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聞き慣れない音がする。穏やかな海のさざ波のような、心地のよい微かな音が僅かにマヤの意識を現実に浮上させた。どこか遠くから誰かの談笑が聞こえてきていた、賑やかそうな、楽しそうな、そんな声だ。

けれどそれらはどこか反響し、くぐもったような、夢もやに掛かったかのようであやふやな音をしていた。寝ぼけているせいだろうか。

マヤは身を起こそうとした、けれどそれは叶わなかった。思ったよりも勢いよく立ち上がってしまったのだろうか、何か硬いものにゴチン、と頭を叩きつけてしまった。

痛い、と声には出さず心で思う。頭に手をやってみると少し膨らんでいるような気がする。たんこぶでも作ってしまっただろうか。

ここはどこだろう、薄ぼんやりとする頭でマヤは考えた。何故、真っ暗なのか。どこかに閉じ込められているのだろうか。箱のような、狭い空間の中に私はいた。息苦しさを覚えて私は胸に手を当てた。

私は拳を作り、軽く叩いてみた。出してくれ、と叫びたかったがまるで声が出てる気がしない。



何ここ、どうなってんの?



瞼が重く目を開けるのも億劫で、再び意識を手放そうとした時、誰かの足音が聞こえた気がした。それは此方に向かって来ているようで少しずつ音と地響きが大きくなってくる。誰なのかわからず、マヤは一気に覚醒し恐怖が体を支配する。

やがてその音は間近まで迫り、ガタゴト、と音がしたかと思うと視界が開けた。やっと視界に差し込む光にマヤは少し目を顰める。すると知らない男が此方を覗き込んでいるのがわかった。



「お、女の人!?」



おそらくは未成年だろう、大人でもない子どもでもない、その中間にあるような風貌をした男があんぐりと口を開けて叫ぶ。なんで!?どうして!?と狼狽していたが、それは、すぐに落胆したような顔に変わる。



「タルの酒が女に変わったなんてナギさん達に怒られる……」



マヤはどうしていいかわからず暫くその場に佇んでいた、否、動くことが出来ないでいた。辺りを見てみると、どうやら自分は樽の中にいるようだった。
なんで樽の中なんかにいるの?わけがわからなかった。その男の服装からして、船乗りだろうか。そういえばさっきからさざ波のような音がしていた。

するともう一つの足音が近付いてきていることに気付く。頭に黒いパンダナを巻いていて、腰には鎌のような物を身に付けている。鍛えられた筋肉質な体つきをしており、顔は強面。その服装はどこか海賊を思わせた。



「トワ。お前酒もってくるのにどんだけ時間かかってんだ」



その男の視線は傍らにいる少年に向いたあと、マヤに向けられた。お前、誰だ、と警戒心あらわに尋ねられる。怖い、と感じた。恐怖で身体が震える。マヤは絞り出すのもやっと、というような感じで何とか自分の名前を口にする。



「マヤ……か、どこから来た、どうやってここに侵入した?」



返事をしないと、と思った。だが何を言えばいい、気がついたらここにいた。言葉を探していると少年が助け舟を出してくれた。樽の中にいた、などと状況を説明しているようだった。

なぜ人が入っていることに気付かない、持った時に違和感を感じなかったのか、などと強面の男は少年に向けて言う。気づかないのも無理はない。だって、私はあの扉を開いたらいきなりこの中にいたのだから。



「トワ……おまえ、飯抜きな」

「そ、そんなあ……」



少し哀れに思えるほどに悲しい声だった。その少年が可哀想になりマヤは何かを言おうとしたが、余計なことを言って墓穴を掘りたくないために結局口を閉ざすことにした。するとまたもう一つ、足音がやってくる。一体ここにはどれほどの人が集まっているのだろうか。ここはどこなのだろうか。



「どうしたの? ナギにトワ、そんなところで固まって……おや、」



優しげな声だ、とマヤは思った。現れたのは白い道着を身につけた、まるで日本の武道家のような服装の優男だった。その男は私を見るなり不思議そうな顔をして首を傾げた。そして君は……と控えめに尋ねられる。私はもう一度自分の名前を名乗る。



「マヤちゃん……っていうんだね。私はソウシ。船医だ。……おや、どこかぶつけたのかい?」



先程から頭を押えている私を見てか、気遣わしげに伸ばされた手が頭に優しく触れる。



「あ……樽の中にいた時に、ちょっとぶつけてしまったみたいで」

「おやおや、おいで。看てあげよう」

「おいソウシ、この女の素性もわからないのに勝手にそんなこと、」

「なら放っておけというのかい? ナギ。私は相手が誰であれ、一人の医者として見放す訳にはいかないよ。たとえ敵でも、ね」



穏やかなその道着の──ソウシと名乗った男──の声に、強面の男は舌打ちをして引き下がった。少年の朗らかな、流石先生です!という声と強面の男の、飯抜きな、という会話が続けられた。

マヤはソウシに支えられながら樽の中から抜け出し、足元、気をつけてという声に頷きを返して歩き出そうとした。だが、地面が揺れているのか、地上にいる時のようにしっかりと地に足が付いていないような感覚がして、マヤはよろめいた。



