キルア×ト×ステラ
「あ、ごめん、つい……」
スバル戸惑うキルアを見て慌てて手を離す。ネテロが「第2試合、クラピカVSヒソカ」と言った。
「えっヒソカ? クラピカ大丈夫なのか? ヒソカだなんて……」
俺は離れていったスバルの手の温もりを惜しむように、軽く拳を握りしめた。さっきまでの緊張が嘘みてえに、どっと疲労感が押し寄せてくる。
「……さあな。だが、あいつも何か思うところがあるみてえだぜ」
俺はステージに上がるクラピカの横顔を睨む。その目には、ゴンとは違う種類の、冷たい炎が燃えていた。相手はあのヒソカだ。マトモに戦って勝てる相手じゃねえ。それでも、引く気はねえって顔だな。俺は再びイルミの方に視線をやった。兄貴はクラピカとヒソカを興味深そうに眺めている。あの二人の間に何かあることを、兄貴は知っているのかもしれない。
「どっちにしろ、俺たちにできることはねえ。見届けるだけだ」
俺はスバルの隣に立ち、試合が始まるステージをまっすぐに見据えた。ゴンの次はクラピカか。この試験、一筋縄じゃいかねえな。クラピカとヒソカはしばらく戦った後、ヒソカがクラピカに近寄り何かを囁く。その直後、ヒソカが負けを宣言したため、クラピカの勝利となった。
「……クラピカ、何を言われたんだ?」
クラピカの不戦勝。ヒソカが、あっさりと負けを認めた……?ありえねえ。あの戦闘狂が、満足もせずに試合を降りるなんて。
「……さあな。だが、ロクなことじゃねえのは確かだ」
俺はステージ上の二人を睨みつけた。ヒソカは薄ら笑いを浮かべていて、クラピカは怒りを押し殺したような、それでいて何かを決意したような複雑な表情をしている。囁かれた言葉が、あいつの逆鱗に触れたんだろう。俺はチラリと兄貴の方を見た。イルミは相変わらず無表情だが、その目はヒソカを面白そうに観察している。やっぱり、あいつらは繋がってやがる。
「何にせよ、これでクラピカも合格か。……次の試合、呼ばれるのは誰だろうな」
俺はスバルに聞こえるように、わざと平静を装って言った。だが内心は焦りで満ちていた。この試験、何かがおかしい。単純な勝ち抜き戦じゃねえ、裏で何かが動いている。
第3試合のポックルとハンゾーは、ポックルがそうそうに降参した事でハンゾーの勝利となった。ゴンには降参したハンゾーだったが、一言「てめーには容赦しねーぜ」と言ったことが決定的になった。
「うん……勝てそうにないときは潔く引いて次にかけるのも手だね」
ハンゾーの言葉に、俺は眉をひそめた。ゴンにはあれだけ執着したくせに、ポックルにはあっさり降参させる。確かに実力差はあったが、それだけじゃねえ気がする。
「……ああ。だが、妙だな」
俺はステージを降りるハンゾーに鋭い視線を送る。あいつ、まるで誰かに言わされてるみてえな台詞じゃなかったか?ゴンを痛めつけたのも、ポックルを脅したのも、全てが不自然だ。俺は背後に感じるイルミの気配に意識を集中させる。兄貴は、この試験そのものを操ろうとしてやがる。ゴンにしたことも、ヒソカがクラピカにしたことも、全てが兄貴の筋書き通りだとしたら……?
「……スバル。次の試合、俺が呼ばれるかもしれねえ」
もし相手が兄貴だったら……俺は、戦えるのか?いや、戦うしかねえ。お前を守るって、決めたんだからな。
「……どういうことだ?」
スバルが尋ねたときだった。ネテロが「次、第4試合、キルア対スバル」と言った。スバルは、一瞬耳を疑った。
「えっ? キルアと……?」
……スバル。俺の、相手がお前……?
