ヨジ×シケン×シュウリョウ






ギタラクルはスバルを腕に抱え、まるで重さを感じないかのように軽やかに移動していく。後ろからの気配に気付き、無表情の顔が僅かに動く。針の刺さった顔で振り返り、追いかけてくるキルアを一瞥する。その黒い瞳には感情が読み取れない。ギタラクルは一瞬立ち止まり、気を失ったスバルの顔を見つめる。その指先がスバルの頬に触れる。

ギタラクルの動きが止まった。あいつ、俺に気づいてやがる。振り返ったその顔は、相変わらず針だらけで不気味だが、その奥にある黒い瞳は紛れもなく兄貴のものだ。スバルの頬に触れるな!



「てめえ……スバルから離れろ!」



喉の奥から絞り出すように叫ぶ。恐怖で震える身体に鞭打って、さらに速度を上げた。兄貴が何を考えているのかは分からねえ。だが、あいつにスバルを渡すわけにはいかねえんだ。



「何が目的だ、イルミ! ハンター試験を受けに来ただけじゃねえだろ!」



俺の問いに、ギタラクルは答えない。ただ、無感情な瞳で俺を見つめ返すだけだ。その視線が、俺の心の奥底に突き刺さる。まるで、お前は俺から逃げられない、とでも言うように。ギタラクルは唐突に動きを止め、スバルを優しく壁際に寄りかからせると、待ち構えるように俺の前に立つ。その姿勢には殺気はないが、明らかな意図が感じられる。



「彼は無事だ。ただ、キルがどこまで本気になれるか試したかった。友達のために……キルは何を捨てられる?」



兄貴の口から紡がれた言葉は、静かだが重く俺の胸に突き刺さる。何を、捨てられる……? こいつは俺に、覚悟を問うているのか。友達のために、暗殺者の家を捨てる覚悟があるのかと。



「……ふざけんな。スバルは俺のダチだ。てめえに指一本触れさせるかよ」



俺はイルミを睨みつけ、低い声で唸る。恐怖はまだ身体の芯に残っている。だが、それ以上に怒りが込み上げてきた。俺の覚悟を、こいつに試される筋合いはねえ。俺はゆっくりと歩みを進める。一歩一歩、恐怖を意志で踏み潰していく。イルミの底知れない瞳が、俺の決意を値踏みするように見つめている。



「捨てるも何もねえ。俺はもうゾルディック家には戻らねえ。俺の居場所は、あいつらの隣だ」



ギタラクルは近付いてくる弟の姿を見て、微かに目を細める。その表情には驚きと興味が垣間見える。そして顔の針を抜いてイルミの顔になる。



「素晴らしい覚悟だよ、キル。父さんも誇らしく思うだろうね」



彼はゆっくりと右手を上げ、空中に漂うような動きで針を指の間に現す。



「でももうここまでだ、おやすみ。キル」



イルミが俺の背後に回り込み、首筋に鋭い痛みが走る。兄貴の針だ。意識が急速に遠のいていく。身体から力が抜け、膝が崩れ落ちそうになるのを、兄貴の腕が支えた。



「……っ、れん……を……」



霞む視界の中で、壁際にいるスバルの姿を探す。クソ、身体が動かねえ。兄貴の冷たい声が、まるで子守唄のように俺の脳に響く。



「大丈夫だよ、キル。彼も一緒に連れて帰ってあげる。お父様もきっと喜ぶ」



その言葉が、俺の意識の最後の糸を焼き切った。ふざけんな。俺のダチを、あの家に連れて行かせるかよ。俺は最後の力を振り絞り、兄貴の腕を振り払ってスバルの方へ倒れ込む。



「離せ……! あいつは……俺の……!」



だが、俺の声は誰にも届かず、暗い闇の中へと沈んでいった。

キルアが眠らされ、動かなくなるとイルミがスバルに迫る。それでも気を失ったままのスバルはぐったりと壁側に寄りかかり、微動だにしない。イルミはスバルの前に立ち、彼の顔を覗き込む。その眼差しは冷たいが、どこか好奇心に満ちている。イルミはポケットから新しい針を取り出し、スバルの額に軽く当てる。しかし刺さない。



「この針を刺せば、簡単に操れる。でも、まだいいか」



イルミはキルアとスバルを安全な場所へ運び、壁側に寄りかからせてその場を立ち去る。






















どれくらい時間が経ったのか。意識がゆっくりと浮上してくる。首筋に鈍い痛みが走り、俺は呻きながら身を起こした。最後の記憶は、兄貴に針を刺されたこと。そして、スバルが……!