「おっと」



そこをソウシに支えられて、マヤはすみません、と言いながらバランスを正そうとした。
確かにこの男は先程、自分を船医だと名乗っていた。船、と付くからにはきっとここは地上ではなく船の上なのだろう。先程から足元が覚束なく、安定しない。ふわふわとした頼りない感覚に、マヤは慣れることができず、ソウシの差し出す手に掴まって歩き出すことにした。

ここは地下か何かだろうか。木造建築でしっかりとした造りをしていて簡単には壊れそうにない。今入っていたのと同じような樽が並んでいた。その奥には階段らしきものがあって、そこから地上に出るのだろうと思った。しかしそこには向かわず、マヤはソウシの案内によってとある一室の前で足を止めた。扉には、医務室、と書かれてあった。

おいで、という優しい声に従ってその部屋の中に足を踏み入れると消毒液の匂いが鼻をつく。そう、病院や、学校の保健室のようなあの匂いだった。他にも様々な薬品が置いてあるらしかったがマヤにはその種類が判別できない。きちんと椅子やベッドなども用意されているようだった。

ソウシに促されるままにベッドに腰を下ろすと頭に氷のうを当てられた。突然のことにひゃっ、という声が上がる。



「ああ、ごめんね、驚かせちゃったかな。これで暫く冷やしておくといいよ」

「ありがとうございます」



先程のナギと呼ばれていた男とトワと呼ばれていた少年はどこに行ったのだろうか、姿が見当たらない。だがそれよりも、マヤには聞きたいことがあった。あの、と声を発するとん?と優しく微笑まれた。その道着の柔らかな雰囲気や優しげな声に、安心して言葉を続ける。



「ここは、どこなんでしょうか?」



そう聞けば、ソウシは少し驚いた顔をする。何か変なことを言ってしまっただろうか、そう思えばソウシから、シリウスを知らないのかい?と尋ねられる。



「シリウス……?」

「ああ、そうか、知らないで乗ってしまったのか……」



憐れむような視線を向けられた。一体ここは何?そんなにやばい所に来てしまったのだろうか、不安に思っているとそれが伝わったのだろう。また優しく微笑まれた。



「大丈夫、君は何も心配しないで。気性は荒いけど、皆良い奴ばかりだから」



ふわり、と頭を撫でられた。この男……タラシなのだろうか、などと思ったがその微笑みには他意は無さそうだった。

頭を少し動かすと窓から見える細い月や無数の星が辺りを照らしているのが見えた。こんな状況にもかかわらず隙間から覗く美しい星空に一瞬見惚れた。

今は夜だったのか、とか、プラネタリウムじゃない本物の星空。夜空にこんなたくさんの星が瞬いているのなんて初めて見た、とかこんな状況ながら思った。美しい星空を見ながら、自分の状況もわからないのに何をやってるんだろう、と思った。

医務室で少し休んでからソウシに連れられて甲板へと向かった。肌寒さに身を竦ませていると、ソウシから羽織を渡された。お礼を言ってそれを肩にかける。
少し先へ進むと酒盛りをしているのだろうか、ファンタジー映画などでしか見られないような格好をした男たちが盃を片手に囲んで談笑していた。その場には、先程のナギやトワもいる。
皆が一斉にこちらを見る。



「なんだ、その女」



眼帯を掛けた、軍服のような服装をしている男が鋭い視線を向けてきた。ナギ、という男も怖い雰囲気だったが、この男はそれ以上だと思った。知らず体が震える。すると今度はその横で肉を頬張っていた男がなんでここに女がいるんだよ、と怒鳴った。ファンタジーの剣士のような服装をしている。
その奥にはどことなく偉そうな感じの雰囲気に見える、ここが船の上ならばさしずめ船長、といった風格の男が酒瓶を傾けていた。豪快な飲み方をするな、とマヤは思った。



「答えろ、女。どこから来た? どうやってこの船に侵入した?」

「その女は樽の中に入っていた。トワが気付かずに運んできたらしい」

「う……すみません」



私が恐怖に身を竦ませていると、ナギさんが代わりに説明してくれた。見た目に反して、優しい方なのだろうか。



「俺たちはリカー海賊団に奪われたお宝を取り戻すべく航海をしている。お前をあの港に返す時間などない」



海賊団、と確かに言った。海賊団だなんて何かの映画のようだ。やはりここは元いた世界とは違うのだろう、それでもマヤは海賊団と聞いて妙に納得していた。
皆それぞれ剣や銃、鎌などを装備している。それらは本物の武器のように見えた。海賊団だというなら彼らは殺戮や強奪などを繰り返してきているのだろうか。先程の優しげに見えたソウシとかいう男も……。



