特別なのはお前だけだ


 人生において最も幸せな瞬間はいつだと問われれば、私は間違いなく数か月前の出来事を上げるだろう。
 憧れの人に恋をした。雲の上の存在のようなその人は、社内社外問わず常に人気で、一日一回は告白されているという噂が流れる程だった。そして、彼がその告白を受け入れる事は一度もなかった。どこかの令嬢が許嫁だという噂もあった。それでも好きになる人は多く、二番目でもいいからと願う人も少なくない。
 私もその一人だった。最初は単なる憧れだったけど、仕事で接している内にそれが恋へと変わってしまった。叶わぬ恋だと思っていても、その想いは消えてはくれない。むしろ日を増すごとに膨らんでしまい、彼と接すると無条件に赤面してしまう。そんな事では仕事にならない。仕事ができない奴だとレッテルを貼られて見限られる方がもっと嫌だった。だからいっそのこと、諦めるためにこの想いを断ち切るために振ってもらおうと、人生で初めて自分から告白したのだった。

「リヴァイ部長…好きですっ!ずっと」
「そうか。それなら付き合うか」
「はい……は? え?」
「どうした、不満か?」
「え、いやそうじゃなくて……だって、今まで誰からの告白も受けないのは許嫁がいるからだって、」

 予想外の返答に焦って噂のことが口から出てきてしまった。リヴァイ部長の舌打ちにその後の言葉を引っ込める。噂は違ったのだろうか。仮にそうだとしても、この気持ちを断ち切るために告白したのに。

「噂話を鵜呑みにすんじゃねぇ。それとも何か、俺のことは好きだが付き合いたくはねぇってのか」
「そんなわけないですっ! その驚いて……嬉しい、です」

 ならいい、とリヴァイ部長が私の頭にポンと手を置く。付き合えるだけでなくまさかの甘い仕草に、顔を赤くして固まってしまう。そんな私を見て、リヴァイ部長は口許を緩ませて笑った。いつもは眉間に皺を寄せていて笑顔を見せるなんてことはない。そんな彼が微笑んでいる。
 人生で一番幸せな瞬間だと思った。


 そんな告白から数か月が経った。私達の関係は会社では今までと変わらずだが、恋人関係は至って順調だった。私を大切にしてくれるし、会社とは違って柔らかく優しい。
 だけど、私はいつだって不安だった。片想いの時にはなかったもので、リヴァイ部長が恋人になってからその不安は日を増すごとに大きくなっていく。

「ゆき乃、何か考え事か? 手が止まっているぞ」

 リヴァイ部長の家のキッチンで料理をする私の後ろに立ち、顔を覗き込む彼に胸が跳ねる。私の頬に触れている髪に触れ頬を撫でる。きゅっと締め付けるその痛みが嬉しさからなのか不安からなのか、よく分からない。

「何味のドレッシングにしようか考えてました!」
「それならいいが…」

 頬に触れていた手が顎へと移り、彼の正面を見るように顔を動かされる。ゆっくりと近づく端正な顔に、私は静かに瞼を閉じた。触れた唇はこんなにも甘いというのに。





「リヴァイ部長、ずっと好きでした!」

 聞こえた声に思わず足を止めた。少し開いた会議室にいるのは、隣の部署の女とリヴァイ部長だった。顔を赤くして想いを伝えていて…まるで数か月前の自分を見ているようだった。人の告白を盗み見るなんて趣味が悪い。そう思ってもその場に足が引っ付いてしまったかのように動けなかった。

「悪いが俺は、」

 リヴァイ部長の言葉が聞こえたと思ったのと同時、視線がこちらに飛んできた。私を見つけて目を見開いた。その時どんな事を考えて動いたのかは分からない。ただ今の私を見てほしくなくて咄嗟に逃げた。
 私の不安は、リヴァイ部長がどうして私を選んだのかが分からなかったからだ。さっきの女と同じように、過去にリヴァイ部長に告白した人達と同じように、私だってそのうちの一人に過ぎない。私がダメ元で告白しなかったらきっと今の関係になっていないだろう。どうして私を選んでくれたのか、そこに意味があったのか、ずっと聞けなかったのだ。
 意味がないと分かってしまうのが怖かった。いつか他の人にその気持ちが向いてしまうのではないかと。

「待て、ゆき乃!」

 凄い距離を走った気になっていたけど、実際は会議室と同じフロアのエレベーター近くだった。リヴァイ部長が声を上げたからだろう。乗り降りする人、近くの部署の人が何事かと私達を見ている。
 人前で彼が私を名前で呼んだのは初めてだった。本当なら周りの視線が気になるのに、振り向いた先にいたリヴァイ部長が真っ直ぐ私を見ていたから、リヴァイ部長しか見えなかった。振り解こうと思ったその手もそのままだ。掴まれている手首が、熱くじんじんとしている。

「なぜ逃げる…そんな顔してねぇで言いたいことがあるなら言え」

 恐らく私の不安がピークに達していたのだろう。言うつもりもなかった言葉が溢れてくる。会社なのに、リヴァイ部長の声色が二人の時のように優しかったからかもしれない。

「リヴァイ部長が…どうして私の告白を受け入れてくれたのか、ずっと分からなくて。リヴァイ部長に恋してるのは私だけじゃない。いつか他の人の所に行ってしまったらって不安で…」
「馬鹿なのか、お前は」
「え…」
「俺はお前だから付き合ってんだ。誰でもよかったわけじゃねぇ、勘違いするな。俺がお前を選んだんだ」
「リヴァイさん……」
「その他大勢と一緒にするな…特別なのはお前だけだ」

 泣くつもりなんてないのに、勝手に涙が溢れて止まらなかった。会社で、人前で…そんな事を思っていた私を「泣くんじゃねぇ」と片腕で抱き寄せて肩を貸してくれた。リヴァイ部長の温もりが心の中にある不安の塊を壊していく。

「余計な事を考えてないで、俺を好きだと言っていればいい。俺はゆき乃しか目に入らねぇから安心しろ」

 鼓膜を甘く揺らすリヴァイ部長の声に、単純に彼を好きだったころの気持ちを思い出した。少し遠回りしてしまったけど、これからはリヴァイ部長との恋愛を心から楽しめる気がする。
 彼の名前を呼んでその身体に抱きつく。その瞬間、周りから様々な声が聞こえて、ハッと我に返った。歓喜の拍手さえ聞こえてくる。リヴァイ部長の温もりで、会社なのを忘れていた。

「お前ら、見せもんじゃねぇぞ……だが、ちょうどいい。俺にはゆき乃がいる。何があっても覆ることはねぇ。だから悪いが他を当たってくれ。ちなみにゆき乃に手を出す奴も俺がいることを忘れるな」

 リヴァイ部長がおおやけでそう発言したことによって、噂が上書きされた。リヴァイ部長にはべた惚れの恋人がいると。その数か月後、私の姓が変わり寿退社をすることになった。
 私達が抱き合っていたあのエレベーター前が、恋が成就する告白場所として社内で有名になったと知ったのは、その後の話。


―Fin―

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