くすぐったい距離


「……毎日、面倒じゃないの?」
「面倒なら来てねぇよ」

 最寄り駅から出て少し歩くと、単車にもたれ掛かるようにして立っている図体のデカい男。大柄な上に、金髪に剃り上げているサイドには刺青が入っている。駅前だと言うのに周りに人気ひとけがないのはその見た目だからだと思う。本人は至って気にしていないし、私も気にしていない。
 市外の高校に通う私が図書館で勉強して帰る頃に、こうしてこの大柄の男、龍宮寺 堅が私を待つようになったのは、一か月前の夜、私がこの先の公園で不良達に絡まれた時からだった。





 いつもより遅くなった帰り道、普段は通らない大きな公園を抜けようとしてその場所が不良の溜まり場だったことを初めて知ったのだ。声を掛けられ腕を捕まれ、当然ながら振り払う力なんてなくて。
 あぁ私の人生やっぱり…なんて思った時、脳裏に浮かんだのは人生で一番思い出したくない時期の光景だった。そして――

「おい、何してんだテメェら」

――その声が聞こえた後は、安堵からかあまり覚えていない。不良達が薄暗くても分かる大柄な男に歯向かおうとしてどよめいて、気づけば不良達は去っていた。自分が地面に座り込んでいるのだと分かったのはその男が「立てるか?」と聞いてきたからだ。

「これ、お前の眼鏡か?」
「あ、はい…すみません」
「もしかして……ハルじゃねぇか?」
「え?」

 手渡された眼鏡を慌てて掛ける。私の記憶で、不良達相手に勝てるような人は、たった一人しかいないからだ。

「……堅、くん?」
「思い出したか! 懐かしいなぁ!」

 その顔は私がつい先程思い出した過去に出てきた人物だった。思い出したくない光景がどうして浮かんだのか、それはきっとこの人のせい。
 私は物心ついた頃から母親しかいなかった。最初はそれでも良くて母がいればそれだけで良かった。次第に母が香水臭く派手になり、私が小学生になる頃には男が出入りする生活が普通になっていた。
 それからは、母が夜に働いていたファッションヘルスの店に私も連れていかれていた。借金取りが家に来るからだと何となく分かっていたから私は黙ってその場所について行った。その時に、彼に出会ったのだ。
 私よりも二つ下で、それでも子供がいることに珍しがってか私に構ってくれた。そこに住んでいるという彼の境遇は私よりも悪く、それでも笑って武勇伝になるなんて言ってのける彼を凄いと思った。
 彼と過ごしたのは、私が児童相談所に引き取られるまでの数週間だけ。彼とはそれっきり。私はその後里親に引き取られて、こうして高校に入れてもらえて、今の生活に不満なんてない。昔のことなんて忘れていたくらいだ。それでも、彼のことはすぐに思い出した。
 腰を抜かした私を「仕方ねぇ」とか言って背負って家まで運んでくれた。その間ずっと昔の話をしてくれていて、喋る声はもう低くなって違うのに何となくあの時の安心を思い出した。唯一、私のことを理解してくれるようなそんな安心感だったのだろう。私も今の生活のことを聞かれて色々と心情を話してたのかもしれない。
 次の日から、駅前でこうして彼が私を待つようになった。何度断っても「また絡まれるだろ」って。だけど、私は気づいていた。彼は強い人だということに。東京卍會というものを背負っていることに。だからきっともうあの公園を通っても絡まれたりしないだろうって。





「ねぇ、堅くん」
「ん?」
「もう送らなくていいよ」
「あ? だから面倒じゃねぇって、」
「違うの。あのね、図書館じゃなくて家で勉強しようと思って。堅くんとこうして帰ってて色々と話してて…私、無意識に家を避けてたのかもしれないって気づいた。今に不満はないけど、楽しくもなくて。ただ捨てられないように、いい子になりたくて」
「いい人達なんだろ?」
「うん、とっても。だからきっと…自分だけ幸せになっていいのか、怖かったのかもしれない。里親に引き取られなかった子も多かったから。だけどそんな事考えること自体が傲慢だよね……皆それぞれ、幸せは違う。堅くんがあの時からずっと変わらないでいてくれたからそう思えたの。あの時から堅くんは自分を受け入れて楽しんでた。それが羨ましかったのかもしれない」
「ハル…」
「だから、私も自分の人生楽しもうと思って」

 自分のことを話すのは得意じゃない。だから話していて緊張で声が震えそうになっているのだと思ってた。だけど、違う。本当は、これを言えばもう彼と繋がることはなくなるからだ。もうこうして隣を歩いて帰ることもなくなる。それを、寂しいと思っている。だからずっと彼が言う「絡まれるから」という理由を否定しなかった。

「ハルがそう決めたならいいんじゃねぇの。誰がなんと言おうとハルの人生だからな。深く考えすぎずに頑張れや」
「……うん」
「じゃあ、次は高校まで迎えに行くかぁ」
「う……え?!」
「俺はハルとこれっきりにするつもりはねぇぞ」

 突然掴まれた手。いつも触れそうで触れない距離だったのに。大きくて私の手を丸ごと掴むその手は、とても温かかった。

「け、堅くん…手っ、」
「ちっせぇなぁ!」
「指っ、」
「あんまり騒ぐんじゃねぇよ、これくらいで。言っておくが、俺はあの時のままのガキじゃねぇ。まぁでも…ハルのペースに合わせてやるから安心しろ」

 そう言って腰を屈めて顔を近づけると、その唇を私の額に押し当てた。




(その熱が唇に落とされるのはいつだろう)

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