その温もりが欲しかった

 本音を話して自分の素顔を曝け出すことがいつも怖いと思っていた。それを言って相手が嫌な顔するのも、自分が期待するものとは違う答えが返ってくる事も怖くて、いつしか私はそれを吐き出すことをしなくなった。
 それはユヅキに対しても同じで、大人になるに連れて自分の話はあまりしてこなかった。勿論、赤の他人とは違って自分の素の部分は出しているけど。そしてそれは、ユヅキも同じだって思った。私達は似ていないようでやっぱり似ているんだ。

 私の話を驚きはしたものの軽蔑することもなく聞き入れてくれたユヅキ。大事なのは過去を悔やむことじゃなくてこれからどうするかだ。そう教えてくれた。これから先、私はどうしたいんだろう。今はそれさえも分からない。だけど煉獄先生を好きな気持ちは何も変わらない。そう信じたい。
 それから今度はユヅキがポツリポツリと言葉を繋いでいき、私の知らないユヅキの恋を教えてくれた。
 ユヅキが愛が分からないと過去に色んな人と一期一会の恋をしていたのを知っている。それが恋と呼べないものもあった。だから、付き合ってた人がいるという事にも驚いたし、何よりそれを話しているユヅキの表情がまさに恋する乙女のような顔をしていた事が嬉しかった。本人は気づいてないのかもしれないけど。
 私も自分の心にある好きという感情が果たして正しいのか分からない。形だけの家族だった私達には、無条件に愛されるという感覚が分からないのだ。アルミンとのことがなければ、私は煉獄先生を心から好きだと言えたのに。
 その日は、久しぶりにユヅキと一緒に寝た。まるで空白の二年間を埋めるように、私はユヅキの話を聞いたし、ユヅキは私の話を聞いてくれた。
 きっと、この先に何があろうとも私の味方はユヅキで、ユヅキの味方は私である。それだけは何があっても変わらないだろう。





 待ち合わせ場所に向かうと、そこにはすでに煉獄先生が待っていた。周りからの視線を集める凛とした佇まい。学校でのスーツ姿とはまた違う、少しラフなジャケット姿にキュッと胸が締め付けられる。私はと言うと、ユヅキに相談して普段と違う服で行きたいと思っていたのだが、そんな気分には到底なれず普段と同じ服装になってしまった。
 このまま帰ってしまおうか。そんな考えが一瞬過ぎるも、「今日はしっかり楽しんでおいで! アルミンとのことはその後考えればいい」と私を見送ったユヅキの言葉に、重たい一歩を踏み出す。私の姿に気づいた煉獄先生が手を挙げて私を迎えてくれた。


「遅くなりました、煉獄先生」
「いいや、俺が早く着きすぎただけだ。ハル先生は時間通りだぞ。向こうに車を停めてあるから少し走らせよう」


 煉獄先生が歩き出し私もその後を着いて行く。すぐに視線が降ってきて何かと小首を傾けると、煉獄先生が私の手を取りまた歩き始める。
 大きく私を包むその手はやっぱり温かくて、その熱が全身に伝わるっていくかのように私の鼓動を早めていく。たったそれだけのことで、私の心臓は正直に煉獄先生に反応していた。
 当たり前に助手席に私を案内した煉獄先生の運転する姿は、溜め息が出るほど素敵だった。ずっと見ていたい衝動を抑えて何度かチラチラと盗み見るように見ていたのに、「何か俺の顔についてるのか?」とあっさりバレてしまう。


「い、いえ! その……運転する姿が、カッコいいなと」
「うむ、そうか。少し気恥しいが、そう言ってもらえて光栄だな」
「煉獄先生、あの…」
「今日はその"先生"というのはやめにしないか?」
「え?」
「職場ではないし、先生同士ではなく君と対等に話がしたい。普段の君が知りたいんだ」
「じゃあ……煉獄さん?」
「うむ、そうきたか。まずはそれでも良しとしよう……ハル」


 ちょうど赤信号で車が止まり、煉獄先生…いや、煉獄さんの大きな瞳がこちらを向いて私の名前を囁いた。今までハル先生と呼ばれていたのだから、ハルと呼ばれるのは普通なのだろう。だけど煉獄さんに呼ばれる名前はとても特別に思えた。
 私も、杏寿郎さんと呼びたい。少し前の私ならその勇気も出せたかもしれない。だけど今の私にはそんな資格がない。煉獄さんとの距離が縮まれば縮まる程、苦しくなる。

 地元だと生徒や保護者の目があるかもしれないからと、隣の市までドライブをした。その間は他愛もない世間話や学校の話をした。煉獄さんと呼ぶ事になれず、何度か「煉獄先生」と呼んでしまう私に彼は笑い、「慣れないものだな」と頭を撫でてくれた。
 そんな些細なやり取りも私には勿体ないくらい幸せだった。本当に夢を見ているかのようだった。
 海の見えるレストランでランチをした後、二人で海風に揺られながら散歩をしていた。その間も煉獄さんは私の手を取り、当たり前に繋いでくれる。大きくて温かくてゴツゴツとしている男らしい手。ずっとこうして触れる事を望んでいた。


