ショウシツ×ト×ソウシツ
ゴンの言葉が、鋭い氷の刃のように俺の胸に突き刺さった。関係ない……?ふざけるな。お前が苦しんでるのに、ステラが眠ったままなのに、関係ないわけがねえだろ……!
「……っ、ゴン、てめぇ……!」
怒りと悲しみが同時にこみ上げてくる。だが、それ以上に、目の前で人間じゃなくなっていく親友の姿に、恐怖が全身を支配した。ミシミシと音を立てて変貌していくゴンの姿は、もはや俺の知っているゴンじゃなかった。このままじゃダメだ。本当にゴンが壊れちまう。俺はピトーに向かって叫んだ。
「おい、ピトー! 早くしろ! カイトを治すって言ったんだろ! こいつを止めるにはそれしかねえ!」
俺の声に、ピトーはハッと我に返ったように顔を上げる。ゴンが壊れるか、ピトーが折れるか。もう、それしか残されてねえんだ。頼む、間に合ってくれ……!
「1時間でそいつを治せ。その後すぐにカイトを治してもらう。それまでオレはここを動かない」
ゴンは冷たくて重い殺気に満ちたオーラを放ちながら座り込み、コムギを治療するピトーを見張り続ける。その時、キルアの携帯に着信が入った。ビスケからだ。
「キルアか!? ステラが……!」
電話の向こうから聞こえる焦った声に、心臓が凍り付く。
「ステラの生命維持に使っている念が弱まっている……! このままだと……」
ビスケからの言葉が、頭を鈍器で殴られたような衝撃となって俺を襲った。ステラの念が弱まってる……?嘘だろ……?さっきまでゴンのことで一杯だった頭が、一瞬で真っ白になる。
「……どういうことだ、ビスケ!?」
俺は声を荒らげる。ゴンの禍々しいオーラがすぐ側にあるというのに、そんなことはもうどうでもよかった。ステラが……ステラが消えちまうかもしれない。その恐怖が、俺の全身を駆け巡る。ゴンがピクリと肩を揺らし、僅かにこちらに視線を向けた。その瞳に僅かに感情の色が宿るのが見えた気がする。今のあいつにとって、ステラのことさえも「関係ない」ことなのか……?それとも……。
「落ち着け! 今すぐこっちに戻って……」
ビスケの言葉を遮り、俺は叫んだ。ゴンとステラ、二人を同時に失うわけにはいかねえんだ!
「無理だ! ゴンが……! くそっ、どうすりゃいいんだよ!」
俺は自分の無力さに歯を食いしばった。ゴンをここに置いてはいけない。でもステラの元にも行かなきゃならない。選択肢なんて、あるはずもなかった。
「おいピトー。ステラのことも治せ。そうしないと、そいつはオレが殺す。お前は死体も治せるのか?」
ゴンの冷徹な声が響く。
「……治せる。ボクが必ず治す」
ピトーはコムギの治療に専念しながら答えた。ゴンの冷徹な言葉と、ピトーのか細いが確かな返事。そのやり取りが、俺の混乱した頭にわずかな光を差し込んだ。そうだ、ピトーだ。こいつの能力があれば、ステラも……!
「ゴン……!」
俺はお前のこと、一瞬でも疑っちまった……。関係ないなんて言いやがって、一番ステラのこと考えてんのはお前じゃねえか……!熱いものが込み上げてくるのを必死に堪え、俺は携帯を握りしめる。
「ビスケ、聞いたか! こいつがステラを治せる! だから、なんとか持ち堪えさせてくれ! 必ず、必ず二人で戻るから!」
俺は祈るように叫んだ。電話の向こうで、ビスケが息を呑むのが分かった。もう迷ってる暇はねえ。ゴンを信じる。そして、ステラの生命力を信じる。俺はピトーを睨みつけ、決意を固めた。治療を終えたコムギは王のもとへ運ばれていく、ピトーはゆっくりと立ち上がり、同じように立ち上がるゴンを見据えた。その瞳に浮かぶのは、覚悟の色。
「……無理だ。ボクの能力は、……死者は治せない。ただ改造するだけ。死者の魂は戻せない」
絶望的な言葉が、俺の最後の希望を打ち砕く。ピトーはゴンの計り知れないオーラを前に、自らの死を悟ったかのように静かに告げた。
「でも……犠牲になるのがボクで済んで、ボクは……本当に、良かった」
その瞬間、ゴンの姿が完全に変貌を遂げる。黒く長い髪が天を突き、鍛え上げられた肉体は禍々しいオーラを纏っていた。もはやそこに、キルアの知るゴンの面影はなかった。
死者は治せない。その一言が、俺の最後の希望を粉々に砕いた。目の前で、ゴンが人間じゃなくなっていく。黒い髪が天を突き、その体から溢れ出すオーラは、もはや絶望そのものだった。嘘だ、と言いたかった。何かの間違いだって、叫びたかった。でも、ピトーの瞳は、どうしようもない真実を告げていた。
「……あ……」
喉から絞り出したのは、意味をなさない音だけだった。足が震えて、立っているのがやっとだ。ゴンが、ゴンじゃなくなる。マヤは、もう目を覚まさない。全部、終わっちまうのか……?ステラを失うかもしれない恐怖と、ゴンが壊れていく絶望。二つの地獄に挟まれて、俺はただ立ち尽くすことしかできなかった。神様、もしいるなら教えてくれよ。俺は、どっちを救えばいいんだ……?