「女、目隠しはどうする?」



不意に、眼帯の男にそう聞かれて、私はたじろいだ。返事を急かすように、答えろ、目隠しはどうするのかと聞いている、と問われ私は慌ててどういうことですか、と聞いた。



「海に放り込む時の話だ。目隠しアリか、ナシか、選ばせてやる。俺は優しいからな」



そう言われて、私は思わず海を見た。今は夜らしく海はどこまでも真っ暗で、今の私にはそれがとても不気味に見えた。ごくり、と喉を鳴らす。
目隠しがあっても、なくても、私には大差がないように思えた。どちらにせよ海に放り込まれてしまうのなら、そのまま溺れ死ぬか鮫に食われるか、だろう。背筋に冷たいものが走る。



「……選べないのか? ならどこかの宿に売り飛ばすか?」



今度は別の選択肢を出されたが、売り飛ばされたら一体どんな目に遭うのかわかったもんじゃない。奴隷のように働かされるのか、それとも陵辱されてボロ雑巾のように捨てられるのか、愛玩されるのか……。それならばいっそ、潔く海の藻屑となった方が良いのか。少しでも生き長らえたい、と思うのなら大人しく売り飛ばされるべきなのか。



「さっさとしろ、今から3つ数えるうちにな。3、2……」



答えられず、私はぎゅっと目を閉じた。



「彼女をからかうのもいい加減にしなさい、シン」



ソウシがそう言うとその男は口元を釣り上げ、その女が怖がるのをもっと見たかったんだがな、と言った。



からかっていただけ……?



一体どういうことなのか。海の藻屑も、売り飛ばすのも、全部冗談だったとでもいうのだろうか。マヤが訝しんでいると突然奥にいた男がハッハッハ!と笑い声を上げた。
び、びっくりした。マヤは弾かれたように奥に目を向けた。その場にいた誰もが皆、その男に注目しているようだった。



「満月の宴にふさわしい余興だな」



その男に言われ、改めて夜空に目を向けてみると確かに綺麗な満月が浮かんでいた。



「いいか? 女、よく聞け……シリウス海賊団の掟は三つだ。ひとつ、仲間は命がけで助ける。ふたつ、女・子供を襲う奴は許さない。みっつ、満月の夜は朝まで宴会をする。安心しろ。ここの連中は、みんな女には優しい」



海賊団とはそういうものだっただろうか。マヤのイメージしていた海賊団とは酒好き女好きの荒くれの集団で、殺戮と強奪などを繰り返す、所謂悪役のような……いや、ONEPIECEのような漫画もあったな。そういえば。というかそれよりも、とおもう。
さっきから、あんまり優しくされてない気がするんだけど……。



「では、新しい仲間に船員を紹介しよう。右から我がシリウス海賊団が誇る剣士ハヤテ。航海士、シン。船医のソウシに料理人のナギだ」



右から順に言われた名前を私は頭の中で反芻した。忘れてしまったら怒られそうな気がしたから、何度もそれを頭の中で繰り返して記憶に残そうと努めた。それにしてもあの強面のナギという男は、料理人だったのか……。人は見かけによらないな、と思った。



「ぼ、僕は!?」

「ああ! そうだったな。こいつが一番の若手トワだ。ただ、困った問題がある」



そのトワという少年は、軽く流されて少ししょぼくれた顔をしていた。見た感じ雑用担当、という印象を受けていたが、やはりそうなのだろうか。マヤは困った問題?と尋ねた。



「船室がいっぱいで、おまえの寝泊りする部屋がない。誰かと相部屋になってもらうしかないな」

「あ、相部屋!?」



全員があんぐりと口を開けていた。それはそうだ。ここには男性しかいないのに。それも、突然飛び込んできた得体の知れない女と寝泊まりしたいなどと思う筈もない。……女好きない限りは。



「僕はまだ部屋がないから無理ですね、倉庫で寝てるので」

「そうだな。別に倉庫で寝泊まりを選んでも構わないが……さて、女……おまえは、誰の部屋で寝るんだ?」



一番の若手のトワがえっ!?と声に出してすっかり慌てふためいていた。それはちょっと、とマヤは思った。
マヤが答えに窮しているとソウシがリュウガ、と咎めるような声を出した。



「ふざけるのも大概にしなさい。若い女性をこんな男共の部屋に泊めるだなんて」

「良いじゃないかソウシ、何かが始まりそうなロマンスくれぇはあっても……」

「だめです」



ソウシがきっぱりと言う。この船の中では恐らく船長の次に権威があるのだろう。ほかの男達もソウシに同意するような声を上げていく。



「とにかく、彼女は医務室に泊める。幸いベッドもあるし、滅多に使わないからね。……それで文句はないかい?」



ソウシのその一言で、皆それぞれ自由に発言をしていく。このハヤテ様が医務室に世話になるわけねーだのフン、俺には関係ないことだからな、だのソウシがそう言うなら俺も賛成だ、だのと口々に言うが、皆納得しているようだった。



「……ありがとうございます」



マヤは深々と頭を下げた。その頭を優しく撫でながらソウシが言う。



「いいんだよ、君も怖かっただろう? いきなりこんな海賊団の中に放り込まれて。今日はもう休んだらどうだい?」



マヤははい、と答えたがそのやり取りを見たハヤテが出た、と言った。ソウシは天然タラシだからな、とシン。それに対し、こら、大人をからかうものじゃないよ、とソウシが言った。




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