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指定された居酒屋に開始時間の十分遅れで暖簾をくぐると、通された個室にはすでに皆が顔を揃えていた。引き戸を開けた瞬間、こちらへ一斉に視線が向けられるとなんとも居心地が悪い。

「あー! 来たよ!」「こっち空いてるよ、早く座んなー」「遅い!」「ごめん、仕事がギリギリになっちゃって」

呼ばれた空いている端の席に滑り込む前に、同じテーブルのメンバーを横目で確認する。“彼”の姿はない。私はほっと胸を撫でおろした。掘りごたつ式の座敷に腰を下す。
卒業してから五年。初の同窓会は高校のある最寄り駅前で開かれた。卒業してから梟谷があった駅には一度も降り立つことはなかったから、ロータリーや駅前の風景は自分が見ていたものから様相がだいぶ変わっていた。何百回も行き来していた場所なのに、どうにも違和感ある場所に見えた。

「何飲む? 瓶ならあるけど」「じゃあとりあえずもらおうかな」

言い終わる前に、手元に瓶ビール用のグラスが差し出された。黄金色の液体が泡とともに注がれると、個室の入口に幹事の男が立った。
クラスの学級委員だった男が皆が集まったことに対する感謝の挨拶をしている間、私は周囲を見渡した。クラスの三分の二くらいが集まっているようだった。ほとんど仕事帰りなのかスーツを身にまとっているが、中には私服で来ている者もいた。
そして二つ隣のテーブルに座っていた”彼”の横顔を見つけて、心臓が跳ねた。
一目で分かった。髪が短くなってはいるが、あの時からほとんど面影は変わっていない。

やっぱり来てるんだ。まあこういうの来るタイプだもんね。
その時、不意に彼がこちらを見ていたことがバレないようにすぐに自分のテーブルに向き直った。
「それじゃ、かんぱーい!」
合図とともにビールグラスを突き出した。独特の苦味と炭酸の刺激が喉元を通り過ぎていき、私は顔を顰めた。ビールはやっぱり好きになれない。
彼——木葉秋紀は、所謂元カレという関係性であった。
高校二年生の秋から、高校を卒業するまで付き合ってたの、だと思う。
お互い恋人ができたのは初めてだった。
だからこそ、距離感が分からなかったのだろう。万有引力を忘れてしまった私たちは、部活動に受験勉強と多忙を極めている間に、いつのまにか赤い糸を手繰り寄せた先はぷつりと切れてしまっていたのだ。連絡はずっと前に取らなくなっていたし、大学進学を前に私はガラケーを水没させて壊してしまいスマートフォンに機種変更してしまったから、そのまま自然消滅のような形で別れた。

未練があると言われるとなんとも言えない気持ちにさせられる。嫌いになったわけではないのに、何か話そうという気も起きなかった。とにかく決まりが悪い。今更五年ぶりに話せるわけもない。

とにかく今日は何事もなかったようにスルーして終わろう。
同じテーブルのクラスメイトたちの近況報告に耳を傾けているうちに、時間はゆっくりと過ぎていった。

飲み会というのは一時間も経てば空気もほぐれて各々喋りたい相手の場所に移動するものだから、いつしか隣にいた友人は一番向こうのテーブルに行ってしまい、私はテーブルの会話の輪から逸れ、漏れ聞こえる会話に耳を傾けるふりをして一人酒をちびちびと飲むだけになった。氷の溶けて濃度が薄くなったサワーは酸味だけが残ってとても美味しいとは呼べない味がしている。
その時、声が文字通り頭上から降ってきた。

「——よ、久しぶり」
何度も聞いた、あの声。
見上げると、秋紀がジョッキを片手にこちらを見下ろしていた。
隣、いい? 頷く前に空いた隣に彼はするりと入ってくる。
「あ……ひさしぶり」
咄嗟のことにもごもごと歯切れの悪い返事をする私の前にまずは乾杯しようぜ、とジョッキが差し出される。ここで袖にするほど私も薄情ではない。自分もグラスを傾けるとかちん、と音が鳴った。

「元気してた?」
「うん。……こ、木葉くんは?」
久々に会って下の名前で呼ぶことすらなんだか憚られて、ついよそよそしい呼び方になってしまった。
「なんか呼び方距離あるな……」私の言葉に秋紀は思うところがあるのか一瞬だけ目を逸らしたが、まあいいか、と一人で頷いた。「今仕事何してんの?」