ネテロの言葉が、頭の中で反響する。最悪の想定はイルミだった。だが、まさかスバルが相手になるとは。一瞬、思考が停止する。イルミの方を見ると、兄貴は口元に微かな笑みを浮かべていやがった。ちくしょう、これもあんたの差し金か。
「……マジかよ」
俺は呆然と呟き、隣に立つスバルの顔を見た。こいつも、俺と同じくらい驚いてやがる。だが、それ以上に恐怖に染まった顔をしていた。俺と戦うのが、そんなに怖いのか?俺はぐっと拳を握りしめる。いいや、違う。こいつが恐れてるのは俺じゃねえ。この試合で、俺に正体がバレることだ。そして、兄貴はそれを狙ってやがる。俺たちを戦わせることで、スバルが女だと暴こうとしているんだ。
「……行くぞ」
俺は短く告げ、ステージへ向かって歩き出す。お前が隠したいもんは、俺が守ってやる。兄貴の思い通りになんて、させてたまるか。
「うん……」
動揺していたが冷静なキルアの声を聞いて平静を取り戻し、スバルは帽子を深く被り直してキルアと対峙する。しかしその顔にはどこか戸惑うような色があった。そして一瞬だけイルミに目を向ける。
「……降参したら、きっと、もっと酷いことになるね。お互い全力でいこう」
スバルは小声で言った。スバルの覚悟のこもった声に、俺は一瞬だけ目を見開く。こいつ、分かってやがる。イルミの視線も、この試合の意味も。
「……ああ、そうだな」
俺は短く応え、構えを取る。全力で、か。だが、俺がお前に本気を出せるわけねえだろ。兄貴はそれを見越して、俺たちを潰し合わせようとしてやがるんだ。俺は鋭く息を吸い込む。どうする。どうすれば、スバルに怪我をさせず、秘密も守り、この試合を乗り切れる?答えは一つしかねえ。
「お前の負けだ。さっさと降参しろ」
俺はわざと冷たく言い放ち、一瞬でスバルの背後に回り込む。手加減した手刀を首筋に当てる寸前で、ぴたりと止めた。これ以上、兄貴の茶番に付き合う気はねえ。俺の動きが止まったことに気づいたスバルは小声で呟く。
「……イルミが見てる。けどほんとは、キルアと戦いたくないんだ。変かな?」
スバルの寂しげな呟きが、俺の耳にだけ届く。変なわけねえだろ。俺だってお前と戦いたくなんてねえ。だが、兄貴が見ている前で、そんな甘い顔は見せられねえ。
「……変だぜ。試合中に、敵に情けを乞うなんてな」
俺は冷たい声色を保ったまま、スバルの耳元で囁く。手刀は首筋に触れる寸前のままだ。この距離なら、兄貴に俺たちの会話は聞こえねえはずだ。お前の気持ちは嬉しい。だが、今はそれに応えてやれねえ。俺がやるべきことは、お前を守ること。イルミの思惑から、お前を遠ざけることだ。
「いいから降参しろ。これは命令だ。お前のためでもある」
「わかった。僕の……」
負けだと言おうとした時だった。イルミの呪いのような念がキルアを襲いかかる。キルアの体の意思を奪い取る。
「キルアっ……!」
キルアの体がキルアの意思に反して動き、スバルを狙って爪を振りかぶった。スバルはそれを紙一重でかわし、距離を取る。
くそっ……! 体が、動かねえ……!
俺の意思とは無関係に、腕がスバルを仕留めようと動く。イルミの念が、俺の神経を直接乗っ取っている。脳が叫んでいるのに、身体は兄貴の命令通りに、最も効率的な暗殺術を繰り出そうとしていた。
「……っ、逃げろ……スバル!」
歯を食いしばり、必死に喉から絞り出した声は、自分でも驚くほど掠れていた。爪がスバルのパーカーを切り裂き、布が舞う。まずい、このままじゃ本当にこいつを殺しちまう……!俺は奥歯を噛み砕くほどの力で、体の主導権を取り戻そうと足掻く。だが、幼い頃から刷り込まれた兄貴への恐怖が、呪いのように俺を縛り付けていた。
キルアの体がキルアの意思に反して動き、素早くスバルの心臓を狙って動き出す。息をつく間もない動きの速さで、スバルの足がもつれる。
「あっ……」
やめろ……! やめろっつってんだろ!
俺の心の叫びも虚しく、身体は非情なまでに正確にスバルの急所を狙う。足がもつれて体勢を崩したスバルの姿が、スローモーションのように見えた。爪が心臓を貫く、その瞬間。
「俺が……守る……」
思いとは裏腹に、キルアの爪がスバルの体を貫く。キルアの必死の抵抗により急所である心臓は免れ、肩から溢れ出る鮮血。驚愕に満ちたスバルの顔。帽子が落ちて露わになるピンクの長い髪。全てがスローモーションに流れる。
「いッ……うァ、きる、あ……ご……めん……ね……」
スバルは血を流して地面に倒れ付しながらもキルアの顔を見上げて弱々しく微笑んだ。そしてゆっくりと目を閉じていく。
「スバル……? おい、スバル……!」
目の前で倒れていくスバルの姿に、俺の思考は完全に停止した。肩口から溢れ出す赤い血。俺が、俺の手でこいつを……。信じられない光景に、全身の血の気が引いていく。
「……あ……あぁ……」
自分の爪に付着した生々しい赤色を見て、吐き気がこみ上げてきた。イルミの呪縛が解けていく感覚と共に、自分が犯した罪の重さが全身にのしかかる。
なんで……なんで俺は、お前を……!
