君と出逢えて
桜が散り、木々の緑が深まる季節となった。新学期が始まり大型連休を前に生徒達が浮き足立つ季節だ。
だがその時期は教師にとって多忙を極める。連休が明ければ待っている中間テストの準備故だ。授業を終えた職員室では、日が暮れてからテスト問題を考案する教師達の姿が当たり前の光景だった。
それなのに、俺の隣席に座る彼女、古文担当であり俺の恋人でもあるハルは、連休に入る一週間前だというのに、日が暮れると帰りの身支度を始めてしまう。
「ハル先生、今日も…もう上がるのか?」
「…は、はい。諸用がありまして。大丈夫です、テスト準備はちゃんとやってますから!」
お先に失礼します、と俺の質問に事務的な回答をして足早に帰る恋人の後ろ姿を見つめる。この数日、胸の奥がザワザワと揺らいでいる原因はこれだった。ハルが余所余所しいのだ。
元々学園内で一緒に過ごす時間は少なかったが、少しの間に雑談をしようとすると何故か理由をつけて立ち去ってしまう。
それに、その頃から仕事終わりに会う時間も取れなくなってしまった。テスト準備があるから少なくはなるだろうと考えてはいたが、こんなにも二人で過ごす時間がなくなるとは予想もしていなかった。
何か無意識にしてしまったのだろうか、俺は。答えのない事を考えても仕方ない。そうは思うも、ハル相手となると答えを知りたくなる。どうしたものか。
「おい煉獄、派手な顔して地味に唸ってんじゃねぇぞ。心の声垂れ流してんの気づいてねぇだろお前」
「……そうだったか、それは申し訳ない」
「おいおいおいおい! 眉が下がってんぞ。覇気がねぇ。気になるなら直接聞けばいいだろう、なぁ?」
宇髄が同意を求めたのは同じくテスト問題を準備している不死川と、保健体育でテストがないが職員室に残っていた冨岡だった。二人して頷き、最近のハルの様子がおかしい事を指摘した。やはり俺の勘違いではないようだ。
「テスト準備はいつも職員室でやっていただろう。それなのに今回は理由をつけて帰ってしまうし、仕事終わりに会う事も断られてしまったのだ。理由を聞こうにも、いつもはぐらかされてしまう。テスト準備を家でやるのであれば一緒に出来る。俺は例え多忙であっても会いたければ会う時間は作れると…」
そこまで話して、漸く顔をニヤつかせてこっちを見ている宇髄に気がついた。それから口を開けて呆気に取られている不死川、いつもと変わらないが俺を見ている冨岡。何か、変なことを言っただろうか。その答えは宇髄の言葉によって次々と知らされる。
「ははっ、可愛いとこあんだなぁ煉獄。そんなに離れ難いのかよ」
「そんなに好きだったのかァ、ハル先生のこと」
「…彼女が愛おしいのだな煉獄は」
次々紡がれる言葉に少し顔が熱くなる。だけどその気持ちに決して嘘はなく、皆が言うように、ハルの愛を知ってから、もっと一緒にいる時間が欲しいと考えるようになった。少しの時間も惜しくなる。ハルの知らない顔を知っていく度に、その愛が増していくのだ。
それ故に、今回の事は何かあったのかと気になってしまう。ハルのことを信じていないわけではないが、胸の奥が騒がしくて仕方がない。いつから俺は、度量が狭くなってしまったのだろうか。
連休前、さすがに休日のどこかでは会えるだろうと思っていたが、電話をしても物凄く小声で余所余所しく曖昧な返事を返されただけだった。
また連絡すると言われたがいつまで待てばいい。ハルに最後に触れたのはいつだっただろうか。その温もりに触れられない手がとても寂しく思えた。
だが絶対に何かある。何かを隠している。それがもし俺自身に関わるのであれば、話し合わなければならない。
連休
「ちょうど良かった杏寿郎! これから職場にちょっと行かなきゃいけなかったんだけどハルを置いて行けないからさぁ」
「あのお姉さん…ハルは?」
「さっき寝たところよ。いい? 微熱だけど絶対安静! これでも私、医師免許持ってんだから」
ハルが倒れたと電話口で言われた時は肝が冷えた。急いでマンションに来た俺を迎えてくれたお姉さんは、ハルの部屋ではなく俺をリビングへと案内する。
早くハルの顔を見たい、そう伝えても笑ってはぐらかして俺に紅茶を差し出した。
「だって今の杏寿郎、ハルを起こしかねない。ずっと会ってないでしょ? あんた達」
「どうしてそれを…」
「分かるわよ、それくらい! だってずっとハルの様子がおかしかったし、喧嘩でもしたのかと思えばそうじゃないって言うし」
「ハルは…俺に何かを隠してるようだ。最近余所余所しくて会うのも控えたいと言われた。さすがにこの連休も会えないとなればおかしいと思うのは当然であろう? お姉さん、ハルに何かあったのか?」
俺の問いかけに、「下手なのよ、あの子は」とお姉さんは口許を緩ませて微笑んだ。
◇
「……杏寿郎さんっ、なんで?」
慌てて起き上がろうとしたハルを制止し、手を握りしめたまま彼女の額に触れた。まだ少し熱があるようだ。状況が読めておらず困惑するハルに笑みを向ける。
