ヒミツの関係
「ねぇ君って何の為にここで働いてるわけ? 仕事できないなら要らないでしょ。僕の手を煩わせないでくれるかな」
涙を啜る音が聞こえたのと同時、扉を勢いよく開けて飛び出してきた女子社員に同情の目を向けたのは、飲み物を運ぼうと近くに立っていたハルだけじゃないはず。
この扉の向こうには、ここ時透グループの御曹司でもある時透無一郎が座っている。
そうは言っても、彼はまだ高校生。
学業の傍ら、次期跡取りとしての役割も兼ねて週に数回こうしてあの部長補佐の椅子に座っているのだけど、頭もキレるし数年働いてる社員よりも仕事が出来てしまう。
それ故、出来無い人間には容赦が無かった。
元々そこに座るはずだったのは、双子の兄である有一郎だった。
彼の方がどちらかと言えば口は悪かったが、夢ができたと簡単にその椅子を捨ててしまったらしく、跡継ぎとして無一郎がやってきたのだ。
物腰しが柔らかい人だと聞いていたが、いざ対面してみると、まだ怒声を向けられたほうがマシだと思う程に冷酷な言葉の数々だったのだ。
「ハルさん、それ早く持っていった方がいいですよ…」
後輩の助言に返事をしたハルは、深く呼吸をすると軽くノックをして重たく感じるその扉を開けて中へと入った。
そこには、体に似つかわしくない大きな背もたれの椅子に腰掛け、頬杖をつきながら書類を手早く捲って読んでいく無一郎の姿があった。
視線だけを上げて入ってきた人物を確認した無一郎は、受話器を手に取り、内線で「今から人入れないで、集中するから」とだけ伝え一方的に切った。
その間、一度も彼は視線を逸らさなかった。
引き寄せられるように机に向かったハルは、「どうぞ、アイスティーです」とそれを置くと同時、その手を引かれていとも簡単に座っている無一郎の膝の上に乗せられた。
「し、仕事中です!無一郎さん」
「それが何? 急ぎの仕事はもう終わってるし、今日は何か疲れたんだよ…癒やしてよ、ハル」
「無一郎さん…」
「そんな呼び方やめて」
「…もう、むいくんってば」
ハルに抱きついた無一郎の表情は、無表情から一転して、眉を下げて笑顔に変わった。
高校生らしいあどけない笑顔だ。
そんな顔をされたらハルは何も言えなくなる。
彼の頭を軽く撫でると、「キスして」と少し唇を出して目を閉じるので、ハルは念の為に周りを確認しつつも、抱きついたままの彼の頬に手を添えて、ハリがあって柔らかな唇を優しく塞いだ。
無一郎とハルの出逢いは、数ヶ月前。
秘書課で偶然その日の社長同行の担当をしていたハルに、社長直々に彼に会社のイロハを教えるように頼まれたのだ。
それから、ちょうど夏休みだった彼に付きっ切りで仕事を教えていたおかげで、ハルは無一郎に懐かれ、年下で学生だと言うのに、それを感じさせない彼にハルは惹かれてしまったのだ。
二人だけの時に魅せる、こうした年下らしい可愛らしさもまたハルの心を掴んで離さなかった。
だがこれは、誰にも知られてはいけない関係。
未成年だし、この会社の未来を担う人物ともなれば、周りは快く思わないだろう。
ただ、無一郎の家族はこの関係を認めており、むしろ彼がいい風に変わってくれた事を喜んでいたのが、ハルにとって救いだった。
「ねぇむいくん…私はむいくんが本当は頑張ってるの知ってる。だからこそ、努力しない人を嫌いだって思うのも。だけど、みんな完璧じゃないの。完璧じゃないから周りが支えて助け合うの。分かる?」
「……分かってるよ、でもムカつくんだ。自分で何もしないで他人に任せようとする人間」
「頼るのは全てが悪いことじゃないわ。むいくんもきっと社会人になれば分かるよ。トップに立つ人だって、誰かに支えられてる…会社は一人じゃ大きくならないのよ?」
「もう少し、気をつける…」
「むいくんの事を理解してくれる人も沢山いるんだから、大丈夫! よしよし!」
「ちょ、子供扱いしないで」
顔を赤くした無一郎は、自分の頭を撫でるハルの手を掴むと、もう片方の手で彼女の後頭部に手を回し、驚いてる彼女を無視してその唇へ自分のを押し付けた。
ハルの唇を舌で舐めとるように動かしながら、隙間を割って入っていき口内を愛撫する無一郎。
体温が上がり呼吸が乱れ、ハルが思わず唇を離すと、無一郎は熱を帯びた瞳をハルに向けた。
「分かってるよね? 誕生日が来たら、ハルは俺と結婚するの。結婚までキス以上はダメだって言うから我慢してるんだから。早く俺をハルのものにしてよ」
ハルの返事は、無一郎がまた唇を塞いだことで言葉にはならなかったが、早くその日が来ることをハルも待ち望んでいた。
この秘密の関係も、残しあと少し。
密室で重ね合わせる唇に、上気する吐息と高鳴る鼓動が混ざり合って甘く二人を包み込んでいた。
―Fin―