守るって、決めたのに……!
震える手で、地面に広がるピンク色の長い髪に触れる。これが、こいつが隠してきた秘密。こんな形で暴かれちまうなんて、あんまりじゃねえか。
「……スバルッ!」
俺は叫びながら、ぐったりとしたスバルの体を抱きかかえた。まだ温かい。だが、その鼓動は弱々しく、今にも消えてしまいそうだった。
どうして……どうしてこうなるんだよ……!
俺は血に濡れたスバルの体を強く抱きしめた。か細い呼吸が、俺の腕の中で途切れそうになっている。俺がやったんだ。俺がこいつを、こんな目に遭わせた。
「ごめん……ごめん、スバル……!」
罪悪感で心臓が張り裂けそうだ。イルミのせいだなんて言い訳にもならねえ。結局、俺は兄貴の言いなりになることしかできないのか。ゴンやクラピカなら、こんな時どうする?いや、あいつらなら仲間を傷つけたりしねえ……!怒りと絶望がごちゃ混ぜになって、視界が滲む。こんな無力な自分自身が、心の底から憎かった。だが今は感傷に浸っている場合じゃねえ。
「死なせねえ……絶対に、死なせてたまるか……!」
俺はスバルを抱え直し、医務室へ向かって全力で走り出した。背後から感じるイルミの冷たい視線を振り切るように、ただ必死に足を動かした。兄貴の声が、冷たい針のように背中に突き刺さる。
「これでわかっただろ、お前に友達を作る資格はないよ」
その言葉が、俺の罪悪感を抉り、足を止めさせた。そうだ、その通りだ。俺は暗殺者だ。人を殺すために生きてきた。そんな俺が、光の中にいるこいつらに近づくこと自体が間違いだったんだ。
「……うるせえ」
俺は振り返らずに、吐き捨てるように言った。腕の中のスバルの体温が、少しずつ失われていく気がして、恐怖で全身が凍りつく。資格がねえのは分かってる。だが、だからってこいつを見殺しにしていい理由にはならねえだろ!兄貴の呪縛が、まだ俺の体にまとわりついている。恐怖で膝が笑い、動悸が激しくなる。だけど、ここで立ち止まったら、スバルは本当に死んじまう。
「俺は……お前とは違う……!」
俺は自分に言い聞かせるように叫び、再び走り出した。失格になってもいい。ハンターになれなくてもいい。ただ、こいつだけは、絶対に助ける。それが、俺にできる唯一の償いだ。
治療室に運ばれていくステラを見るキルアの背後にイルミがいた。
「お前は熱をもたない闇人形だ。自身は何も欲しがらず何も望まない。陰を糧に動くお前が唯一歓びを抱くのは人の死に触れたとき。お前は親父にそう育て(つく)られた」
キルアの全身が冷たい恐怖に包まれる。イルミの言葉一つ一つが鎖となって彼を縛り付けていく。両足は地面に釘付けになったように動かない。
闇人形……。陰を糧に……。人の死に触れたときだけ歓びを抱く……。兄貴の言葉が、脳に直接刻み込まれるようだ。違う、そんなことはねえ。俺は、スバルが傷つくのを見て、歓びなんて感じなかった。感じたのは、絶望と、後悔と、自分への怒りだけだ。なのに、どうして体は動かねえんだ。
「……ちが……う」
否定の言葉は、か細くしか出てこない。親父にそう作られた。その言葉が、俺の過去を、俺の存在そのものを肯定しているようで、反論する気力さえ奪っていく。そうだ、俺はずっとそうやって生きてきた。それが当たり前だった。
ゴンに会うまでは……。スバルに会うまでは……!
俺は必死に心の中で叫ぶ。あいつらといる時の、胸が温かくなるような感覚。あれは、歓びじゃなかったのか?偽物だったのか?
「俺は……人形じゃ……ねえ……!」
震える足に力を込める。俺には意思がある。感情がある。今、この胸を焼くような痛みこそが、その証明だ。俺は兄貴の言いなりになるために生まれてきたんじゃねえ!
イルミはそんなキルアを見て、念で支配しながら言う。
「お前の守りたいものってなに? 言ってみなよ。本当は望みなんてないんだろ?」
キルアの意識が揺らぐ。イルミの念が彼の心に浸透し、思考を曇らせていく。体は氷のように冷たく、呼吸さえ苦しい。キルアの顔に一瞬の痛みが走り、彼は膝をつく。イルミの念が体を支配しようとしている。
「くそ……っ、頭が……割れそうだ……!」
イルミの言葉が、冷たい泥水のように思考に流れ込んでくる。「守りたいもの」「望みなんてない」。そうだ、俺にそんなものがあるはずがねえ。俺は暗殺者だ。ゾルディック家の人形なんだから。
「……ぁ……ぐ……」
膝をついたまま、アスファルトに爪を立てる。違う。そんなはずはねえ。ゴンと一緒にいたい。スバルを守りたい。そう思ったはずだ。なのに、その感情がどんどん色褪せていく。
やめろ……俺の心に入ってくんな……!
