巫女と黒猫
「もう大丈夫ですよ。これで、夜もぐっすり眠れるはずです」
マヤは吹いていた横笛を下ろすと、満面の笑みで怯える老夫婦にそう伝える。
毎夜怪音に悩まされ、廊下を歩く怪しい影に怯え震えながら眠れぬ夜を過ごしてきた老夫婦は、聞くなり安堵のため息を吐いた。そして緊迫していた表情を緩めると微かに笑った。
「約束の代金です」
マヤは老夫婦から差し出された小さな袋を受けとるなり、中を改めて小さく頷き、ニコリと笑う。
「確かに。それでは、また何かありましたら祓い師組合の方までご連絡ください」
マヤは老夫婦に軽く会釈し、荷物を肩に背負うと、その足元にじゃれつく九尾の黒猫を制して軽快な足取りでそこから立ち去った。
「随分、ぼったくったな……お前」
マヤが大股でスタスタ歩いていくと、黒猫が低い声で言いながら横に並んで歩き出した。マヤは人の悪い笑みを浮かべ、黒猫に言い返した。
「いいの。あいつら、金持ってんだから。取れるところから取っとかないとね」
マヤは飄々と言い放ち、歩いていたが黒猫が急に足を止めたため、遅れてマヤもその足を止めた。
「何、ダニエル?」
「つけられてる」
「え? ぼったくりがバレた?」
「違う。すごい……血の匂いがするぞ、あいつら……」
「あいつら……って、複数? とにかく逃げなきゃ!」
「もう遅い! 来たぞ!」
マヤは逃げかけたが、ダニエルのその声に足を止め、振り返ってつけてきている人物を見やる。そこには、黒いコートに赤い雲模様という、同じ装束を纏った二人の男が立っていた。
一人は口布をした怪しい目の色をした男。もう一人は赤い刃のついた大きな鎌を持ち、薄ら笑いを浮かべて立っていた。
「カンナギのマヤだな」
「へー、可愛いじゃん」
低い威圧的な声でマヤに確認を取る男と、薄笑いを浮かべたまま軽口を叩く男に向けてマヤは真顔で即答する。
「違います! 可愛いってのは、合ってるけど」
「ハァ……? 何だこいつ、自分で言ってやがるぜ。……って角都よォ、こいつ違うって言ってるぜぇ?」
眉を顰めて言う三練鎌の男に、口布の男は半ば呆れながら語気鋭く言い返した。
「飛段! だから貴様は馬鹿だと言うんだ。横笛で物の怪を祓い、怪しい黒猫を連れている。まさしくこいつがカンナギのマヤだ!」
飛段と言われた男は、ハッとしたようにマヤとダニエルを交互に見やる。マヤは焦りの表情を浮かべて口を開いた。
「ちょっと、ダニエルのせいでバレちゃったじゃない!」
「俺のせいじゃない」
「お? 猫が喋ってるぜ? まっ……大人しく捕まっちまえよ。悪いようにはしねぇから」
「あ、あんた……、それ以上……コッチ寄らないで! あんたの後ろ……」
「俺の後ろー?」
マヤに言われ、素直に振り向いた飛段だったが、後ろには無愛想な相方しかいない。
「おい、角都しかいねぇじゃねーか」
「ち、違う! 後ろの人も……うわっ、悪霊だらけ!」
「あくりょー? なんだそれ?」
「どうやら、こいつには何かが視えているようだな」
角都は冷静だった。マヤは腕を組むと、自信満々に言い放った。
「しょうがないなー。折角だから、祓ってあげるよ。もちろん、タダでいーよ」
「タダ?」
言っていることがよく分からない飛段は、訝しむような眼差しでマヤを見下ろす。角都は警戒しながら様子を窺っている様子だった。マヤは懐から横笛を取り出すと、華麗な旋律を奏で始める。
角都はその演奏に目を細めて聞き入り、芸術の域を理解できそうもない飛段も、その洗練された笛の音色に思わず聴き惚れていた。
「スッキリした?」
演奏を終えたマヤがニッコリと笑いかける。
「おお……心なしか、身体が軽くなったような?」
「……うむ」
顔を明るくさせた飛段と、いかにも納得したかのように頷く角都へマヤは踵を返し歩き出す。
「じゃあねー!」
「お、おお、またなー!」
「おいっ、飛段!」
「っじゃねーよ! 待てよ、お前!」
マヤに吊られて軽快に見送りかけてしまった飛段だったが、角都の声に我に返る。そしてマヤを追おうとするが、まるで金縛りに遭ったように足が全く動かなかった。
