もう少し暗ければよかったな


「どこに行くのか教えてくれないの?」
「あぁ、着いてからのお楽しみだ」

 ポンと私の頭に手を置いて笑うと、ちょうど信号が青に変わりその手がハンドルへと戻っていく。頭上に落ちた温もりに心臓が擽ったい。
 仕事終わりの平日。珍しく杏寿郎からデートの誘いがあった。珍しいというのは平日に私達が会うことが珍しいという意味で、教師をしている杏寿郎は家に帰ってからも準備とやらでやる事が多いらしい。だから平日に会うことは稀で、週末になると杏寿郎の家に泊まりに行くというのが私達のスタイルだった。
 食事を済ませてもう帰るものだと思ったら、「行きたい所がある」と車を走らせた杏寿郎。口許に笑みを含ませながら運転する姿に見惚れながらも、どこへ行くのかと期待しながら流れる景色を目で追っていた。

「…プラネタリウム?」
「もうすぐ上映時間だ。行こう」

 小学校の時に課外授業で行った星を観測するためのプラネタリウムとは違う、まるで美術館にでも来たような大人びた雰囲気の場所だった。言われなければプラネタリウムだと分からないくらいだろう。
 当たり前に私の手を引いて中へと案内する杏寿郎。この手に何度触れたか数知れないけど、今でもまだ触れるだけで緊張してドキドキする。杏寿郎はどうなんだろう。

「うわ…凄い! カップルシートってやつ?!」
「そうらしい。よもや、ベッドみたいだな」
「平日だから人少ないねぇ」

 出来るだけ声を抑えて話をするも、オシャレなカップルシートを前に私は興奮して声が上擦っていた。靴を脱いでシートに上がり、ほとんど寝転がるような体勢で見上げる。その後すぐ、杏寿郎も私と同じように寝転がった。
 数組のカップルがいたと思うけど、皆それぞれ自分の相手と声を潜めて話をしているから誰も周りなんて見ていないだろう。私は視線を隣に向けると、上を向いていると思った杏寿郎は私を見ていたのかすぐに視線が重なった。心臓が大きく跳ね上がる。

「なんだかドキドキするね!」
「少しは、元気が出たか?」
「え?」
「前に仕事が大変だと疲れていただろう。先週はあまり元気もなかったように思えてな…君は星が好きだから」
「それで…連れてきてくれたの?」

 今日のデートにそんな意味が込められていたなんて私は何も知らなかった。杏寿郎の優しさに気づけなかった。嬉しくて胸が熱くなる。
 ありがとう、と唇を動かせば、杏寿郎は眉を下げて安心したように笑った。

「楽しみだな」

 いつもより幾分か小さく低い杏寿郎の声がした瞬間、世界が暗転する。不意に左手に温もりを感じた。視線を上に向けた杏寿郎が、私の手を包み込むように静かに触れてきたのだった。


 頭上に広がる星の世界。瞬く星もナレーションも、正直に言ってあまり頭に入ってこない。もちろんちゃんと見てはいるけど、ずっと鳴り止まない激しい鼓動に私は無意識に吐息を漏らした。
 杏寿郎はずっと私の手を握っていた。ただ普通に繋いでいるだけならこんな事にはならないだろう。この暗転の中、杏寿郎は私の手を指先でなぞったり、絡ませて繋ぎ直したり、指を一本ずつ確かめるようにゆっくり触れたり…兎に角、触り方が甘くエロティックなのだ。何度か視線を杏寿郎に向けるも、彼は星を見ている。時折その視線が私の方を向くと、その口許に笑みを湛えるだけだ。
 暗転と言っても真っ暗なわけではない。プラネタリウムだから、当然幾つもの星が輝いていて隣はおろか別のカップルの様子も分かる程に明るさはある。
 杏寿郎の筋張った指が私の手の甲を撫で、それから優しく包み込む。徐々に気持ちが昂っていた私は、少し身体を杏寿郎に寄せて耳元で小さく名前を呼んだ。

「杏寿郎っ……変な触り方しないでよ…」

 私の言葉に微かに笑いの含んだ吐息が聞こえた。それから杏寿郎が少し体勢を変えて私に向き合うように横になる。まるでベッドの上で向き合ってるような気分だ。握っている私の手をそのまま動かし、手の甲に小さく口付けた。

「もう少し暗ければよかったな」

 唇を耳に寄せて、甘く鼓膜を揺らしてくる。すぐに元の場所へ戻った杏寿郎の瞳が私を捕えている。真っ直ぐ見つめられれば、もう星どころではない。
 もう少し暗ければ何をしていというのだろう。いや、ちゃんとTPOをわきまえてるから周りへの迷惑行為なんてしないけど。それでも、杏寿郎の言葉に胸がきゅっと締まり身体が熱をもつ。
 いつ終わったか分からないプラネタリウムを後にした私達は指を絡めて外に出た。車に乗り込むや否や、杏寿郎の手が後頭部に伸びてきて私の唇を塞ぐ。待ちわびていた温もりに、身体の奥が甘く疼く。

「んっ……杏寿郎…」
「今夜、このまま連れて帰ってもいいだろうか」

 熱を帯びた瞳を向けられ、吐息交じりに囁かれる。そんなの聞かなくても答えは決まっている。返事をする代わりに、私はその整った唇を甘く塞いだ。


ーFinー

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