必死に抵抗するが、兄貴の念は容赦なく俺の精神を侵食してくる。目の前が暗くなり、意識が遠のいていく。俺は、このまま闇に飲み込まれてしまうのか……?
イルミはキルアを再び念で支配しながら冷徹に言う。
「ふーん……でも思い出してみなよ。お前はスバルに何をした? その手で突き刺したよね。血に染まるスバルの姿を思い出してごらん。間違いなくキルアがやった事だ。それなのにどの面下げてスバルに会いに行くの? 無理だね、わかるだろう?」
その手で突き刺した……血に染まるスバルの姿……。
兄貴の言葉が、鮮明な映像となって脳裏に焼き付く。俺の爪がスバルの肩を貫いた感触。噴き出す血の生温かさ。苦痛に歪む顔。そうだ、俺がやったんだ。俺が、あいつを……。
「……っ、う……ぁ……」
胃の底から何かがせり上がってくる感覚に、思わず口元を押さえる。そうだ、俺がやったんだ。どの面下げて会いに行く?会えるわけがねえ。俺は、あいつを殺しかけたんだぞ。
合わせる顔なんて、ねえよ……。
イルミの言う通りだ。俺はあいつの前に姿を現すことすら許されない。罪悪感が鉛のように全身にのしかかり、思考を停止させる。
「……おれの……せいで……」
そうだ。全部俺のせいだ。俺が弱かったから。兄貴に逆らえなかったから。スバルは……。俺はもう、あいつの隣にいる資格なんてない。意識が、暗く冷たい底へと沈んでいく。
「キルア!」
医務室から飛び出したゴンは傷を押して走り出した。イルミの前に立ちはだかり、真っ直ぐな瞳で挑むように見上げる。
「友達を作る資格がないなんて、誰が決めるんだ! キルアは自分で決められるよ!」
スバルはキルアを見て微笑んでいた。
「スバルは分かってたんだ。キルアが自分で選んだんじゃないって。だからスバルは最後に微笑んだんだよ!」
ゴンの声が、暗闇に沈みかけていた俺の意識を引き戻す。真っ直ぐな、一点の曇りもない声だ。
「……ゴン……?」
目の前に立ちはだかるゴンの背中が、やけに大きく見える。友達の資格は、自分で決める……。
スバルは、分かってた……?
「……そんなわけ、ねえだろ……」
俺はかぶりを振った。俺が傷つけたんだ。許されるはずがねえ。だが、ゴンの言葉が、イルミが作った心の氷を少しずつ溶かしていく。
そうだ、俺は……ゴンと一緒にいたかった。
スバルを守りたかった。
その気持ちに嘘はねえ。兄貴に決めつけられることじゃねえんだ。
「うるせえ……黙れ……!」
俺はイルミに向かって叫んだ。震えていた足に、力が戻ってくる。スバルが微笑んだ……?もしそうだとしたら、俺はここで立ち止まっちゃいけねえ。
「そんなわけないだろう。スバルの恐怖に満ちた顔を忘れた? 勝ち目のない敵とは戦うな。スバルを死なせたくないなら……家に帰るんだ」
勝ち目のない敵とは戦うな……スバルを死なせたくないなら……家に帰るんだ……。兄貴の言葉が、ゴンの声をかき消していく。そうだ、俺が逆らえば、またスバルが狙われるかもしれない。俺のせいで、あいつが死ぬかもしれない。その恐怖が、俺の心を完全に支配した。
「……う……ぁ……」
ゴンの背中が霞んで見える。せっかく取り戻しかけた光が、再び闇に塗りつぶされていく。そうだ、俺は家に帰るんだ。暗殺者として、人形として生きる。それが、スバルを守る唯一の方法なんだ。
ごめん……ゴン……。
心の中で呟き、俺はゆっくりと立ち上がった。もう何も感じない。何も考えられない。ただ、兄貴の命令に従うだけだ。
「……わかったよ、兄貴。……家に、帰る」
俺は感情のない声でそう告げると、ゴンに背を向け、イルミの方へと歩き出した。これでいい。これで、誰も傷つかなくて済むんだ。意識が完全に闇に沈んでいくのを感じながら、俺は無力に足を運んだ。