ブキヨウ×ナ×フタリ
朝目を覚ますとステラが簡易的なキッチンでサンドイッチを作っていた。
「おはようキルア! 朝ごはん食べたら出発しよっか。天空闘技場へ!」
ステラは今日は緩いオーバーサイズの薄紫色スウェットと白いスカートと白いレッグウォーマーを着ている。ピンクの髪はツインテールにして動きやすそうな服装だった。
……なんだ、こいつ。
キッチンに立つステラの姿に、俺は一瞬、言葉を失った。いつも見てるダボダボのパーカーじゃなく、なんかふわっとした服。髪も二つに結んでて、昨日までの「スバル」とは別人みたいだ。
「……お、おう。おはよう……はえーな、起きんの」
俺は寝癖をかきながら、ぶっきらぼうに返す。心臓がドクン、と跳ねたのを悟られたくなかった。朝飯の匂いが鼻をくすぐる。
「天空闘技場、か。いよいよだな」
サンドイッチを作る横顔は、真剣そのものだ。昨日、俺の腕の中で無防備に寝てた奴と、同じ人物だとは到底思えねえ。俺はまだ少し火照った顔を隠すように、ゴンの方へと視線を向けた。
「キルア? どうしたの?」
ゴンは赤くなるキルアを不思議そうに見ている。そこにステラがサンドイッチを持ってやってきた。
「たまごサンドとツナサンドだよー。美味しくできてるかな?」
ゴンからの指摘と、目の前に差し出されたサンドイッチに、俺は我に返った。くそっ、見られてたか。
「な、なんでもねえよ! 腹減ってんだよ!」
俺は誤魔化すように叫ぶと、ステラの手からひったくるようにサンドイッチを受け取った。ツナのいい匂いがする。だが、それ以上にステラの指先が掠めただけで、また心臓が変な音を立てやがる。
「……サンキュ」
かろうじて礼を言うと、俺は大きな口でサンドイッチにかぶりついた。うまい。悔しいが、めちゃくちゃうまい。その事実が、なぜか余計に俺を混乱させた。
「……天空闘技場、さっさと行くぞ。準備できたらな」
俺はステラから視線を逸らし、口をもぐもぐさせながら言った。こいつの顔をまともに見てたら、飯の味が分からなくなりそうだ。
朝食を済ませた三人は早速飛行船に乗船するチケットを購入して天空闘技場行きの船に乗り込んだ。三人で桟橋に立って海を見ながらステラは言った。
「そういえば、二人にまだ言ってないことがあるんだ。私のフルネーム、ステラ=フリークスっていうの」
それを聞くなりゴンが驚いた顔をして身を乗り出す。もちろんゴンとステラは全く似ていない。
「えっ!? オレと同じ苗字!?」
フリークス……だと?
ステラから告げられたフルネームに、俺はゴン以上に驚いていた。ゴンと同じ苗字。偶然にしちゃ出来すぎてる。ゴンが驚いて身を乗り出すのも当然だ。
「……お前、それ、どういうことだよ」
俺の声は、自分でも思うより低く、鋭くなった。こいつは一体、何を隠してる?ただの偶然か?いや、そんなはずはねえ。ゴンと出会ったのも、ハンター試験を受けたのも、全部仕組まれてたってことか?疑念が渦巻く。隣で目を丸くしているゴンと、どこか覚悟を決めたような顔で海を見つめるステラ。飛行船の出発を告げる汽笛が、やけに遠くに聞こえた。
「まさか、お前もジンの……」
そこまで言って、俺は口をつぐんだ。いや、それはない。だが、じゃあ一体なんなんだよ。俺は答えを促すように、ステラの顔をじっと見つめた。
「血は繋がってないんだ。私……捨て子だって話した事あったよね?」
「えっ!? ステラ捨て子なの!?」
「あれ、話してなかったっけ。ジンさんが私を拾ってくれたんだ。それで、養子縁にしてもらって……弟子みたいな感じかな……。ジンさんに試験中には言うなよって言われてて……ごめんね」
「お父さんを知ってるの!? 今どこにいるの!?」
ゴンはびっくりしてステラに詰め寄る。キルアは驚きを隠せない様子で、口をポカンと開けたままステラを見つめている。
ジン……だと?
