
エメラルド
ヒーローになりたかったと突然彼が言うので、一体何を言っているのか飲み込めなかった。
「今日観た映画のこと?」
「それ以外に何があるというのだ」
音之進は何の疑いもなく言うので悪ふざけではなさそうだ。
映画が観たい、だから着いてきてほしいと誘いを受けた私はほんの少し期待した。いつもと違うチークを使い、おろしたてのワンピースに袖を通し、髪も丁寧に巻いた先に待っていたのは今話題のヒーロー映画だった。
「え、本当にこれ観るの?」
「悪いか?」
「別に悪くはないけど……」
もっとこう、ロマンス映画とか雰囲気のあるものを期待していた私が悪かった。第一私と音之進は腐れ縁でしかなくて、歳の離れた近所の幼馴染の基くんは仕事の都合で来られないから二人になっただけで。音之進とはそれ以上でもそれ以下でもない。薄ピンクのマニキュアを施した爪は褒められることもなく、ぐっと握りしめた手の中で眠っている。
「メフィラスが怪演だったな」
「メフィラスって誰」
「黒い服着てた奴」
「そんな人いたっけ?」
「名前、本当に観てたのか?」
「ちゃんと観てたわよ。スペシウム一三三でしょ」
「そこは覚えているのか」
それもそのはず。音之進は幼い頃からそのヒーローのことが大好きで、ことあるごとにスペシウム光線の真似事をしていたのだ。あれは確か幼稚園に入園したての頃で、いたずらをして父親に怒られた音之進は泣きながら鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で腕を交差させて突進していたし、基くんに意地悪された時も大声で決めポーズをして反撃を試みていた。男の子ならよくあることだと思いながら彼の様子を見ていたけれど、彼なりの強くなれるおまじないだったのだと今になって思う。
「だってあの頃よくスペシウム光線のポーズやってたじゃない。人形なんかも集めちゃってさ。音之進ママも、この子ったらこれしか興味ないんだから〜ってすごく大変そうだった」
「どうして名前がそれを覚えているんだ」
「だってもう何年も一緒にいるじゃない。家族も同然よ」
当たり前のように言ったけれど、家族って何だろう。一緒にいるけれど別に苗字が一緒という訳でもない。婚約した訳でもない。第一私たちは恋人同士でもない。それに気付くと胸がずきんと痛んだ。
「なあ顔上げろよ」
不貞腐れているのがばれたのか、音之進は立ち止まり私を小突いた。相変わらず少し乱暴で、だけど背丈はとっくの昔に追い抜かされて。月日はこんなにも流れているのに私達は何も変わっていないのが虚しくて、これ以上気分が落ちないように顔を上げた。その先には空に輝く一点の星が見えた。
「元気ないな」
「別にいつも通りだし」
「じゃあもし俺が昔本気であの星に行けると思ってたと知ったら笑うのか」
「うーん、それなら笑うかも。でも馬鹿にはしないかな」
「なぜ」
「だって私の大切な人の大切な思い出だから」
ふざけ合ったって喧嘩したっていつも隣に音之進がいた。音之進がいない人生なんて考えられなかった。そんな彼の大切なものを馬鹿にするなど私には到底できなかった。
私にはそのヒーローがどれだけ格好いいのかは相変わらず分からない。けれど彼が憧れたものを少し追いかけてみたかった。彼の心の中の宝箱をほんの少しでもいいから覗いてみたかった。それってとても尊いことではないだろうか。私達は仲良くなりすぎたけれど、だからこそ見えないものもあるはずだ。
「急にかしこまったことを言うんだな」
「こっちは本気です。音之進の好きなもの、もっと教えてよね。音之進の好きなもの!第一に私、なんてね」
「それはあながち間違いではないが」
「え、今何て言った?」
「なんでもない、いつかまた改めて言う」
目に映る夕焼けはいつか三人で遊んだあの日とよく似ていた。きっとあの映画には私達をタイムスリップさせる魔法があるのかもしれない。今私達はその魔法の中で無数の物語の宝石を探している。ノスタルジーに身を任せ、それでも私達は前を向く。そう、あの星を目指すように。
♪M八七/米津玄師