タダ×アイタイ×カラ
ハンター試験終了後、キルアはゾルディック家の独房にいた。体を拘束されながらも頭に浮かぶのはスバルの事ばかりだった。キルアは鎖で縛られた両手を見つめ、歯を食いしばる。暗い独房の壁に映る自分の影が歪んで見える。脳裏に浮かぶのは、真っ赤に染まった手とスバルの驚愕に満ちた表情だ。
くそっ……! この手で、俺はスバルを……!
脳裏に焼き付いて離れない光景に、奥歯を強く噛みしめる。イルミの野郎……あいつが俺を操らなければ、スバルを傷つけることなんてなかった。なのに、俺は……!
「……兄貴……!」
絞り出した声は、自分でも驚くほど憎しみに満ちていた。そうだ、俺が憎むべきは、俺自身の弱さだけじゃねえ。俺から全てを奪おうとする、あの男だ。
俺はもう人形じゃねえ……!
ゴンと、スバルと出会って、俺は変わったんだ。あいつらが教えてくれた温かい感情を、イルミなんかに壊されてたまるか。
「待ってろよ、スバル……」
今は無力でも、必ずこの鎖を引きちぎって、お前の元へ戻る。そして、兄貴に奪われたもの全てを取り戻してやる。これは誓いだ。俺の、初めての復讐だ。それでも次に会ったときスバルにどんな目で見られるのかと思うと心は深く沈んでいく。
どんな目で見られるか……?
決まってんだろ。軽蔑と、恐怖と、憎しみが混じった目だ。俺が一番見たくねえ、そんな目で見られるに決まってる。分かってんだ。あいつがどれだけ優しい奴でも、自分を殺しかけた相手を許せるはずがねえ。ガシャン、と鎖が鳴る。この鉄の冷たさが、犯した罪の重さみたいに感じられた。
「……それでも……」
それでも、俺は会いてえ。会って、ちゃんと謝りてえ。たとえ許されなくても、殴られても、二度と口を利いてもらえなくてもいい。このまま何もせずに、イルミの思惑通りになるなんて、それだけは絶対にごめんだ。俺はゆっくりと顔を上げた。独房の暗闇に、俺の目はもう慣れていた。
「俺は、お前の前から逃げねえ……」
───スバルは分かってたんだ。
キルアが自分で選んだんじゃないって。だからスバルは最後に微笑んだんだよ!
頭の中でゴンの声が聞こえる。スバルは最後にキルアを見て微笑んでいた。ゴンの声が、独房の冷たい空気の中で反響する。そうだ、ゴンはそう言ってた。スバルは……分かってた?微笑んでた……?まさか。そんなはずがねえ。俺に殺されかけたんだぞ。恐怖で顔が歪んでたはずだ。
だが、もし……もし本当にそうなら?
俺がイルミに操られていたことを、あいつは見抜いていた……?俺が必死に抵抗していたことに、気づいていた……?ガキン、と鎖を握りしめる。鉄の感触が、思考をクリアにしていく。
「……ふざけんなよ……」
勝手に諦めて、勝手に絶望してんじゃねえよ、俺。あいつを信じろ。ゴンを信じろ。確かめなきゃならねえ。自分の目で。スバルの口から、本当の気持ちを聞くまでは、こんな場所で終わってられねえんだよ。
「待ってろ、スバル……。今、会いに行く……!」
廊下の片隅でゾルディック家の執事が電話している。
「ゴンとスバルとクラピカとレオリオ? そんな奴らは知らない。キルアは大事な友達だから迎えに来ただって? 追い返しとけ」
そう言って電話を切った。鎖を断ち切ったキルアの耳に、電話の内容が微かに届き、キルアの耳がピクリと動く。友達が自分を迎えに来てくれたという事実が、彼の心に新たな希望を灯した。しかし同時に危機感も募る。
ゴン……スバル……! あいつら、ここまで来たのか……!
執事の言葉が、暗い独房に差し込む光のように感じられた。会いてえ。今すぐにでも飛び出して、あいつらの顔が見てえ。だが、同時に背筋が凍るような危機感が全身を駆け巡る。
「……やべえ……!」
ここは世界一安全で、世界一危険な場所だ。ゾルディック家の敷地に無断で入った奴がどうなるか、考えたくもねえ。執事の奴、「追い返しとけ」なんて言ってたが、それで済むはずがねえ。
のんきに待ってたら、あいつらが殺されちまう…!