ゴンの親父の名前が出てきて、俺の頭は完全に混乱した。捨て子?養子?弟子?情報量が多すぎて処理が追いつかねえ。ゴンがステラに詰め寄るのも無理はねえ。俺だって聞きたいことは山ほどある。
「……おい、どういうことだよ、それ」
俺はゴンとは違う、冷たい声で問い詰めた。こいつは一体何者なんだ。ジンに拾われた?ハンター試験中には言うなと口止めされていた?つまり、こいつが俺たちに近づいたのは、最初からジンの差し金だったってことか?疑念と、ほんの少しの裏切られたような感情が胸に渦巻く。ステラは困ったように笑いながら、ゴンの質問攻めにあっていた。だが、その目は真っ直ぐに俺を見ていた気がした。
「相当にすごいハンターらしいよ! 私も居場所は知らないんだ。……ジンさんを探す。それが師匠から弟子への課題なんだって」
「そうなんだ!! じゃあ、ステラも目的はオレと一緒なんだね!」
ゴンは無邪気に笑う。だけどステラはキルアの疑いの目を受けて少し悲しげに眉を下げる。
「うん。ゴンの苗字を聞いてびっくりしたんだ。息子がいるとは聞いてたんだけど……ジンさんは、何も教えてくれないから。そのへんの事は」
……なんだよ、その顔。
ステラが悲しげに眉をひそめるのを見て、俺の胸がチクリと痛んだ。疑ってるのは事実だ。だが、そんな顔をさせたいわけじゃねえ。ゴンは無邪気に喜んでるが、俺はそうはいかねえ。ジンの弟子、ね。俺はステラから視線を外し、遠くの水平線に目をやった。つまり、こいつは俺たちを利用して、ジンを探すための情報を集めようとしてたって可能性もあるわけだ。考えすぎか?いや、俺はそうやって生きてきた。
「……課題、か。ずいぶん都合のいい話だな。で、その課題ってのは、天空闘技場と何か関係あんのか?」
俺はわざと突き放すような口調で尋ねた。こいつの真意が見えねえ。ただの仲間だって思ってたのは、俺だけだったのか?その考えが頭をよぎると、妙に胸がざわついた。
「関係はないけど……。ごめん、急にこんな話して。天空闘技場行こうって言ったのは、資金稼ぎと修行のつもりで言ったし……。私、部屋戻るね」
ちっ……なんだよ、その態度。
俺が問い詰めたから気まずくなったのか、ステラはさっさと背を向けて船室に戻ろうとする。その逃げるような後ろ姿に、俺の中の何かがカッと熱くなった。俺はほとんど無意識に、ステラの腕を掴んでいた。思ったより細い腕の感触に、一瞬だけ戸惑う。
「おい、待てよ……話はまだ終わってねえだろ」
声が思ったより低く出た。こいつが何か隠してるのは確かだ。だが、それ以上に、このまま行かせたくないっていう、よく分からねえ感情が俺を突き動かしていた。俺の剣幕に、ゴンが心配そうにこっちを見ている。
「……私はただ、私の生い立ちを二人に知ってほしくて話しただけだよ。だめだった? よく考えたらキルアの家にも行って、ゴンの苗字も知って、私のことは何も話せてないなって思ったから」
俯いたまま話すステラの言葉が、掴んだ腕を通して震えながら伝わってくる。その声は、俺が今まで聞いたこともないくらい、弱々しかった。
「……っ」
責めるつもりだった言葉が、喉の奥で詰まる。俺の家に来たこと、ゴンの苗字を知ったこと……こいつなりに、俺たちとの間に壁を感じて、それを取っ払おうとしただけなのか?
「……別に、ダメだなんて言ってねえだろ。……ただ、いきなりジンの名前が出てくっから驚いただけだ。……悪かったよ」
俺はバツが悪くなって、ぶっきらぼうに呟いた。掴んでいた腕を離せずにいると、ゴンが心配そうに俺たちの顔を交互に見ている。俺はそっぽを向きながら、小さな声で謝った。素直に謝るなんて柄じゃねえ。だけど、こいつの悲しそうな顔を、これ以上見ていたくなかった。
「……うん。ごめん。たしかに男装してたし、私、隠し事だらけだもんね」
ステラは、信用されなくても当たり前だと自嘲気味に笑ってそのまま部屋に入っていった。
ちっ、なんだよ、その顔……。
自嘲気味に笑って部屋に消えていくステラの背中を、俺はただ見つめることしかできなかった。腕に残ったステラの温もりと、胸に刺さったままの小さな棘が、俺をひどく苛立たせる。
「……おい、ゴン」
俺は隣でオロオロしているゴンに、八つ当たりみてえに声をかけた。
「……俺、なんかまずいこと言ったか?」
自分でも分かってる。俺の言い方が悪かったんだ。だけど、どう接すりゃいいのか分からねえ。暗殺稼業じゃ、疑うことが生き残る術だった。信じるなんて、考えたこともなかったから。俺の問いに、ゴンは困ったように眉を下げた。