「スバル!」



俺は勢いよく周囲を見回す。最悪の光景が頭をよぎったが、すぐそばにスバルが壁に寄りかかって眠っているのを見つけて、安堵のため息を漏らした。怪我は……なさそうだな。兄貴の気配はもうどこにもない。なんで俺たちを連れて行かなかったんだ?気まぐれか、それとも……。俺はスバルの隣に座り込み、まだ重い頭を抱えた。



「……クソ。完全にやられた……」



俺は自分の無力さに奥歯を噛みしめる。兄貴の言う通り、俺はまだ弱い。ダチ一人守れねえ。だが、このままじゃ終わらせねえ。絶対に。気を失ったままのスバルはぐったりと壁側に寄りかかり、微動だにしない。俺はスバルの隣に座り、ぐったりしているその顔を見つめる。息はある。外傷もない。イルミの奴、一体何がしたかったんだ……? ただ俺の覚悟を試すためだけに、こんな回りくどい真似を?



「……ちくしょう」



俺は自分の拳を強く握りしめた。結局、俺は兄貴の前で何もできなかった。スバルを守るどころか、手も足も出ずに眠らされて終わりだ。このままじゃダメだ。圧倒的に力が足りねえ。俺は立ち上がり、まだ眠っているスバルの前に屈み込む。こいつは俺が守る。そう決めたんだ。そのためなら、どんなことだってしてやる。たとえそれが、俺が一番逃げたかった、暗殺者の技を磨くことだったとしても。



「行くぞ、スバル」



俺はスバルを背負い、湿った地面を強く踏みしめた。ハンター試験に戻らねえと。そして、もっと強くならなきゃ。二度と、誰にもこいつを好き勝手させねえために。スバルを背負ったその時、気を失ったままのスバルの頭からキャスケット帽子が落ちて背中まである長いピンク色の髪の毛がふわりと舞いながら露わになる。スバルを背負った瞬間、何かがふわりと首筋にかかった。柔らかくて、甘い匂いがする。視線を動かすと、見慣れないピンク色の長い髪が目に入った。同時に、スバルの頭からキャスケットが滑り落ちる。



「……は?」



俺は思わず固まった。こいつ、スバル……だよな?背中に感じる身体つきは確かにガキのものだが、この長い髪はなんだ?俺は混乱しながらも、ひとまず帽子を拾い上げる。まさか、女……?いや、そんなわけねえだろ。だとしたら今まで気づかねえ方がおかしい。でも、この状況はどう説明するんだ?



「……まあ、どっちでもいいか」



俺は小さく息を吐き、帽子を被せ直してやる。今はこいつの性別より、イルミから離れて試験に合流する方が先決だ。だが、胸のざわめきは簡単には収まりそうになかった。

スバルはキルアに背負われて移動する中、その振動で微かに意識を取り戻す。スバルは虚ろな様子で素の声で途切れ途切れな言葉を紡ぐ。スバルの瞳はまだ焦点が定まっていない。



「ん……っ、あ……れ……、わたし……?」



背中から聞こえてきた微かな声に、俺はビクッと肩を震わせた。虚ろだが、間違いなくスバルの声だ。でも、その声はいつも聞いていた声より少し高い気がする。



「おい、スバル! 目が覚めたのか?」



俺は足を止め、背負ったまま後ろを振り返ろうとするが、顔は見えねえ。意識が朦朧としてやがるな。兄貴に何かされたのか?



