隠した素顔と恋心

 東京丸の内にある、丸の内大学病院。
 院長の一条 武蔵には二人の娘がいる。一卵性の双子である姉のユヅキと、妹のハル。
 性格も正反対の二人だけれど、20歳の時に親の財産で億ションへと引越し仲良く過ごしていた。
 姉のユヅキは自由奔放で人付き合いも良く動物を深く愛していた。それにより医学の道へ進んではいたものの、動物愛護団体に入り、24歳でシガンシナの大学に渡米し、そこで薬学を学んでいる。
 妹のハルは、一条の娘という事を隠して都立キメツ学園で古文の教師をしている。金持ちの娘という事で、何かと面倒なことも多いからそれを懸念して素性を隠している事にすら軽く戸惑いを抱えながらもごく普通の幸せを夢見て生きている。

 二年の月日が経ったその日、ハルのスマホにポロリとユヅキから一週間ぶりにLINEが届いた。
――【日本に帰ります】
 たった一言、それが二人の運命を大きく動かすことになるなんて。

 これは、愛を知らないユヅキとハルの愛の物語である。





 職員室の自席でお弁当を食べていると突然震えたスマホ。また迷惑メールか、と咀嚼しながら机の上に置いたままのスマホを操作し、そのメッセージに思わずむせ返ってしまう。
 差出人は双子の姉であるユヅキだった。普段送っても返事もろくにないくせに突然の帰国メッセージ。いつ帰ってくるのだろう。大学卒業後にすぐ海外に行ってから一度も帰国して来なかったのに、なんで。


「大丈夫か? ハル先生」
「れ、煉獄先生! だいじょ……コホっ…」
「ほら、落ち着いて食べるんだ」


 焦っていたのは、ユヅキの所為なのかそれとも背中に触れる掌の所為なのか。早鐘を打ち始める私を他所に、煉獄先生はむせ返る私を宥めるために背中を摩ってくれた。
 ゆっくり食べるんだぞ、とまるで子供に言い聞かせるかのように煉獄先生が私を見る。大きな緋色の双眼に見つめられるだけで、胸がいっぱいで食欲も萎んでいく。


「すみません、ありがとうござ――」
「お、美味そうな卵焼きじゃねぇの。つーか弁当の具材まで地味だな、ハル先生はよぉ」
「宇髄、ハル先生に失礼だぞ。地味でなにが悪い。それにハル先生の卵焼きは絶品だ」


 煉獄先生に対する感謝の言葉は、私の右手の席である宇髄先生がやって来た事によってかき消された。宇髄先生には常に地味だと言われているし、そうしているのは自分だから何とも思っていない。むしろ地味になれているのなら大正解だ。煉獄先生のフォローになってない返しもいつもの事だが、卵焼きを褒められて思わず顔が熱くなってしまう。
 以前、昼食を忘れた煉獄先生にお弁当をあげた事があったのだが、その時に入っていた卵焼きの話をしているのだろう。たった一度の味を絶品だと言ってくれた事に、心が浮ついてしまう。
 私の弁当から勝手に卵焼きを取って口に入れた宇髄先生。それを注意する煉獄先生。左右に座る二人に挟まれて繰り広げられている口論に本来なら私が入るべきなのだろうが、感情が混乱して呆然としていた。
 ユヅキが帰るという事は、私の秘密が周りからバレてしまう危険があると言うことだ。地味で質素などこにでもいる女、という私の創り上げた生活。
 煉獄先生が知ったらどう思うだろうか。私自身は何も変わらないけど、その後ろにあるものを知って態度を変える人をたくさん見てきた。だから、すべてを曝け出すのは勇気がいる。
 二人の声がいつの間にか私へと向けられていて、宇髄先生の言葉をしっかりと聞かずに、「分かりました」と返事をした私は、その日の帰りに先生達数名と飲み会に行く羽目になってしまった。


「珍しいじゃねェか、ハル先生が来るなんてよォ」
「はい、ちょっと手違いがありまして……でも、今日は私も飲みたい気分だったので良かったです」
「うむ、何かあったのか?」
「地味な悩みは飲んで忘れろ! ほら、煉獄が聞いてくれるだろ。今日はハル先生が来て嬉しいんだとよ」
「宇髄、ハル先生の肩から手を離せ」
「はいはい」