「キルアの言い方、ちょっとキツかったかも……。ステラ、悲しそうな顔してたよ」
ゴンの真っ直ぐな言葉が胸に刺さる。分かってる。そんなことは、俺が一番よく分かってんだ。でも、どうすりゃよかったんだよ。
「……うるせえな」
俺は悪態をつきながら、ゴンから顔を背けて船の手すりに寄りかかった。潮風が頬を撫でる。アイツが隠してたのは事実だ。それを問い質すのが、なんで悪い。
「……でも、オレ、ステラが話してくれて嬉しかったよ。キルアも、本当はそうなんじゃない?」
ゴンの声が、やけに静かに響いた。俺は何も答えられなかった。ただ、ステラが消えた部屋のドアを、忌々しげに見つめることしかできなかった。
なんでこんなに寂しいんだろ。やっぱり私は……。独りぼっちなのかな。ステラは部屋の隅にうずくまり、今までのことを思い返していた。少しだけ涙が滲んだ。
(大丈夫。天空闘技場に着いたら、修行頑張ろう。私は、頑張れる。)
部屋のドアを睨みつけたまま、俺は手すりに体重を預けていた。ゴンの言う通りだ。俺の言い方が悪かった。分かってる。だけど、素直に謝るなんて、どうすりゃいいのか分かんねえんだ。
「……ちっ」
舌打ちをして、俺は手すりを強く蹴った。ガン、と鈍い音が響く。ゴンがびくりと肩を震わせたのが見えたが、気にしてる余裕はなかった。胸の奥がもやもやして気持ち悪い。このままじゃダメだ。そう思った時には、もう足が勝手に動いていた。アイツが消えた部屋のドアの前で立ち止まり、一度だけ深呼吸する。何を言えばいい?「悪かった」?それだけでいいのか?
「……おい、ステラ。いるんだろ。開けろよ」
ノックもせずに、俺はぶっきらぼうにドアに向かって声をかけた。返事はない。だけど、中にいる気配はする。俺はもう一度、今度は少しだけ声を落として、ドアに呼びかけた。
ステラはキルアの声がすると咄嗟に顔を腕の中に埋めた。体育座りしたまま、顔を上げない。
「……ちょっと寝させてくれるかな」
ドアの向こうから聞こえてきたのは、くぐもった拒絶の言葉。さっきまでの弱々しい声とは違う、意地を張ったような響きに、俺は思わず眉をひそめた。
「……寝てる奴が返事すんのかよ」
皮肉を口にしながら、ドアノブに手をかける。鍵はかかっていなかった。ためらうことなくドアを開けると、部屋の隅で体育座りをしてうずくまる、小さな後ろ姿が目に入る。俺は静かに部屋に入り、ドアを閉めた。ステラは顔を上げようとしない。その頑なな態度に、俺の中の苛立ちが再び頭をもたげる。だが、それ以上に、震えているように見える肩が気になった。
「おい……いつまでそうしてんだよ。こっち見ろ」
「……やだ」
ステラは頑なに拒絶し、顔を上げようとしない。
───……やだ。
その一言が、俺の堪忍袋の緒をあっさり切った。カッと頭に血が上るのを感じる。俺がここまで折れてやってんのに、なんだその態度は。
「……てめえ、いい加減にしろよ」
俺は苛立ちのままにステラの腕を掴み、無理やり顔を上げさせようとした。だが、その瞬間、視界に飛び込んできたステラの顔に、俺は息を呑む。
「……な……」
真っ赤に腫れた目元。涙の跡が残る頬。それは、俺が今まで一度も見たことのない、ステラの泣き顔だった。掴んでいた腕の力が、思わず緩む。
「……なんで、おまえ……」
泣いてんのかよ、という言葉は声にならなかった。俺のせいだ。俺の言葉が、こいつをここまで追い詰めた。その事実が、重い鉛のように胸に沈み込む。どうすりゃいいんだよ、こんな時……。
「……ほっといてよ、もう。今までのことを思い出してただけ。こんな酷い顔見せたくないし、今はそっとして」
ステラはそのまま顔を背けた。
……ほっといてくれ、だと?俺のせいだってのに、そんなこと言えるわけねえだろ。俺は何も言えず、ただ立ち尽くす。背けられた顔、震える肩。俺がかけた言葉が、全部ブーメランみたいに自分に返ってくる。最悪だ。
「……見せたくないって言われても、もう見ちまった」
喉から絞り出した声は、自分でも驚くほど掠れていた。どうすりゃいい。こんな時、ゴンならなんて言う?いや、ゴンじゃねえ。俺は、どうしたいんだ。掴んでいた腕を離し、代わりにその隣にドカッと腰を下ろす。狭い船室に、気まずい沈黙が落ちた。
「……悪かった」
床を見つめたまま、それだけ言うのが精一杯だった。
「……別にキルアのことは関係ない。今までのことを思い返してセンチになってただけ」
ステラは素っ気なくそれだけ言うが、隣に座るキルアは拒絶しなかった。