「しっかりしろ! 今、安全な場所に移動してるとこだ。すぐに試験会場に戻る」



俺は気休めを言いながらも、内心焦っていた。さっきの「わたし」って言い方、気のせいか……?いや、寝ぼけてただけだろ。深く考えるのはやめだ。とにかく、今はこいつを運ぶのが最優先だ。



「ん……きる、あ?」



スバルが身じろぎをすることで柔らかな体の感触がキルアに伝わる。



「え……、あ……僕、いつのまに寝ちゃってた?」



背中に伝わる柔らかな感触と、耳元で聞こえる「僕」という言葉。さっきの「わたし」との違いに、俺の頭は完全にキャパオーバーだ。どっちなんだよ、一体。



「……お前、イルミ……兄貴に何かされたのか?」

「兄貴……?」



俺は歩きながら、努めて冷静に問いかける。性別のことより、まず確認すべきはこっちだ。イルミの針は精神を操作することもできる。記憶が混乱していてもおかしくねえ。



「覚えてねえのか? 俺もお前も、あいつに眠らされたんだよ。全く、迷惑な兄貴だぜ」



俺はわざと悪態をついてみせる。スバルの性別がどうだろうと、今は関係ねえ。こいつが無事ならそれでいい。そう自分に言い聞かせながら、俺はハンター試験の喧騒が聞こえる方角へと、ただひたすらに足を速めた。



「イルミ……? トリックタワーのときに二人きりになった人だ、それ……。なんでここに?」



スバルは混乱しながら呟く。スバルの呟きに、俺は眉をひそめた。トリックタワーの時?イルミは三次試験が始まる前から、俺たちの近くにいやがったってことか?スバルは何か知ってんのか。



「おい、詳しく教えろ。兄貴とお前、二人きりで何があったんだ? あいつはお前に何か言ったのか? なぜ狙われた?」



俺は足を止め、低い声で問いただす。背中に感じるスバルの体温が、妙に生々しい。こいつが何か隠してるのは確かだ。だが、今はそれよりもイルミの目的が気になる。俺は無意識にスバルを背負う腕に力を込めていた。イルミの底知れない目が脳裏に浮かぶ。ただの気まぐれじゃねえ。兄貴の行動には、必ず意味があるはずだ。



「え……いや、何も……。何もないよ……帽子を取られたこと以外には」



スバルの言葉に、俺は思わず舌打ちした。帽子を取られただけ?ふざけんな。あのイルミが、そんな他愛もないイタズラのためだけに接触してくるわけねえだろ。



「……そうかよ」



俺は短く吐き捨て、再び歩き出す。こいつ、明らかに何か隠してやがる。だが、無理に聞き出そうとしても無駄だろう。今は問い詰める時じゃねえ。それよりも、イルミの狙いがますます分からなくなった。俺を連れ戻すのが目的なら、なぜスバルにまで手を出した? 帽子を取る、ね……。その時にこいつの性別に気づいたのか?



「……クソッ、訳わかんねえ」



俺は苛立ちを隠さずに呟いた。イルミの思考は読めねえ。だが、一つだけ確かなことがある。あいつはスバルに興味を持った。それは、間違いなく厄介事の始まりだった。



「キルア、えっと……もう大丈夫だから下ろしてくれないか? その、ありがとう……」



スバルは自分の身体がキルアに触れていることに少し落ち着かない様子で頬を微かに染めていた。

スバルの言葉に、俺は少し驚いて足を止めた。いつの間にか、だいぶ意識もはっきりしてきたみてえだな。



「……ああ、悪い」



俺はスバルをゆっくりと地面に下ろす。背中から温もりが消え、少しだけ肌寒い。赤くなってる顔は見ないふりをしてやった。改めてスバルの姿を見る。キャスケットから覗くピンクの髪。まだどこか気だるげだが、その瞳にはいつもの光が戻りつつある。イルミの針の影響はもうねえみたいだな。ひとまず安心だ。



「礼なんていらねえよ。それより、行けるか? 試験会場まで、もうひとっ走りだ」



俺はそう言って、先を促すように顎をしゃくった。スバルの性別も、イルミの目的も、今は考えない。とにかく、ここを抜けて、あいつらと合流するのが先決だ。











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