そんな風に笑うなんて聞いてません。



きっとあれは、私の人生で最初で最後の一目惚れ、なのだと思う。


「ここさっきも通った気がするし、通ってない気もする…」

 東京と思えないような木々に囲まれた私の新しい学校、呪術高専に来て一時間後には見事に広い校舎に迷子になった。長い廊下を前後左右と見渡してみても、見慣れたものなんて全くなくて心底深い溜息が漏れた。こんな事なら荷解き終わったから探検してみよう!なんて呑気なことを思いつかなければよかった。
 当たり前に自分の寮の部屋までの道のりもわからないし、かといって部屋まで案内してくれた先生がいる場所さえも知らない。木造の校舎はどこも同じような造りでよくわからず途方にくれる。肩を落としながら廊下をとりあえずトボトボと歩いてると、その先にやっと人がいるのを見つけた。

「あの!すみません!」

 まさにその人は迷子の私にとって神様仏様天使のような存在で、意気揚々と大きく声を出して両手を振りながら駆け寄っていった。冷静に考えれば相手はいきなり大声で話しかければビックリしてしまうだろうけれど、その時の私はもう半日くらい遭難してる気分で必死だったのでそんな考えなんて頭の片隅にもなかった。
 長い廊下を走っていると、何となくのシルエットだった人影がどんどん輪郭がハッキリとしてくる。ふと、その人の方に駆け足で向かっている最中に頬を撫でるように風が吹いた。恐らく開けっ放しの窓から入ってきた風で、それと共に校庭の大きな桜の木の花びらが廊下に流れてくる。目の前の男性は、風で靡くキラキラと輝く金髪の髪を耳にかけながらふと顔を上げた。

「一年生ですか?」

 意外と低音の声はさらりと春風に乗って私の耳に届いた。学生服に身を包んでいる彼は、きっと私と同じこの学校の生徒なんだろう。目の色は日本人離れしている青緑っぽい色で、なんだろう、エメラルドグリーンともサファイアとも言い難い…深い海みたいな色合いだ。そうするとまた窓から風と一緒に桜の花びらが吹いてくる。今日初めて手元に届いてま着たからプリーツがしっかりとついているスカートが太腿を撫でる風でひらりと靡いて、太陽の光を反射する彼の髪も耳から落ちて揺れる。とても、純粋に、綺麗だと。そう思った。
 目の前の光景がまるで外国映画のワンシーンのようで惚けていると、それに反して彼の眉間の皺はキュッと寄った。そこでやっと自分が問いかけを無視してしまっているのに気付いて、我に帰り慌てて口を開いた。

「は、はい!!」
「事務室はあっちの階段を降りて、右に曲がってすぐの部屋ですよ。」

 思ったより大きな返事が出てしまって気恥ずかしくなっていると、男の子は気にした様子もなく私がきた方向の反対の廊下を指さして答えてくれた。私が迷子になっているのを何となく察してくれたんだろう。彼の真っ直ぐ伸びる指先を見つめながら、言われた内容を二、三度頭の中で噛み砕きやっと意味を理解する。知りたかった道のりも、此処から離れ難さしかなくて知りたくなかったと心が矛盾して大喧嘩している。でも、何か話しかける勇気もなければ、肝心なステキな話題も何一つ思いつかない。五秒くらい脳内の色んな私と作戦会議するが名案など浮かばず、泣く泣く根が張ったように重い足をどうにか動かす事にした。
 彼の横を通り過ぎる時にありがとうございますと小さく頭を下げて小走りで廊下を進んでいる間も、心臓がバクバクと煩く脈打ち、先程の時間を思い出すだけでも顔が熱い。あぁ、声が震えなかっただろうか。変じゃなかったかな?
それが学生時代の、一番色濃い青春の思い出。


 □■□


「はぁー…今日七海さんと仕事一緒だから残業してもいいわ」

 淡い初恋を抱いていたウブな私もあっという間に大人になって、今では四捨五入したらアラサーの仲間入り突入し大人になってしまった。時の流れとは本当に恐ろしい。事務室で今日の業務内容をタブレットで確認すると、お昼から一件だけ表示されていた。そしてそれは、送迎を担当する七海一級呪術師の名前が書かれていて思わず頬が緩んでしまう。そのまま背もたれに体重をかけてもたれると、使い古された歴史を感じる椅子がギィッと辛そうな音が事務室に響いた。断じて私が重い訳ではない。
 ほぼ独り言な言葉を、隣に座る私の同級生兼同僚の伊地知くんが相変わらずやつれた頬で苦笑いして拾ってくれる。