「角都! 足が動かねえ!」
「あの女……!」
角都の足も動かなかった。ならば、こうだ!と、角都は手から触手を出してマヤを追いかけた。
「お、おい! マヤ、後ろ!」
「げっ!」
意気揚々と歩いていたマヤだったが、振り向きざまに追いかけてくる、蠢く黒い触手に驚愕する。
「ダニエル、お願い!」
「仕方ねぇな!」
マヤの声に答え、ダニエルは大きく変化するとマヤを背に乗せ、そこから天高く跳躍してあっという間にいなくなった。
「………」
「………」
そしてその場には、角都と飛段の沈黙のみが残された。
「おい、角都よ……」
「なんだ」
「俺達、いつまでこのまんまなんだ?」
「………」
角都はその問いには答えない。
「大体よー、あの女、金になるのかよ?」
「なる。あの女がどれほど稼いでいるか、頭の悪いお前には分からんだろうがな。祓い師の中では超一流、しかもぼったくりの常習犯だ」
「褒めてんのか?」
「賞賛に値する」
真顔で言い切る角都に、ぼったくりのどこがいいんだ?と飛段は頭を捻った。けどま、可愛かったからいいかー、と何の関係もないところで納得している飛段だった。
結局、二人が動けるようになったのはそれから一時間後のことであった。
パチン!
「鬱陶しいな……! うん」
デイダラは自分の頬を軽く叩き、その後で掌をブンブンと振り回す。
さっきから耳元を掠める不快な羽音。そいつらはデイダラの血を狙って、肌が露わになっている箇所に集まってきていた。
「生身の身体ってのは、つくづく不便だよなぁ……デイダラ」
「そう言うよりもな、旦那。虫除けの薬とかねーのかよ、うん」
「虫除け……。あー」
「あんのか? あるんだったら早くくれよ、うん」
「虫殺しの薬ならあるぞ。かかれば、一発で死ぬ」
しれっとした様子でそう言い放つヒルコ姿のサソリに、デイダラは不審げな目を向けた。
「それって、人も死ぬんじゃねーか……、うん?」
「だったかな」
「………」
デイダラはとぼけるサソリを無視して、鬱蒼とした林の中を歩き続ける。そこへ、急にヒヤリ……とした空気が流れてきてデイダラは足を速めた。
「湖だ、うん!」
デイダラは晴天の空の下、その青色を映す澄んだ色の湖に満足し、汗を流そうと纏っていた全てを脱ぎ捨てて湖の中へ思いっ切り飛び込んだ。
「気持ちいいぜ、うん!」
蚊は汗の臭いに寄って来るというしな、これでスッキリだぜ、うん!と、デイダラが気持ちよく湖を泳いでいるところへ微かに笛の音が耳を掠める。デイダラは立ち泳ぎをしながら耳をすませてみた。
「あっちの方だな、うん」
デイダラは気配を消し、水音も極力抑えながらすすー……と魚のように岩場へと近付いて行く。笛の音がより一層、強く聴こえてくる。デイダラは湖面から少しだけ顔を覗かせ、その笛の音の主をこっそりと見つめた。
「……イイ女だ、うん」
巫女の出で立ちであるその女は、朱色の袴を太腿までたくしあげ、岩場に腰を下ろしていた。素足を水に浸したまま、横笛を吹いている。
うーん。なんて澄んだ音色だ……。
デイダラは瞼を閉じ、その音に聴き入っていたが不意にその音が止んだため、再び目を開いてその様子を窺った。
「さっきは嫌な汗かいちゃったな……」
「あいつら、すごい血の匂いがしてたぞ」
「悪霊もものすごい数だったよ……」
「浄化しがいがあっただろ?」
「ハハ……してないし。地霊に働きかけて足を縫い付けてやっただけ」
「お前も結構、悪だな」
「タダ働きはしない」
そう言って悪戯っぽく笑う女と、その傍らで女と話している黒猫を見て、デイダラは眉を顰めた。
……猫、が喋るのか、うん? 待てよ。口寄せだな、うん。
しかし、デイダラは猫の尻尾の数を見て、考える。
九尾!? いや……違うな。九尾は狐だろ? 猫だったら二尾だった……はずだ、うん。
そこまで考えるとデイダラは、一先ず泳いで岸へ戻る。そして水気を拭き取りながら、岸辺でぼんやり湖を眺めていたサソリに問い掛けた。
