愛猫
あーあ、やらかした。
コンクリート打ち放しの、配管が剥き出しになった無機質な部屋は、ほんのりと鉄の匂いが鼻孔を突いてくる。
意識が戻ってどれくらい経ったろうか。
パイプ椅子の固い座面に座らされて、尻が痛くなってきている。身を捩らせて苦痛を紛らわせながら、私は——
後ろ手と足首にきつく結ばれた縄を解こうとしていた。
背もたれに固定されたそれは、どんなに強く腕を引いてもびくともしない。足は言わずもがな。
「あのー……」
私のいる部屋には、明らかにカタギと呼べる様相ではない男たちが時たま私の様子を見に来ては、どこかへ去って行く。
窓もない、雑然とした薄暗い部屋は時間感覚を狂わせる。
記憶が残っているのは、帰り道に突然襲われて無理やり車に詰め込まれたところまで。
……と言っても、突如誘拐される理由は思い当たる節がありすぎてどの件か分からない。
どれのことだろうと思考を巡らせていると、部屋に金髪のスーツの男が数人の男を連れて入ってきた。彼が入ってきた途端、周囲の空気がぴん、と張り詰めたのを感じた。
この中で一番位が高いのは彼なのだろう。
私のような小物詐欺師の尋問に出てくるくらいだから、せいぜい幹部級くらいか。
交渉のテーブルに就かせるならこの男を籠絡しなくては。私の中の何かがそう囁く。
「んで、なんで自分がここに連れて来られたか分かるか?」
男は私の目の前にそばに放置されていたパイプ椅子を引っ張ってきて座った。
「いいえ、全く」
「お前が騙くらかして金を巻き上げた相手、うちの構成員でなー」
誰のことだろう。何人もの屈強そうな男たちの顔が浮かんでは消えた。
「そんで、その金の出所は元々うちの組織のもんやねん」
「そうなんですね?私は全く知りませ――」
ヘラヘラと笑って誤魔化し、追及をかわそうとしたが、弁明が言い終わる前に私の脳天には黒鉄の銃口が突きつけられていた。
「で?」
「…………」
「知らんかったから何や?お前に騙されたんやから返せ言うとるだけやが」
ぐっ、と冷たい感触が額を押す。
「お前、田舎に親と兄弟がおるらしいやんか」
じわりと首の後ろに嫌な汗が浮かぶ感覚があった。
ことのほか事態は深刻になっているようだった。私は目を爛々と光らせる金髪の男の顔を見て、ようやく思い出す。
(ここ、イナリザキのシマか……)
西の方では名を知らぬものはいない、かなり大きなマフィア組織だ。面倒なところを敵に回したと後悔しても後の祭りだ。目の前の男は次期若頭と名高い宮兄弟の片方――侑の方だろう。
ただし、この男は私を撃たない。否、撃てない。
それは恐らく命令、もっと上からの意志だ。
命で償えという話なら、こんな尋問をせずに私の体はとっくに蜂の巣になっているはずだ。それをしないというのは、やはり、
「とどのつまり私はお金を返すか、もっと別の……お金以上の利用価値を求められている。違います?」
金髪の彼は、私の言葉を聞くなり口をあんぐり開けて固まった。考えていることが全部顔に出るタイプかもしれない。
もう一押し。猫撫で声で私はこう彼に悪魔の囁きを並べ立てる。
「旦那ぁ、私は素寒貧なのでお金は出せないですけど、色々役に立つと思いますよ?…………例えば、こういうのも分かりますよ――あなたの後ろに並んでるうちの一番左の男は裏切り者≠セろうとか――」
「えっ」
指し示された男が驚嘆の声を上げたのと、侑が銃口を斜め後ろに向けて引き金を引いたのは、ほぼ同時だった。
血潮が噴き出したかと思えば、男が真後ろに斃れる。数秒前まで同僚だったそれを見ても、誰も微動だにしない。……よく統率されている。
「……何で分かった」
「勘で……嘘です嘘。あの男だけずっと私を見ずに貴方の隙ばかり伺っているのに気づいただけです。痛いんで銃口でこめかみをぐりぐりしないでください」
「元々ネズミやとは勘付いたったが敢えて泳がしたった奴や。お前もグルか?」
「あんだけ素性調べてたら繋がりがないことくらい分かるでしょう。人の悪意に鼻が効くだけです」
「よし、決めた!」
私は勢いよく立ち上がった男――宮侑の目の奥がきらりと光ったのを見逃さなかった。
「お前、俺が飼ったる」
□
「……ほんで、侑の横でネズミ(裏切り者)狩りさせられとるわけか」
「そうですよ。三食寝床付きでついでに監視付き。まあ最悪ったらないです」
同じ組織の幹部――宮治は、私の話を聞いてまあそんなこともあるわな、と適当に相槌を打つ。
「まあ、ネズミを捕まえるたびにお金はもらえてるし、おかげで故郷の家族にも安定した額が送れてるので待遇は文句なしですけど」
「おい!俺のことを無視すな!」
執務室の中で、侑の叫び声が反響する。
「無視してません。……はい、頼まれてた書類です」
「ほんで治は何しに来とんねん!帰れ!」
「侑が猫飼い始めた言うから見に来たら人やった」
「例え話言うたやろ!」
首輪を嵌められて、ネズミを捕まえてはご主人様に差し出す。まるで飼い猫のような生活だ。
いつかその手を噛んで、痛い目を見せてやろうとこっそり決意するのだった。
つづきません
ARCATRAZ