「でも、七海さんならきっと定時で終わりますよ」
「知ってるよ、言葉のあやよ。伊地知くんのイジワル」

 唇を尖らせると、伊地知くんはすみませんとまた苦笑いした。彼は今日は五条さんと一緒らしい。女性補助監督の中では大人気な特級様も、昔から振り回された後輩としては真逆の存在でしかない。ドンマイと心底同情しながらナムナムと手を合わせる仕草をして見せれば、伊知地くんはそれはもう深い溜息を吐き出していた。伊地知くんは本当にすごいと思う、私だったら胃に穴が空きすぎてアニメのチーズみたいになってる。
 そんな気苦労の耐えない彼の肩を叩きながら時計を確認すると、いい時間になっていたので今日の資料と軽めの軽食と、そしてもしもの時の応急処置の道具を鞄に詰め込んで最後に車のキーを持って立ち上がった。


「お疲れ様です!」
「お疲れ様です。よろしくお願いします。」

車を道の端に寄せて左手につけた時計を確認している時に、少し先から見知った姿が見えてドクリと小さく胸が鳴る。私含め周りの人は真っ黒な服が多いので、グレーのスーツに身を包む彼は遠くにいてもすぐに見つけられる。そして、恐らく私の初恋フィルターがかかっている効果も少なからずはあるだろう。
 挨拶をして後部座席の扉を開けると、七海さんは小さく一礼してくれてからその大きな背を折り曲げながら車の中に入っていく。呪術師の人々の中で、彼のように礼儀正しい人は正直言って多くはない。特に家柄のある方は、補助監督なんて底辺で落ちこぼれだなんて思う方もいらっしゃるので挨拶なんてもってのほかだし、無視に罵倒悪口セクハラパワハラのオンパレード。最初こそ落ち込むことはあったけれど、もう何年も続けてればこっちもスルースキルが爆上がりしてなんとも思わない。
そんなカス達の真逆の七海さんは相変わらずスマートでかっこいいなぁとしみじみしながら、自分も運転席に乗り込んでシートベルトをつける。運転を始める前に鞄の中から数枚をホチキスで止めた資料を出して、少し身を乗り出して後ろの七海さんに差し出した。

「七海さん、こちら本日の呪霊の追加資料です。」
「ありがとうございます」

 彼の独特のサングラス越しにチラリと目があった気がしたけど、その中身はあんまり見えないのでこ都合のいい私の願望で思い過ごしなのだろう。至近距離で顔面を拝めて幸せを噛み締めながら、気を取り直して正面に向き直りいつも以上に安全運転を意識しながらゆっくりとアクセルを踏み込んだ。
 

 補助監督と呪術師だと、正直関わることは多そうで実は少ない。送迎して、現場の情報報告をして、報告書受け取って…くらい。担当制という訳でもないから毎回空いている人から仕事をねじ込まれるし、何度も仕事した事があっても呪術師の方にとって私たちはただのモブで覚えられてない、というのもあると思う。なので、私は所謂モブってやつなのだ。

「七海さん、今日は帰りは高専で大丈夫ですか?」
「えぇ、報告書を提出してから帰りますのでそれで大丈夫です。」
「かしこまりました。」

 チラリと、バックミラーで後部席の七海さんを確認するとタブレットを操作していた。タブレットを見る姿も様になっていて格好いいと思うから、恋が盲目って本当だ。すると七海さんは作業を中断して顔を上げたので思わずバックミラーからハンドルに視線を戻して目を逸らしてしまった。
 高校一年生の時に一目惚れはしたものの、在学中は恋愛フィルターのお陰でドキドキし過ぎてちゃんとお話したことは両手に収まるくらいしかした事なかった。一度は七海さんがこの世界を離れて恋心が落ち着いた事と、私も青臭い時に比べて今では大人になったので今では業務内容くらいだったら普通にお話が出来る。まぁ、今さっき目は逸らしてしまったけれど。
 七海さんは世間話はあんまり好きそうじゃなさそうだし、何より仕事中に話しかける勇気はないので帰り道に不意に七海さんが話を振ってくれる時はとてつもなく嬉しい。学生の時はとまた違うスマートさと大人な雰囲気がとても格好良いけれど、きっと今はあの頃の好きって気持ちよりも推しに近いんだと思う。社畜の毎日だけど、今日も推しを拝めたから頑張れるぞーっていう、そんな感じ。私はもう昔のように恋にドキドキするお年頃じゃないから、そんな風に枯れた日々に幸せを見つけてるのだ。
 自己分析するようにそんな事を考えていると、少し先の信号が赤に変わったのが見えて、ゆっくりブレーキを踏む。この小さな休憩のタイミングでお茶でも飲もうかと隣のドリンクホルダーに手を伸ばした時に、どことなく車内の重心が傾くように少し揺れた。それは私の動作のせいではきっとなくて、不意に振り返ると七海さんが運転席の方に身を乗り出すように腰を上げていて、私が振り返った事によって思ったよりお互いの顔が近かった。

「ひょぇ…!?」
「変えましたか?」

 ここまで至近距離だと、サングラス越しの目がどことなく透けて見えて視線が絡み合った。思わずすっとぼけた声を出してしまったが、七海さんは気にすることなく問いかけてくる。かえる、帰る、あぁ、変える?