「なぁ旦那。九尾って狐だったよな、うん」
「……なんだ、いきなり」
「で、化け猫は二尾だよな、うん」
「だから、なんだ!」
イラッとしてサソリが聞き返すと、着替えを済ませたデイダラはひょいひょいと足取りも軽く、その場を離れた。
「……チッ」
自分の問いに返事もせず、勝手にいなくなったデイダラに対してイライラして、サソリは舌打ちをした。そして、眼前に広がる湖を無表情で眺めながら眉をひそめる。
属性から言って、湖にいるのは三尾のはずだ。
とはいえ、ここには何の気配もない。
何をトチ狂い、尾獣の話だ?とサソリは一層眉をひそめる。
デイダラは、岩場の上から女の元へ近付いて行った。気配は完璧に消している。しかし、ピクリ……と耳を動かせたダニエルがデイダラを睨みつけた。
「おい、マヤ! またヤバそうな奴だ」
マヤは振り向いて、金髪の男を視界に捉えた。途端にその顔は引き攣り、嫌な顔をした。先ほどの連中と全く同じ装束を身に纏っていたからだ。
「おい、そんな露骨に嫌そうな顔すんなよな……うん」
その表情を見ると、些か傷ついたような顔つきでデイダラはマヤに近付いて行った。九尾なのに猫、猫なのに九尾、という奇妙な生き物にも興味はあった。だがそれ以上に、年頃の男としてデイダラは、好みの女にちょっかいを出したくて仕方がなかった。
「お前、名前はなんていうんだ、うん?」
「………」
女は黙ったままデイダラを見返している。仕方なく、デイダラは自ら名乗った。
「オイラはデイダラってんだ、うん」
「……私はマヤだよ、うん」
「……真似するな、うん」
「……ごめんね、うん」
「………」
「………」
二人の間に微妙な空気が流れ、デイダラは少しばかり不機嫌な顔をする。そしてマヤの了承も取らず、その傍に近付いたことでマヤは飛び退いた。その拍子に、湖の中に背中から落っこちた。
「お、おい!」
デイダラは思わず中腰になり、湖面を激しく揺らせて足掻くマヤに顔色を変えた。
「あいつ、泳げないんだ!」
黒猫のその声に、デイダラは咄嗟に湖へ飛び込む。そしてその手がマヤの腕を掴んだ瞬間、デイダラの頭はマヤのもう一方の手で押さえつけられ、水中に沈められた。
「ダニエル!」
マヤはそう叫ぶとデイダラの頭を踏みつけて水中から飛び出し、巨大化したダニエルの背に乗って飛び去って行った。デイダラは勢いよく湖面から顔を出し、それを呆然と見送る。
「てめぇえ! 次会った時覚えてろよ、うん!」
デイダラは嵌められたという事を悟り、激高して叫んだ。
「おい、なんだ、その格好」
「な、なんでもねーよ! うん!」
戻って来るなり不機嫌な面持ちで、全身びしょ濡れのデイダラを見てサソリは最初こそ驚いたものの、大方の予想がついてしたたかに笑い声を立てた。
「ナンパに失敗したか? ククク……」
「……るせえ……うん」
あの身のこなし……単なる女じゃねーな、うん。
クソッ! まんまと引っ掛かっちまったぜ……。
それに、あの奇妙な猫が口寄せなら、普通に考えて忍である確率は高い。うかうか無警戒で近付きすぎた、とデイダラは悔やんでいた。
「この湖にはなんもいねーみたいだし、さっさと行こうぜ旦那!」
水を含んで重たくなったコートを着込んだまま、ムスッとした表情で歩いて行くデイダラに、サソリは後ろから声を掛けた。
「飛んで帰らねェのか?」
「……粘土は水を吸って使いモンにならなくなってんだよ、うん!」
「そうか」
そう言ったサソリの声は笑いを含んでいて、デイダラは振り向きざまに鋭い眼差しでヒルコを睨みつけた。
「旦那! 今、笑ってただろ、うん?」
「ん? おい……笑うなっていうほうが無理だろ? ククク……」
サソリは隠すことなく、低い声で笑った。
くそー、あの女! 今度会ったら覚えてろよ、うん!
デイダラは、喰らう物の無くなった掌の口を眺めながら密かに仕返しを誓っていた。
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