
『用がないと連絡しちゃダメなの〜? って毎回言ってるでしょ』
「……振られたか、また」
『なんかね…いまベランダから月見てるんだけど、リヴァイ何してんだろうなって思って』
「答えになってねぇ」
前髪を掻き上げ息を吐く。本当に煩わしい。
ゆき乃はいつも男と長続きしない。ずっとそうなのかは分からないが、少なくとも俺が知っている相手との付き合いは短かった。社会人になってからも「告白された」だの「好きな人ができた」だの、色んな話を聞かされたが、その数か月後には大抵振られた愚痴を聞かされる。
俺にとっては不要な時間だ。不要な情報だ。
『ねぇ……リヴァイ…』
物寂しそうな声が俺の鼓膜を叩いてくる。きっと酒でも飲んでるんだろう。振られて酔ってる女の相手なんて面倒だ。そう思うのに、
『会いたい…リヴァイ会い、』
「待ってろ」
俺はゆき乃への想いを棄てきれない。
いつから芽生えたのか分からない。煩わしいという気持ちは変わらないが、ゆき乃は特別だった。生活を乱されても邪魔をされても、それでもそばにいて欲しいと思える女だった。
何故だと問われても分からない。明確な理由なんてない。いくら不要なものを与えられても、ゆき乃という存在は必要なんだと、細胞レベルに刻まれているようだった。
急いで車を走らせ、ゆき乃のマンションへと向かう。アルコールを無意識に控えていたことに自嘲する。必要だったアルコールが不要に変わりつつあるのはゆき乃の所為だ。
ハンドルを握る指が無意識に動き叩いている。いつもより多く赤信号に引っかかる。思わず舌打ちが出て、想像以上に焦っている自分に気づいた。
恋人を作らなかったのは面倒だったから。煩わしい駆け引きも俺には不要だった。それなのに…いつから連絡を待つようになったのだろう。切なく名前を呼ばれればどんな時間だろうとゆき乃の所へ向かうようになったのは、いつからだっただろう。
部屋番号を押して呼び出すとすぐに解除する。玄関の鍵開いており、開けた先、部屋着で立ったまま俺を待っていたゆき乃をそのまま片腕で抱き寄せた。
もう、煩わしい駆け引きは終わりにしたい。
「リヴァイ……来てくれたんだ」
「来ると分かっていただろう」
「どうして来てくれるの? リヴァイはいつも私を受け入れてくれる。愚痴もくだらない話も全部。ねぇ、どうして…」
抱き寄せた手を緩めると、ゆき乃との間に少し距離ができた。俺を真っ直ぐ見つめる瞳はいつだって変わらない。潤んでいるのは別れた男を想って泣いたからなのだろうか。
もういいだろう。その目に映す男は一人でいいんじゃないか。
「どうしてだ、なんて愚問だ。そんなの好きだからに決まってんだろ」
「リヴァイっ…」
「気づくのが遅せぇ」
初めて自分の想いを言葉にして、心臓が大きく揺れ動いたのが分かった。気づけばまた自分の腕の中にゆき乃を収める。微かに心音が伝わってきてそれがリズミカルに早く俺を叩いてくる。
涙声のゆき乃が耳元で小さな言葉を紡いでいった。時折混ざる吐息でさえ、俺の心臓は反応していく。
「私ね…初めて自分から別れたの。告白されて今度こそって思ったけど、やっぱり違って。いつからか分からないけど…ずっとリヴァイが私の中にいるの。気づいたら、リヴァイに会いたいから誰かと付き合ってた。可笑しいでしょ。だけど今更言えなかった……リヴァイに嫌われたくなかったし、もし別れることになったらリヴァイのいない人生なんて考えたくなかった。だからずっと自分の気持ちを見て見ぬふりしてたの」
「お前を受け止めきれるのは、どこ探しても俺しかいねぇだろ」
「……っ、うん」
「ゆき乃のいない人生なんて俺も考えられない。死ぬまで俺だけ見てろ…離れる心配なんて必要ねぇ」
「大した自信ねっ…でも、もうリヴァイしか見えてないよ私は」
「当然だ」
熱い瞳を交わらせ、閉ざしきれていない薄いピンクの唇を啄む。ずっと
この先、俺にとって不要だと思うものは増えていくだろう。テレビもカラフルなクッションも観葉植物も。だがそのどれもがゆき乃から繰り出されるものだと思うと、愛おしいとさえ思ってしまう。
そんな煩わしい生活も、
「……ゆき乃、愛してる」
悪くねぇ。
―Fin―