心の葛藤 肆
ハルが目を開けたのは、意識を飛ばしてから丸一日以上が経った夕暮れのことだった。
まさかそんなに長く目を覚まさないとしのぶも義勇も思っていなかったので、二人してかなり心配はしていたのだが、起きたハルの第一声が「お腹空いた」だったので、一気に肩の力が抜けた。一通り診察をしたしのぶが部屋を出ると、アオイが作ったお粥を食べているハルを、義勇はずっと真っ直ぐ見つめていた。
鴉から報せを受けた義勇は任務中であった。そもそも任務中にそんな報せを伝える事などないのだが、しのぶの鴉からそれを受け取った義勇の鴉、寛三郎はおじいちゃん鴉なので、よくあるミスだった。だが、義勇にとっては今回ばかりは例え戦闘中であろうと後回しにはできない内容だった。
寛三郎の伝え方も悪かったのだが、ハルが倒れたと聞いて、戦闘中の義勇は今まで以上に呼吸の技を乱発させて複数体いた鬼を一気に滅殺した。そしてそのまま、蝶屋敷へと急いだのだ。
蝶屋敷に着いてから、寛三郎が誤って大袈裟に伝えたのだと分かっても、義勇の不安が消えることはなかった。ハルが目を覚ますまでずっとその手を握っていたのは、その姿がなくなってしまうのではという不安と、ただその温もりを愛おしく感じていたからなのだ。
ごちそうさま、と茶碗を横に置いたハルが何も言わない義勇を見て小首を傾ける。義勇さん――と名前を呼ばれて、熱くなった心に自身を制御できなくなってしまったのだ。ハルが倒れたと聞いて、居なくなってしまうかもしれないという不安を感じて初めて気づいた。どれだけ自分の心に入り込んでいたのか。どれだけ彼女の存在が大きかったのか。失うかもしれないと思った時に、怖くなったのだ。
ハルの手を取り、その手を両手で包み込むとそのまま自分の頬に引き寄せた。とても愛おしそうに。
指先に義勇の唇が当たって、単に抱きしめられるよりもドキドキとするその行動にハルが目を見開いてることも、目を閉じてる義勇には分からない。義勇自身もこの初めての感情に、どうしたらいいのか分からなかったのだ。
「義勇さん?」
「このまま、目が覚めずに消えてしまうのではないかと思った。誰かを失って怖いと思うことなど、もうこれ以上ないと思っていたのに」
義勇はハルの手を離さなかった。
その言葉の意味がどういう事なのかを理解したハルは、なんと答えていいのか分からず、彼女を見つめる義勇から目を逸した。それは拒絶ではなく、ハル自身も困惑していたのだ。
その悩みが原因で寝不足になり倒れた事など義勇は当然知らない。それに、自分はそんな風に想ってもらえるような人間ではないのだという気持ちが強かった。
過去のことで義勇に言えない事もある。実弥の事も、敢えて伝えずに彼に会いに行っている。そんな自分を義勇がどう思うのかと考えたら、言葉に出来なかった。
「抱きしめても、いいだろうか」
黙ったまま、ハルは頷いた。今まで何度かそうしてきたのに、今ここで初めて許可を求めてくるなんてズルいとハルは思った。だけどそれを拒否できなかった。
ゆっくりと立ち上がった義勇が、その胸にハルの頭を抱えるように抱き締める。
「ずっと側にいて欲しい……」
義勇の言葉に、ハルは何も言わなかった。それでも義勇はハルを離すことなく、ハルの小さな体を抱きしめていた。