夢の続きを約束しよう
支度を早めて急いでマンションを出た。
あの後、不死川先生から一部始終を聞いて余計に夢との境目が分からなくなった。だけど、二人に迷惑をかけたのは事実で、煉獄先生に謝ろうといつもより早めに学校へと向かう。
これからユヅキが一緒に住むなら色々と決めたい事もある。大学生の時とは状況が違う。本当ならユヅキの帰国だけでも頭を使うのに昨夜の失態に違う意味で頭が痛かった。
職員室に着くと、当たり前にまだ誰もいなくて自席に荷物を置いた。早すぎたか。でも煉獄先生はいつも私より早く来ていた気がする。隣の煉獄先生の席を見ると、鞄が椅子に置いてある。もしかして、と私は剣道場の方へと向かった。
少しだけ開いていた道場の入り口。その中を静かに覗くと、袴を着た煉獄先生が一心不乱に素振りをしている後ろ姿が目に止まった。朝練をしている生徒がいるわけではない。煉獄先生ただ一人。窓から射し込む日光に、汗がキラキラと輝いているようだった。
どれくらい見ていたのだろうか。ふと素振りを止めた煉獄先生が振り返った。気付かれないと思っていた私は、完全に煉獄先生に見入っていてその反応が遅れてしまう。名前を呼ばれて、ハッとした。
「ハル先生! 朝早くからどうかしたか?」
「煉獄先生……あの、」
道場の外に立つ私に汗を拭きながら近づく煉獄先生は、昨日の事などなかったかのようにいつもと何も変わらなかった。安堵と同時に、少し哀しい気持ちになる。
煉獄先生の気持ちは私が勝手に期待していたのもなのだろうか。だって、もし好意があるなら手を出さずに送るだけなんてあるのだろうか。不死川先生はそうじゃなかったのに。分からない、男の人が。
だけど、そんな事本人に聞くことなんて出来ない。
「昨日、家まで送ってくれたんですよね? ご迷惑を掛けてしまって、すみませんでした」
「迷惑ではないし謝る必要もない。体調は問題ないか?」
「はい。それで……その…」
二の句が言えずに視線を泳がせていると、煉獄先生が不意に私の手首を掴んで引っ張った。慌てて靴を脱いで道場内に入る。私を引き入れた後、煉獄先生は道場の扉をピタリと閉めた。
「昨日のこと、覚えているのか?」
ほんのり顔が赤いのは運動した後だからなのだろうか。煉獄先生の双眼が私と、私の心臓を射抜くように真っ直ぐ見ている。上がっていく心拍数に私は無意識に手を胸に当てていた。
「覚えています、たぶん。だけど現実なのか私の妄想なのか分からなくて。その、私……もしかして煉獄先生とキ――」
キスをしましたか。
その言葉は、煉獄先生の指が唇に触れた所為で最後まで言えなかった。キスとは違うドキドキが襲ってきて熱が顔に集中する。少し唇を動かせば、煉獄先生の太い指に触れて変な気分になる。
真剣な眼差しを向けた後、煉獄先生が柔らかく微笑んだ。
「ハル先生と話がしたい」
「……え?」
「もうすぐ始業だし俺も今から着替えなければならない。今すぐ伝えたい事はあるが、学校ではない場所でゆっくり話したい。いいだろうか?」
「私も、煉獄先生とお話がしたいです」
「それは良かった。今夜はどうだろうか?」
はい、と言いかけて口を閉ざした。そういえば、ユヅキが同期が来るとかどうとか言っていた気がする。煉獄先生の表情を見れば、その話が私にとって良いものであると思いたい。本当なら今すぐ聞きたい。だけど、ここは神聖な学校。外では登校する生徒たちの話し声も聞こえる。
私は迷った挙句、今夜は予定がある事を伝えた。それは私の下心からだった。その選択が私の運命の歯車を狂わすとは知らずに。
「日曜日は、どうですか?」
「日曜?」
「も、もちろん忙しければ来週の放課後でも大丈夫です! ただ……たくさん時間があれば、煉獄先生と長く居られるかなって思って。それだけなので」
「ハル先生。君はまったく」
煉獄先生は一度天を仰ぎフゥと深く呼吸をすると、私の頭をポンと撫でた。日曜日が楽しみだ、と口角を上げながら。
その動作を意味するものは理解できなかったが、私は予定を取り付ける事が出来たことに満足し、登校の予鈴を聞いた私達は急いで準備に取り掛かった。
職員室に戻って、スケジュール帳に予定を書き込む。私にしては頑張ったと思う。緩みそうになる顔を引き締めるべく眼鏡を上げ直すと、ちょうど職員室に入ってきた不死川先生を見てもう一つの悩みを思い出した。
「よォ、ハル先生。今朝は悪かったなァ」
「ちょ、不死川先生!……やめてください、その事は学校で言わないで」
普通に話してくる不死川先生の口を思わず塞ぐ――実際には机が邪魔で出来ないけど――ように立ち上がって最後は小声でその先を制した。
「何で秘密にしてんのか知らねェけどそれをペラペラ言うつもりはねェから安心しろ。ただ、ユヅキとの事は何も言うなァ。お互い大人なんだしよォ」
「大人だと言うなら節度を弁えてください。人の家で裸でうろつくなんて。まぁもう次はないかと思いますけど」
「あァ? 何でそうなんだよ」
「……不死川先生は知らないと思いますけど、ユヅキはそういう人なんです、昔から。だから期待しない方が不死川先生の為で――」
「うるせェ」
低くなった声に口を噤んだ。不死川先生のこういう威圧はよく見る光景だったけど、私にそれが向けられる事は今までなかった。だけどその表情を見ると、威圧とは違う何かが垣間見えたような気がしてその目をジッと見ていると、「見んじゃねェ」と視線を逸らした。
「素顔は似てんだな、お前ら」
「え?」
「ユヅキがどんな人間だろうと構わねェよ。それに、これから分かんならそれでいい」
その言葉に愛が隠れているのは私でも分かった。
頬を指で掻きながら照れを隠しているようなそんな顔。今まで一緒に教鞭を執っている中では見たことの無い表情だった。もしかしたら不死川先生は…。
有り得るのだろうか、たった一度の関係でそんな事。相手がどんな人間でもいいなんて言える程、そんな風に言わせる程、ユヅキは不死川先生の心を掴んだのだろうか。
どうしたら、そんな風になれるんだろう。昔から人の心を掴むのが得意だったユヅキ。だけど自分の心を誰かに掴ませたことがあるのかどうか、私は知らない。それが不死川先生になるんだろうか。
「心配してくれてんのは有難てェが、自分のことを心配したらどうだァ? どうなってんだよ煉獄と」
ニヤリと笑った不死川先生に、今度は私が熱くなった顔を逸らし自席に座った。目の前で喉を鳴らして笑う不死川先生。恥ずかしくなった私は急いで授業の準備をして職員室を出ようとした。
入口の引き戸が勢いよく開き、タイミング悪く突っ込んだ私はその胸に勢いよくダイブしてしまう。即座に抱きとめてくれたその手。それが煉獄先生の体温だと分かった私の心臓は、すぐにでも破裂しそうだ。
「おっと、ハル先生。大丈夫だったか?」
私は顔を上げずに謝ると、教科書で顔を隠すようにして急いでその場から離れた。焼けるように顔が熱かった。目が合ったら気持ちが溢れて声になってしまいそうだった。
日曜日、どんな服装で会えばいいんだろう。悩んだ挙句、私はLINEでユヅキに連絡をした。こんなお願いをする事になるなんて、と思いながらも、近くにいるんだと実感できて少し心が温かくなった。
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