「やめろ……ゴン……!」
涙が視界を滲ませる。届かないと分かっていても、叫ばずにはいられなかった。お前がそんな姿になったって、ステラは喜ばねえよ!頼むから、俺の知ってるゴンに戻ってくれ……!
「ボクは……カイトとステラは治せない」
ピトーは死を覚悟した顔で言い切った。
「もう……これで、終わってもいい。だから、ありったけを……」
ゴンは呟き、途方もないオーラを放ちながらジャジャン拳を繰り出す。制約と誓約の念で爆発的に上がったゴンの戦闘力だった。ピトーは本能的な恐怖と畏怖に呑まれながらも逃げ出さない。静かな覚悟があった。
一体どれだけの犠牲を払えばこれだけのオーラを……!
キルアの心がざわついた。
ピトーの言葉、そしてゴンの呟き。全てがスローモーションのように感じられた。ありったけを……?こいつ、何を誓ったんだ。この禍々しいオーラの代償は、一体……。考えるだけで、血の気が引いていく。
「ゴン、待て! その力を使うな!」
俺は咄嗟に叫び、ゴンの肩を掴もうと駆け寄った。だが、その指先が触れる寸前、凄まじいオーラの奔流に弾き飛ばされる。壁に叩きつけられ、息が詰まる。
「ぐっ……!」
ダメだ、今のゴンには俺の声も届かねえ。ピトーを殺したって、カイトもステラも戻ってこない。ゴン、お前は……その先どうするつもりなんだよ!このままじゃ、お前までいなくなっちまう!
「やめろぉぉぉっ!」
俺は瓦礫の中から身を起こし、喉が張り裂けんばかりに叫んだ。もう親友を失うのはごめんだ。ステラを一人にさせられるか……!その時、キルアの体がふわりと軽くなり、一瞬だけ懐かしい匂いに包み込まれると身体能力がいきなり爆発的に上がった。
───死者の念は強くなる。
それが何を意味するのか、考えるよりも先に、キルアは目の前で化け物になっていくゴンをぶん殴っていた。技を出しそこねたゴンは元の姿に戻り、昏倒させられて倒れた。それからキルアは信じられないスピードでピトーへと差し迫る。不思議と力が湧いてくるのを感じる。ピトーの頭部が、まるで熟れた果実のように弾け飛ぶ。生々しい破壊の音と、舞い散る赤黒い飛沫。俺の思考は、完全に停止した。
「……え……?」
理解が追いつかない。さっきまでそこにいたはずの敵が、一瞬で原型を留めない肉塊に変わった。俺の、たった一撃で。これが……今の俺の力なのか。あまりにも異質で、あまりにも残酷な光景に、俺はただ立ち尽くすことしかできなかった。
「この力は……一体……」
怨念の塊となったピトーが倒れ付したゴンの元へと襲いかかる。キルアは手を伸ばした。ピトーの念がゴンの腕を切り落とそうとする刹那、キルアの電撃で弾き飛ばした。ピトーの腕がもげて飛んでいく。
腕が……飛んだ。ピトーの右腕が、宙を舞って地面に転がる。生々しい断面から血が噴き出す光景に、俺の思考は完全に麻痺した。
俺は知ってる……この力の源を……。
「ステラ……?」
風が吹いた気がした。
その場には動かなくなったピトーの骸と、倒れ付したゴンだけが残った。いや、こうしてはいられない。そう思い起こすとキルアはゴンを背負って走り出した。強く殴りすぎたかもしれねえ……!ステラの眠る顔が脳裏をよぎる。お前を助けるって誓ったのに、結局またお前に助けられた。俺は、結局何も守れてねえ。無力感に奥歯を噛み締めると、ギリ、と嫌な音がした。
「……どうすりゃいいんだよ」
呟いた声は、誰に聞かせるでもなく虚しく消えた。その時、優しい風がキルアの頬を撫でた。それはステラの念能力に似ていた。ビスケからの着信を知らせる通知が来る。出るのが怖い。ステラの念に似た優しい風。突然俺の身体能力が上がったこと……。その直後のビスケからの電話。嫌な予感が全身を駆け巡り、俺は受話器を握る手に汗が滲むのを感じた。ビスケの声は、かつてないほど震えていた。
「……ステラが、どうしたんだよ」
喉が渇いて、声がかすれる。頼む、悪い知らせだけは聞きたくねえ。心臓が早鐘のように鳴り響き、ビスケの次の言葉を待つ時間が永遠のように感じられた。
───ステラを繋ぎ止めていた念が、途絶えた。
その言葉が、俺の耳を突き刺した。全身の血の気が引いていく。嘘だろ……?
