Walkure


May Happy be With You





May Happy be With You


「忘れ物ない?平気?」
『大丈夫。ありがとうね』
がらんと半分空いた部屋を背後にドアを開ける。門出にはもってこいなやわらかな日差しが私たちを包みこんだ。

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『あのね、彼氏ができたの』
「…そう」
深夜、お風呂から上がってテレビを見ながら脚をマッサージしている時に彼女がぽつりと言った。
彼女の突然の告白にさほど驚きはしなかった。寧ろ腑に落ちたというか、妙に納得した。
高専を卒業してからは大学に進学したものの、お互い呪術師として籍を残して任務を行っていた。共に死線を越えながら青春を過ごしてきた仲である。彼女の任務中の誤差の範囲のミスも、最近妙に視線が合わなくなったことも、マットの赤リップから青みピンクのリップを好んで使うようになったことも、全てそういうことだったのだ。
『それで呪術師も辞めようと思って。寮も出るって決めたから』
「あんたそれ本気で言ってんの!?まさか彼氏に言われて辞めるとかじゃないわよね」
思わず足の小指をローテーブルにぶつけてしまって激痛が走る。彼女がさっと冷凍庫から保冷剤を持ってきてくれた。こりゃあモテる訳だ。
『ちゃんと自分で決めたからそこは安心して。ほら私、元々非術師の家系だから進路選択の自由度は高いし、なんか大学生活も楽しくなっちゃって。呪術師としての生活が全てなのは少し違うかなって』
「…そっか」
『それに、』彼女が一息ついて面と向かって言う。
『あの人とだったら一生隣にいてもいいかなって。だから私、もう簡単には死ねないの。駄目かなぁ』
「そんなの、駄目って言えるわけないでしょ」
普段は穏やかなのに一度決めたら何がなんでもやり通す――例えば五条先生からの無茶ぶりだって、周囲に全力で止められてもこなしてしまうような彼女が決めたことだ、今更私が何かを言う資格なんてないのだ。
『まぁ、野薔薇ちゃんになんて言われようと辞めるけどね』
「あんたのそういうところ、嫌いじゃないよ。それで?今後の仕事はどうするの」
『七海さんのコネでいい企業に入れそうだからご心配なく。これで私もバリキャリの仲間入りよ』
いつの間にか顔面にパックを貼っていた彼女が振り向きざまに答えた。先ほどまでの雰囲気と似合わない真っ白な顔面の彼女に思わずぷっと笑ってしまった。
「本当に強(したた)かね。惜しいくらいだわ」

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二人で駅までの道を歩く。高専生だった頃、年齢の割には高い「バイト代」で一緒に新宿まで買い物に行ったっけ。こうして二人で歩くのって、いつぶりだろう。
「ねぇ、昔代官山のお洒落なカフェでお茶したこと覚えてる?」
『覚えてるよ。急に任務に呼ばれてその後の予定がパァになったことも』
「そんなこともあったわね」
『もう任務とも無縁なのか』
心なしか歩くペースがゆっくりな気がする。それでも別れの瞬間が刻一刻と迫っていく。
『桜、綺麗だね』
「毎年見てきたけど今年は特に見ものね」
駅前の通りにある桜が見事に咲いていた。
「ちょっとこっち向いて。花びらついてる」
彼女の前髪についた桜の花びらをそっと払う。そっか。これからは彼女の前髪を払うのも一緒に桜を見るのも、彼氏の役割になるのか。私だけに教えてくれた秘密も初恋の話も、もしかしたら彼氏に話すかもしれない。これからきっと彼女と彼氏との間の秘密だって、増えるんだ。
『ありがとう。...どうしたの?目。もしかして私と離れるのが嫌?』
寂しい。だけどそれを言ってしまうのは、彼女の後ろ髪を引っ張てしまうようで。折角の門出だ、最後は笑顔で見送ろう。
「大丈夫、花粉症なのに目薬さすの忘れちゃって」
『他人の忘れ物は心配するくせに!ちょっと心配なんだけど』
「そんな日もあるって!ほら電車来ちゃうよ、行こう」
改札が視界に入る。この先の一歩は、彼女にとっては何万歩より距離のある一歩だ。
「結婚式、絶対に呼ぶのよ」
『もちろん。スピーチは野薔薇ちゃんに任せるから』
「彼氏となんかあった時も呼んでね。私が吹っ飛ばしてあげる」
『多分大丈夫だけど。呪霊が出てきたらお願いするかも』
「全く、調子が良いんだから」
予定の時刻が迫る。早く行きな、とんと背中を押そうとするとふわり、包まれる感触。
『野薔薇ちゃん、』
「どうしたの急に」
鼻腔をくすぐる薔薇の香り。去年の誕生日に私がプレゼントした香水。今日つけてくれてたなんて。泣かせないでよ、マスカラ落ちちゃうじゃん。

『幸せになってね』

身体を離すと、ぱっと花開くような笑顔で告げた。零れそうな涙を必死に抑えて彼女に負けじと、私もくしゃりと笑う。


世界で一番美しいひとよ、どうか幸せでありますように。










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