「ところで、ハルはあのマンションに一人で住んでいるのか?」
「元々は姉のユヅキと一緒に住んでいました。大学卒業してからユヅキは海外だったのでそれからは一人で」
「ご両親は一緒じゃないのか?」
「はい。私達は小さい時から両親とは殆ど一緒にいませんでした。離婚こそしてませんが、お互いに相手がいるようです。それなら家に帰る意味が無いと、高校を出てからユヅキと一緒に生活してました」
「そうだったのか……」


 いつも凛々しく上がっている煉獄さんの眉毛が少し下がった。家の事情を話すとみんな腫れ物を触るかのような扱いをする。それが同情なのか哀れなかは分からない。そして必ず聞いたことに対して「ごめん」と謝られるのだ。
 煉獄さんもきっと。そう思っていた私に煉獄さんは繋がっていない方の手で私の頭を撫で、「前を向いて頑張っていたのだな。凄いなハルは」と労いの言葉をくれた。それからまた私の手を引いて歩く。
 あぁ、やっぱり煉獄さんが好きだ。温かなその手に溶かされるように、私の涙腺が緩みそうになる。今すぐ飛び込んでしまいたい。


「ハル」


 煉獄さんの足が止まり、その視線が私に真っ直ぐ向けられる。剣道場での煉獄さんの表情を思い出し、きっと本題に入るのだろうと私もその足を止めた。
 その強い眼差しを向けたまま、煉獄さんがキュッと少しだけ喉を鳴らす。緊張とは無縁そうな煉獄さんが深く息を吸っている。そんな姿すら愛おしい。私以外に見せて欲しくないと思う程。


「あの日……ハルを部屋まで運んだあの日だが、俺は君の唇に触れてしまった。寂しいと俺を見つめるハルに自制が効かなくたったのだ」
「それは嘘、ですよね。私が酔って煉獄さんの唇に…。すみませんでした」
「謝る必要などない! その後、更に口付けをしたのは俺の方だ……ハルは寝てしまって覚えてないかもしれないが。そのままそばにいて、何もしないという自信がなかった。だから君を寝かせてから俺は家に帰ったんだ。こちらこそ、申し訳なかった」


 頬を赤らめながら真摯に事実を伝える煉獄さんは、本当に誠実な人なのだろう。隠したり嘘をつこうという考えなんてきっとない。私が覚えてないかもしれないのに、自分に不利があっても隠そうとしない。
 私からのキスで、煉獄さんが私を求めてくれたのならそれでいい。私に魅力がなくて帰ってしまったのだとばかり思っていたから。


「それこそ、謝る必要なんてないです。煉獄さんは正しい。そもそも酔って開放的になってしまうなんてそんな事……あってはいけないんです」


 そう、そんな事してはいけない。だから煉獄さんは帰ったのだ。理性を働かせて。
 私にはその理性がなかったというだけ。それだけの女なのだ。


「俺はちゃんと想いを伝えて心を通わせてから、ハルとそうなりたいと思ってる。ずっとハルの事を想っていた。ハルが好きだ」
「煉獄さん……」
「俺の、恋人になってはくれないだろうか」


 繋がったままの手に力が入ったのが分かった。私を見つめる瞳の奥で揺れる赤が、胸を熱くさせて締めつける。その手から、全身から、煉獄さんの緊張が伝わってくる。
 真正面から本音をぶつけてくれた煉獄さんに、私は繋がる手を見つめて潮の香りがする空気を深く胸に吸い込んだ。





 マンションのエレベーターに乗り最上階へと登る。意味もなく次々と変わっていく階数を眺めるように上を向いていた。
 玄関には綺麗に揃えられた革靴が一足。帰る前にユヅキからLINEが入っていたからそこに誰がいるのかは分かっていた。
 私はまた深く呼吸をすると、わざと聞こえるように「ただいまぁ」と声を出す。自分の声じゃないみたいに明るかった。
 自分の部屋にいると思ったユヅキはリビングにいて、そこは何とも甘ったるい空気が流れていた。ソファに座りユヅキを後ろから抱きしめるように座っている黒髪の男。その鋭い視線が飛んでくる。


「あ、ハル! おかえり〜」
「うん、ただいま……初めまして、私っ……」


 挨拶しなきゃ、と平静を装って口を開くも、ユヅキの姿を見たからだろうか、喉の奥から込み上げてくるものが抑えられず声が途切れた。
 不審に思ったのだろう。ユヅキが私に近づく足音が聞こえるも、私の視線は足元から動かせなかった。滲んで熱くなった水が瞬きで落ちていく。


「……馬鹿ね、ハルは」


 優しいユヅキの声が聞こえて、私はユヅキの温もりに包まれた。涙がユヅキの肩を濡らしていく。もう泣いてもいいだろうか。もう我慢しなくてもいいだろうか。


「ユヅキぉ……私っ、できなかった。煉獄さんの告白断っちゃったよっ……好きって言ってくれたのに。恋人になって欲しいって言われたのに……もうどうしたらいいか分かんないよっ…」


 私はあの優しくて温かな手を離した。飛び込めなかった、煉獄さんの胸に。何もかも隠して付き合うこともできたけど、私にはそんな度胸はない。大好きな煉獄さんに胸をときめかせるのと同時に、どうしても思い出してしまうのだ。アルミンとの事を。
 この消せない事実がある限り、私はこの人のそばで笑えない。煉獄さんを好きだと心から言えないよ。




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