「ハル、大丈夫か?」
「あの、どうして…」
「君からの連絡を待てなくて電話をしたらお姉さんが出た。そしたらハルが倒れたと知らせてくれて……どうして無理をしたのだ?」
「それは…」
「……俺のため、なんだろう?」
確信めいた言葉を吐き出せば、予想通りの驚愕した顔が現れる。今度こそハルは上体を起こしてベッドサイドの眼鏡を掛けると、真っ直ぐに俺を見つめた。瞳が潤んでいるのは熱のせいだろうか。
どうして、と呟き目を泳がせるハルの手を引き、腕を伸ばして抱きしめる。何とも言えない愛おしさが溢れて身体が勝手に動いていた。
「お姉さんが教えてくれたのだ、最近の君の様子を。同じ料理を作っては試行錯誤をしていると。台所に置いていたメモを見て分かった…全部俺の好物だ。それも母が作る料理の。もしかして、母に教わりに行っていたのか?」
身体を少し離すと、交わった視線を逸らし伏せ目になったハルが、小さく言葉を繋いでいく。
「……すみません、勝手な事をして。でも杏寿郎さんが以前職員室で話してたのを思い出したんです。お義母さんが作る好物が一番美味しいって。だから、それを教わって、作りたかったんです……お誕生日に」
「母に…そうだったのか。では何故俺を避けるような事を? 理由を言ってくれたら…。俺はてっきり、ハルを無意識に傷つけてしまったのかと、」
「理由を言ったらサプライズにならないじゃないですか! 杏寿郎さんの驚いた顔が見たかったんです。でも会話をするとボロを出してしまいそうで…それで出来るだけ雑談をしないようにと思って。でも私はそういうのが下手だったみたいです。不安にさせてごめんなさい」
ハルが隠し事が苦手なのは知っていた。だがまさか自分のためにそのような事をしているなど予想もしていなかった。
自分の時間を削ってまで、寝不足で倒れるまで。俺のために。
「…無理をしてまですることではないだろう」
「……」
「だが、君がそうまでしてくれようとした事がとても嬉しい。俺の誕生日をそんな風に祝ってくれようとしていたなんて。あぁもう、なぜ君は……」
こんなにも俺の心を掴んでくるのか。
溢れてくる想いを上手く言葉にできず、またハルを抱き寄せ胸に抱き留めた。今にも破裂しそうなこの心音が伝わっているだろうか。
ハルの頬に手を添えると自然と顔が上がり視線が交わる。薄く開いているその唇に静かに自分のそれを重ねた。
具合が悪い彼女を前にして自制ができなくなるなんて男として失格だろう。そう思うもハルの温もりを知った唇を離すことも、その腕を緩めることも出来なかった。
暫く触れられなかった穴埋めをするかのように、唇を啄み、舌をハルの口内へ差し込めばいつもより熱を持った舌が絡んでくる。
熱くなった血液が循環し、一点に集中しようと駆け巡っている。俺の胸板を軽く推し唇を離したハルが大きく息を吸い軽く咳き込んだ事で、ハッと我に返った。
「すまない、具合が悪いのに…」
「大丈夫。私も……杏寿郎さんに会いたかったし触れたかった。出来もしない事はするものではないですね。この数日間、本当に心が寂しかった。でも自分で決めたことだし初めて恋人としてお祝いできる誕生日だから…無理をしてでもやりたかったんです」
真っ直ぐ俺を見つめて自分の気持ちを話すハルの髪をそっと撫で下ろした。自分の生まれた日を大切にしてくれようとするハルの気持ちが嬉しかった。
「ハル、ありがとう。だがこれ以上無理はしないで欲しい。倒れたら元も子もないであろう。それに…誕生日は毎年来る。来年も再来年も、一緒に過ごしてくれるんだろう?」
「もちろんです! ずっとずっと、お祝いさせてくださいね」
微笑むハルをもう一度抱き寄せ、唇を重ねそのままベッドへと倒れ込んだ。脳内ではお姉さんの絶対安静が木霊していたが、その熱を離すことなど俺には出来なかった。
◇
「良かったですね、喜んでもらえて」
「よもや、ハルの考えには驚いた。俺の誕生日に、母に花をプレゼントするなど」
「だって、杏寿郎さんが生まれてこれたのはご両親のおかげでしょう? きっと自分の誕生日よりも大切な日だと思うから……そういう家族だって知ってるから渡したかったんです。煉獄家は私が夢みた家族なんです。だから私も、大切にしたい」
そう話すハルの表情は過去を思い出して少し辛そうにも見えた。だけどすぐに笑顔を見せ、「本当に素敵な家族です」と繋いでいる手に力を込めた。
俺の誕生日に実家に顔を出したいと言ったのはハルだった。その道中に母に渡す花を二人で選んだ。自分の誕生日に親に感謝の意を伝えるなど始めてだったが、喜んで目を潤ませた母を見て心の底からハルを好きになってよかったと思えた。
ハルが今までしたくても出来なかった事を俺が叶えてあげたい。恋も愛も家族も、すべてハルと一緒に叶えていきたい。
「杏寿郎さん、生まれてきてくれてありがとう。私と出逢ってくれてありがとう。好き…大好きです」
俺はこの幸せを、彼女の笑顔を守っていく。
君と出逢えて