「な、なななにがでしょうか!?」

 混乱した頭で七海さんが言った言葉を変換するけど、いきなりの話題でなんの事だか全くわからない。見つめ合っている今この状態にも余計に脳みそが働かなくて、失礼にあたるかもしれないけどバッと前を向き直して縋るように両手でハンドルを握り締めた。恐る恐るバックミラーを使って七海さんを見ると、相変わらず此方を見つめていて考えるように顎に手を置いている。

「香りです。香水ですか?それか、柔軟剤など」

 香水。そう言われると心当たりがあって、香水を吹きかけた耳裏に無意識に手を伸ばすとあり得ないくらい熱かった。

「こ、香水を…いつも季節ものを選んでるんですが、春になったので昨日お店に見に行ったら春限定の香りがありましたので、今回はそちらにしてみまして…」

 仕事着は毎日黒のスーツで面白みがないので、基本的にはコスメや香水などでしか楽しみがない。仕事場に楽しみを求めるなって人はいるかもしれないけど、息抜き出来るところが少しくらいないとこんな仕事やっていけない。この間の休みに自分へのご褒美を探しに行ったら【限定!】と大きなポップな字で書かれた看板に簡単にそのお店に吸い込まれてしまった。確か香りは、ピオニーやスイトピーなどのお花の香りにちょっぴりだけオレンジの香りも混ざっていた気がする。
 香水をつけた耳裏から首へと手を滑らせてみても触れる全ての場所がとても体温が熱い。そんなことをしているといきなりクラクションの音が鳴り響いて、ハッと前を向けば赤だった信号もすっかり青に切り替わっていた。慌ててアクセルを踏んで走り出し、またバックミラーでチラリと確認すると七海さんはもう後部座席の方に戻っていた。元通りになった距離に心底ホッとしたが、少しだけ冷静になった頭がすぐに他の思考回路が働いた。

「もしかして、臭いですか…!?かけすぎですよね、すみません!!」

 香水の匂いが七海さんに分かったという事は、もしかしたら自分は気付かないだけで車の中に結構充満しているのかもしれない。やってしまった、七海さんと合流する前に無意識にもう一度付け直してしまったのが仇となってしまった。慌てて全ての窓を半分くらい開けると、暖かくなってきた風が車内に流れてきた。

「いえ、貴方の香りがいつもと違ったので気になっただけです」

 返ってきた言葉は思ったような責める返事ではなくて、また盗み見ると鏡越しに七海さんとまた目が合った。私の香りとは、前回の香水の匂い、だろうか?

「いい香りですね、貴女にピッタリだと思います。」
「あ、ありがとう…ございます…」

 普段はサングラス越しだと目線がわかりにくいけれど、何故か今は真っ直ぐと見つめてくれるのがわかる。それは嘘とかお世辞とかない気がして、恥ずかしくなって語尾が小さくなりながら目を逸らしてしまった。気の利いた言葉も返せないわ目を逸らすわで、本当、先輩に対して失礼な後輩だと思う。
 それからはお互いに特に何も発することなく、予定の現場に到着した。窓を開けていて空気に触れていたお陰であんなに熱くなった頬もどうにか熱が引いてくれて、浮ついた気持ちを入れ替え気合を入れなおしてシートベルトを外し車の外にでる。呪いの気配は調査書の通り強く、後部座席から出てくる七海さんは既に鉈を手に持っていた。

「帳をおろします。」
「よろしくお願いします。」

 七海さんが時計を確認する。今は15時48分。今回の呪霊は簡単に退治できそうではないが、きっと七海さんは定時に上がるために一生懸命働かれるんだろう。彼の口癖の時間外労働にならないように急いで暗唱して帳を下ろす。もともと曇りで天気はあんまり良くなかった空が、どんどん黒く塗り潰されて行く。

「後日お食事でもいかがですか?」
「えっ!?」

 見慣れた染まっていく空の様子を見上げていると、不意に頭上から言葉が降ってきてまた間抜けな声を出してしまった。その問題発言の原因の七海さんに向き直ると、先程と何も変わらず特に表情筋を動かしていない真面目な顔をしていた。

「わ、わたしとですか?」
「今ここに貴女と私以外いるんですか?」

 あれ、私たちは今業務連絡してるっけ?って思うくらい淡々と話してくるからよく状況が理解しきれないが、どうやらお誘いをしていただいているらしい。爆発するんじゃないかと思うくらい心臓がバクバクしてもはや苦しい。誰だ、好きじゃなくて推しだとか考えてたやつ。熱が集まる顔は、絶対真っ赤になっているのが鏡を見なくてもわかる。もう帳はあと少しで降りてしまいそうで、時間がなかった。

「よっ、予定を…確認、してみます…」
「よろしくお願いします。」

 痺れた脳みそでどうにか頷くと、七海さんがふっと口元を緩めた。しかしそれは一瞬で、とっぷりと全てが闇に覆われるとすぐにそちらに向かって歩いて行ってしまいあっという間に闇に呑まれていった。待って、そんな風に笑うなんて見たことないし聞いてない。結局、七海さんが帰ってくるまでの時間体の熱を冷ます為にずっと車の外で待っていた。

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