ここはどこだろう。マヤは酔いの覚めない頭で考えた。一つの仕事が終われば次の仕事を探し、あちこちを転々とする。派遣社員、もとい、使い捨て社員。職場を転々としてるので人間関係を築く必要がなく、職場が変われば人間関係もリセットされる。自分の家はなく、仕事に合わせて寮を借りたりシェアハウスなどをしたりするその日暮らしの日々。それが私の日々であり、どうしようもないほど辛い人生というわけでもないが何一つ誇れるものなどなく、ただ生かされているだけの毎日だった。
そんなある日私はふと死にたい欲に取り憑かれた。ちょっとそこのスーパーに行くわみたいなノリで、簡単に、そうだちょっと死んでこよう、そんな気持ちがふっ、と舞い降りてきたのだ。
思考がふわふわして、何も考えられない。ふらふらと電気も点けずに薄暗い部屋の中を彷徨い歩く。私が見つけたのは、もはや日常茶飯事と化した眠れない夜のお供であるカクテルと、全然効かない睡眠薬。私はあるだけ全部をカクテルで流し込んでしまった。
だとするとここはいわゆるあの世というやつか?全く実感ないけど、そうと考えれば辻褄は合う。寧ろこの状況ではそうとしか考えられない。自分は本当に死んでしまったのだろうか。移動しながら頭の片隅でマヤはその事ばかり考えていた。あまりにも実感が無さすぎた。ここはもしかすると地獄なのだろうか?そう思えるほどに真っ暗で何も見えない。全てが闇に包まれていた。
本当にあの世だとして、自殺をしたということになるのだろうか。もしそうなのだとしたら、もしかしたら私は一生この場所を離れることは出来ないのだろうか。よく話には聞く、自殺をしたらその場から離れられず死んだ瞬間を永遠に繰り返すのだと。薬で眠るように死んだのなら私はどのようにしてその瞬間を繰り返すのか。ここで永遠に孤独に在り続けなければいけないのか。
生前、夢や希望があったわけでもなく、死ぬ理由が無いから生きていただけの自分だ。今さら生への執着など無い。でも苦しいのや辛いのはいやだ。
30年程の人生でいつの間にか死んでしまっただけでも100年生きて家族に看取られながら静かに息を引き取る老人に比べたら十分哀れな死に様だ。それが自業自得なのだとしても、あの時の私はまともな思考など持ち合わせていなかったのだから。
だいたい自分は善い事もしていないけど悪い事もそんなにしていない、筈だ。最大の悪事といってもせいぜい年をごまかして水商売の仕事をしてた事があったくらいだ。それだって両親がいなくなって食うに困ったから仕方なくだ。前科も補導暦もない。
世間的には複雑な家庭環境を笠に普通の人とはちょっと違う道を進んだだけで、自分のような人間は他にもたくさん居る。子どもの頃から家庭不和の中で育ち、母からも何度か殺されかけたし父にも暴力を振るわれた。生まれてきたことを嘆くことはあれど喜びも幸せも感じることは無かった。家でも学校でも死ねばいいと言われて生きてきた。思えば嫌われてばかりの人生だった。
仕事だって権利争いや何やで同僚は皆殺気立ち、嫌な客の相手もする。それでも必死に生きて、生きて、生きて、生きてきたというのに。なのにどうして自分がこんな酷い目に合わなくてはいけないのだ。こんなのあんまりだ。
どれくらいそうしていただろう、何処からか声が聞こえてくる。姿は見えないが、声だけが頭に反響してきていた。テレパシーか何かなのか、実態がないのか。
「誰?」
気付いたらそう尋ねていた。随分と覇気のない声だ、と自分で思う。声の主は言う。生きて帰りたいかと。おかしな事を言うな、と思った。私は死んだのではなかったのか。しかしこのままここで孤独に在り続けるのは嫌だと思った。生きたいわけじゃない。だけどそれでも、ここじゃないどこかに行きたい。何も無い自分を呪いながら生きるだけの毎日だとしても、 ここにいるよりはマシだと思えた。
「帰りたい」
そう、ハッキリと答えた。声の主は続けて言う。ここから帰るのは容易ではないと。幾千もの世界に通じる扉があって、そのどこから元の世界へ帰れるかはわからない。帰れる保証もない。それでも、行くのかと。
「───はい」
どこだって構わなかった。元の世界に帰れなかったとしても、それでもいいと思えた。だから私は声の指示に従って、暗がりを歩いた。不思議と怖くはなかった。どこまでだって歩いて行ける、そう思えたのだ。
そうして辿り着いた。やや薄暗いがいつくもの扉があるのがわかる。私はとりあえず端の扉を開くことにした。ここでは無いどこかへ向かうために。
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彼女は旅に出る。/AQUALOVERS