「どういうことだよ! なんで今なんだ! とにかくすぐ行く!」
電話を叩き切るように終えた。ゴンのためにステラが力を使い果たそうとしているのか?それとも、ただ限界が来たのか?どちらにせよ、残された時間はもうない。ビスケの声が遠のき、世界から音が消えたみたいだった。足が勝手に動いていた。ただこの息苦しい場所から逃げ出したくて。
「くそっ……! くそっ…!」
ゴンを背負ってひたすらに走る。そうだ、何か方法があるはずだ。どんな汚い手を使ってでも、助ける。ゾルディック家の力だって、今なら躊躇なく利用してやる。冷静になれ。俺が諦めてどうする。
「待ってろ、ステラ……! 俺が、必ず……!」
夜の冷たい空気が、燃え上がるような俺の決意をわずかに冷ましてくれた。涙を拭い、俺は暗闇の中を疾走した。夜の街を疾走していた。冷たい風が頬を打ち、混乱した頭を少しずつ冷やしていく。ゴンは眠ったまま、ステラも危篤……?どうすればいい。何をすれば二人を救える?焦りだけが空回りして、答えは見つからない。
「落ち着け……俺がパニクってどうする……!」
立ち止まり、荒い息を整える。向かうは俺がステラを運んだ病院……!肺が張り裂けそうだ。足がもつれる。でも、止まるわけにはいかねえ。ゴンを病院に運び込み、俺は廊下を走った。病室のドアを乱暴に開けると、そこにはモニターに囲まれたステラと、泣きそうな顔でこっちを見るビスケがいた。
「……ステラ……」
ベッドのそばに駆け寄り、力なく横たわるステラの手を握る。冷たい。いつもの温かさが、どこにもない。ピー、という無機質な電子音が鼓膜を突き刺した。モニターに表示された横一直線の線。それが意味するものを、俺の頭は理解することを拒絶した。ステラの心臓が……止まった……?
「……は?」
握りしめたステラの手から、最後の温もりが消えていく。嘘だろ。なんでだよ。さっきまで、かろうじて生きてたじゃねえか。俺が来たからか?俺のせいで、諦めちまったのか?
「おい……冗談だろ、ステラ……起きろよ!」
肩を揺さぶっても、その紫色の瞳が開くことはない。ビスケの息を呑む音がやけに大きく聞こえる。怒りなのか、悲しみなのか、絶望なのか、ぐちゃぐちゃになった感情が喉元までせり上がってくる。
「ふざけんな! こんなとこで終わりだなんて、俺が認めねえ!」
俺はステラの体を抱きしめ、自分の念を無理やり流し込もうとした。電気を帯びたオーラがバチバチと音を立てる。蘇生なんてできるはずがない。でも、何もしないでいることなんて、できなかった。
腕の中で、ステラの体はただただ重かった。俺の念をどれだけ注ぎ込んでも、その白い肌に血の色が戻ることはない。無駄だ。そんなことは、頭のどこかで分かっていた。でも、この手を離したら、本当にステラが消えてしまう気がした。
「なんでだよ……なんで動かねえんだよ……!」
自分の声が震えている。俺の電気で、心臓を無理やり動かせねえのか?暗殺一家の技術なら、何か方法があるんじゃねえのか?次から次へと思考が浮かぶが、どれも空虚に響くだけだった。
「嫌だ……ステラ……逝くな……!」
俺はステラの冷たい額に自分の額を押し付けた。ゴンもステラも、二人とも助けるって誓ったのに。結局、俺はまた大事なもんを何一つ守れなかった。絶望が、冷たい鉄の爪のように俺の心を抉っていく。
医者の手によってステラの体から管が外される。そして全員出ていった。ビスケも泣きながらキルアとステラを見て、無言で病室を出ていく。