 職員室と同じような席順で座ってしまうのは癖なのだろう。右手に煉獄先生、左手に宇髄先生、前には不死川先生が座っている。不死川先生の隣に冨岡先生もいるけど、一言も喋らず鮭大根を頬張っていた。
 普段からこうして先生達の飲み会が開催されているのは知っていたけど、あまり顔を出した記憶が無い。不自然過ぎないように距離を保っているのは、私が深く人と関わって墓穴を掘らないようにするためだった。
 だけどある時からその理由は後付けになっていて、こうして煉獄先生が隣に座るだけで心臓が爆発しそうなくらい高鳴ってしまう事に気づいた。
 職員室とは違うこの距離。離れて座ればいいと思うものの、本心ではこの近さが嬉しいと思っていて、だけど自分の気持ちを持て余している。いつも以上に口下手になってしまう。
 こんな時、ユヅキならきっとうまく出来るんだろうな、と目の前のドリンクを喉に流しながら考える。双子でありながらも正反対のユヅキ。自由奔放で綺麗で可愛くて、私とは全然違う。男関係に関しては呆れることも多いけど、それでもいつもブレない自分を持っている姿は羨ましくあった。
 煉獄先生の言葉に自惚れながらも好意があるのではないかと気づいていた。自信があるわけではないけど、私もそこまで鈍感ではない。でもそれに対して何も言えず、何も出来ない自分が嫌で仕方ない。ユヅキみたいにもう少し自分を出せたら…。


「ハル先生、少し飲み過ぎじゃないか? もうその辺にした方がいい」
「……ん…」
「ほら煉獄、水だァ。送っていくか?」
「そうだな。宇髄、すまないがタクシーを呼んでくれ」
「自分で……あぁなるほど、支えてやってんのね。いいんじゃねぇの? 送り狼になっちまえよ」
「俺はそんなことはしない。ハル先生は……」


 先生達の会話が、まるでシャボン玉のように漂っては弾けて消えていくようだった。自分の事を話しているのは分かったけど、心地良さと気持ち悪さが相まって何も言えない。それに意識が曖昧で目も開けられず、身体を支えられながら頭の片隅で煉獄先生と不死川先生の声を聞いていた。その内意識が混沌として朦朧としていく。次に意識が薄らと戻った時、私は煉獄先生の腕の中だった。


「れんごく……せんせ?」
「目が覚めたのか? このままベッドに運ぶぞ。気分悪くはないか?」


 まるで壊れ物を扱うように私をベッドに横たえると、当たり前のように離れていく温もり。寂しさが溢れ、咄嗟にその腕を掴んだ。驚いて目を見開いている煉獄先生の顔を月明かりが照らしている。


「行かないで……煉獄先生っ…」


 こんな言葉、私が言うはずない。だからこれはきっと都合のいい夢なんだろうって思った。私の言葉で大きな瞳を揺らす煉獄先生も、顔を赤らめる煉獄先生も、夢なんだ。
 どうせ夢なら、と腕を掴んだまま身体を起こしてその身を擦り寄せた。温もりと呼ぶには少し熱い煉獄先生の身体に触れ、その手を頬に乗せた。


「離れたら、寂しいです……」
「ハルせ――」


 煉獄先生の言葉を聞く前に、私は薄く整った唇に自分のそれを静かに重ねた。夢でも温もりがあるんだ。背中に回された手に安心した後、その夢は白くなって消えてしまった。





「夢……?」


 頭痛で目が覚めた私は、いつ家まで帰ってきたのかを思い出そうとしたけど曖昧な記憶しか浮かばずコメカミに手を置きながら部屋を出た。
 いつもの起床時間よりは少し早い。シャワーもして珈琲でも飲んで、と考えを巡らせていると、人の気配がして足を止めた。
 この億ションのセキュリティで泥棒はまず無い。そこで思い出した、ユヅキの連絡を。もう帰ってきたの? 帰るとは言っていてけどまさか当日とは思わなかった。でもユヅキなら有り得る。考えが至らなかった。
 急に帰ってくるなんて、と文句の一つでも言ってやろうとドアを開けて私は言葉を失った。振り返ったのは二人。しかも男。しかも同僚。そしてほぼ裸。え、待って。これも夢?


「ハル、おはよー!」
「よぉハル先生! 煉獄は帰ったのか?」


 呑気な二人に私は思わず声を上げた。
 不死川先生から出たその名前に、昨夜の記憶が朧げに蘇る。あれが夢なのか現実なのかは分からない。だけど、煉獄先生は不死川先生と違って帰ってしまったのかと思うと、胸がチクリと痛んだ気がした。




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