焦りが心臓を締め付ける。俺がここから出なきゃ。俺が、あいつらを連れてここから逃げなきゃならねえんだ。もはや一刻の猶予もねえ。俺は音を立てずに扉に近づき、外の気配を窺った。
「行ってこい、キルア。友達が……できたんだろう? キキョウやイルミのことは気にしなくていい。俺が何とかする。お前はもう自由だ」
「……自由……?」
親父……? なんでここに……。
突然現れたシルバの姿に、一瞬、全身が強張る。何を言われる?また罰を受けるのか?だが、予想に反して紡がれた言葉は、俺の耳を疑わせるものだった。友達ができたんだろう、か。イルミのことは気にするな……。どういう風の吹き回しだ?親父の真意が読めず、戸惑いが心をよぎる。これは罠か?それとも、ただの気まぐれか。
「……なんで……」
俺はシルバの目を真っ直ぐに見つめた。この男の考えてることは、昔から分からねえ。だが、今この瞬間だけは、その言葉を信じるしかねえ。
「……ああ、分かったよ」
俺は短く答えると、シルバの横をすり抜ける。一刻も早く、ゴンたちの元へ行かなければ。スバルに、会わなきゃならねえ。背後から親父の視線を感じたが、振り返らなかった。今はただ、前に進むだけだ。庭には顔中をボコボコに腫らしたゴン。そしてクラピカとレオリオと……帽子を外し、ピンクのロングヘアーを晒した大きめのパーカーとショートパンツ姿のスバルがいた。
なんだ……ありゃ……。
庭に立つ4人の姿を認め、俺は息を呑んだ。ゴンの顔は、誰が見ても分かるくらいボコボコに腫れ上がってる。ミケとでもやり合ったのか?無茶しやがって……。だが、それ以上に俺の目を釘付けにしたのは、スバルの姿だった。いつも深く被っている帽子がなく、夕日に照らされた長い髪が風に揺れている。パーカーの下から覗く足は、想像していたよりもずっと細くて……。
今まで見てきた"スバル"とは全く違う、見知らぬ"女の子"がそこにいた。
「……スバル……」
胸が妙にざわつく。イルミに気絶させられた時に一瞬見た姿だったが、こうして改めて見ると、どう声をかければいいのか分からなくなる。それでも、俺は一歩、踏み出した。あいつらに会うために、ここまで来たんだから。
「キルア!!」
キルアに気づいたスバルが遠くから走ってくる。その勢いのままキルアに抱きついた。
「キルア大丈夫? 目が覚めたとき、連れて行かれたって聞いて、すごく心配したんだよ! えっ! てゆーかキルア! その顔どーしたの!」
「うおっ……!」
元気になったスバルはいつもと違う高い声で喋り、キルアのボコボコにやられた顔を見て驚き、心配そうに両手でキルアの頬を包み込む。
不意に飛び込んできたスバルの勢いに、思わずたたらを踏む。いつもと違う、少し甘い匂い。目の前にあるピンク色の髪が、やけに目に眩しい。抱きつかれた衝撃と、耳元で響く聞き慣れない高い声に、心臓が変な音を立てる。頬に触れるスバルの手は小さくて、温かかった。俺が傷つけたはずのこいつが、俺の心配をしてる。その事実が、胸にズンと重くのしかかった。
「……お前こそ、その声……大したことねえよ、こんなの……」
俺はスバルの視線から逃れるように、そっと顔を逸らす。こいつのまっすぐな目を見てたら、何を言えばいいか分からなくなりそうだった。それより、お前のことだ。俺にやられた傷は、どうなんだよ。言わなきゃいけねえことが、たくさんあるはずなのに、言葉が出てこねえ。
「キルアに言わなきゃいけないことがあるの。僕……いや、私……えっと、ごめん。隠してて。本当は私、女なの!」
どう見ても女だとわかる姿で、スバルは真剣な顔で言い放つ。思わずレオリオが「いや、それは多分見たらわかる……」と突っ込んでいた。
は……?
スバルの口から放たれた言葉に、俺は完全に思考を停止させた。女……?知ってた。イルミにやられた時に一瞬見たから。だが、こうして本人から改めて告げられると、衝撃の度合いが全然違った。
「……お、おう……」
なんだこの間は。なんとか絞り出した声は、自分でも情けないくらい上擦っていた。横からレオリオのツッコミが聞こえるが、今はそれどころじゃねえ。目の前のこいつは、俺が今まで知ってた"スバル"じゃなくて、全く別の生き物みたいに見えた。
「……なんで、黙ってたんだよ……」
動揺を隠すように、少しぶっきらぼうな口調になる。責めてるわけじゃねえ。ただ、純粋な疑問だった。なんで、こんな大事なことを今まで……。頬に触れていたスバルの手が、びくりと震えたのが分かった。
「ご、ごめん……えっと、12歳で、しかも女だってわかったら余計に舐められるかなって思って……大した理由ですらなくてごめん……」
スバルは罰が悪そうに頬を指でかきながら言った。
「実はさ、私の本当の名前、キルアに一番に教えたくて、まだ皆にもいってないんだ。聞いてくれる?」
一番に……? 俺に……?
その言葉が、心の中で何度も反響する。罰が悪そうに視線を彷徨わせていたさっきとは違う、少しだけ頬を染めて照れくさそうに笑う顔。そんな顔、初めて見た。
「……ああ」
気づけば、俺は頷いていた。理由なんてどうでもいい。今は、こいつの本当の名前が知りたかった。今まで"スバル"と呼んでいた目の前の少女が、本当は誰なのか。それを知ることで、俺たちの関係も変わっちまうのかもしれない。
「……聞かせろよ」
俺は頬に添えられたままの手に、そっと自分の手を重ねた。こいつが俺に託そうとしているものを、ちゃんと受け止めなきゃならねえ。お前の本当の名前を、教えてくれ。
「私の本当の名前はステラ。スバルは男装するための偽名で…… えっと、嘘ついててごめん」
ステラはまっすぐに俺を見つめて言った。
「一番にっていうか……まあ、みんなと一緒の時に言いたかったんだ。だって私達5人でひとつだもん」
へへっと笑った。
「……これからはステラって呼んでくれる?」
ステラ……。
心の中で、その名前をそっと呟く。スバルという響きとは全く違う、柔らかくて、どこか懐かしいような音。それが、こいつの本当の名前。
「……ステラ」
口に出してみると、思ったよりもしっくりきた。目の前の少女の姿と、新しい名前がぴたりと重なる。今まで感じていた違和感が、すっと消えていくようだった。
「……ふん。別に、嘘つかれてたなんて思ってねえよ」
俺はぶっきらぼうにそう言うと、重ねていた手をそっと離し、照れ隠しにポケットに突っ込む。5人でひとつ、か。悪くねえ響きだな。
「いいぜ。これからは、そう呼んでやるよ。……ステラ」