「ゼネコンで設計やってる」
「すご。エリートじゃん」
「まだ二年目だから大したことやらせてもらえないよ。そっちは?」
「製薬会社で営業。こっちもそれは同じだな」

手にしたビールジョッキを呷って、秋紀は苦笑いを浮かべた。
そして私のグラスに視線を落とすと、傍らのメニュー表に手を伸ばす。
「なんか飲むか? 飲み放題らしいしソフドリでもいいと思うけど」
差し出されたメニュー表を身を乗り出して覗き込むとなんだか顔が近い気がして、
「そうだね……ハイボールとかにしようかな」
メニューの一番上にあった大して好きでもないものを咄嗟に選んでしまった。

「角?」
「うん」

私が頷くと、彼はすんませーん生と角ハイ一つずつ、と通りがかった店員に手早く私の分まで注文を伝えると、改めてこちらに向き直った。

「で、なんだっけ。職場どの辺? 新宿?」
「丸の内だよ」
上り電車では通勤が大変だと肩をすくめると、秋紀は目を丸くした。
「マジ? 俺大手町なんだけど」
「そうなんだ。結構近いね」
「な! 意外と近くにいたんだな、俺たち」
私たちの周りだけ、少しずつ空気が逆戻りしていくようだった。失われていた五年間が、じわじわと埋められていくような、秋紀と話しているとそんな心地にさせられた。
ついこの前まで会っていた友達みたいだ。

「あの辺さあ、接待の飲みとかでよく飲み屋行くんだけど単価結構高くて帰りにちょっと飲んで帰るって感じの店なくね?」
「物価が高いからね、東京駅は」
「マジそれなんだよな。なんかいいとこ知らねえ?」
私はスマートフォンを開くと、グルメ専門サイトのページを見せた。会社の近くにある隠れ家のようなイタリアンバル。

「あ、この店通ったことあるわ」
「ここ美味しかったよ。前菜のアヒージョについてくるパンがおかわりできるからずっと食べられるし」
「いいじゃん。最近イタリアンのちゃんとしたとこ? で焼いたピザにハマっててさ」
「石窯とかで焼いたやつってこと?」
「そうそう、石窯。デリバリーのも悪くないけど、本格的って言われるとお、なんか美味そうだな、ってなるだろ」

炭火焼き鳥的なさ、と随分庶民派な例えを挙げられて、私は相槌を打ちながらさきほどテーブルに届けられたハイボールに口をつける。独特の風味が鼻の奥を突いて、少しだけ眉根が寄る。やはりあまり好きじゃない。
ほんのちょっと顔に出ただけだというのに、秋紀にはお見通しだったらしい。

「ハイボール、飲めねえの?」
彼が指差した、氷が溶け始めてほぼ手のついてないジョッキは水面ギリギリまであふれ、もはや表面張力でもっているようなものだった。変に察しがいいのが困る。
「あんまり、好きじゃないかも」
正直に頷くと、素直でよろしいと言わんばかりに「俺が飲むからちょうだい」、とあっさりハイボールのジョッキは手元から取り上げられ、簡単に三分の一ほどが飲み干されてしまった。
ワイシャツの襟元から覗く喉仏がゆっくりと上下していくのを、私はただ眺めていることしかできない。
「だから今度さ、俺も連れてってくれよ。一人じゃああいう店、カップルばっかで入りづらいからさ」
「二人で?」
「嫌か?」
彼は私の顔を覗き込んだ。
秋紀は、水みたいな男だった。
どんなところにも染み込んでいくし、どんな形にも変わる。器用さがなせる技なのだろうか。

私が答えに窮していると、
「こーのはぁー」
秋紀の後ろから、ふらふらと男がやってきたかと思えば彼の横にどかっと腰を下した。確か、秋紀と同じ大学に進学したクラスメイトではなかったか。赤ら顔で上機嫌な彼は、秋紀の肩に腕を回してすっかり出来上がってしまっているようだ。
「げ、めっちゃ酒臭え。こいつ飲みすぎだろ」
すると彼は、私と目が合うなり嫌そうな表情を隠さない秋紀くんの顔を指さした。

「お、久しぶり」
「久しぶり、だね」
「お前さ、こいつ可哀想だからもう一度チャンスあげてくんない?」
「……え?」

チャンスって何だ。私は二人の顔を交互に見た。
秋紀は何かを察した顔つきになるも、クラスメイトの彼はそんな様子に気づくことなく喋り続ける。

「こいつさあ、お前と別れたのずっと引きずっててさあ」
「おいバカ! 言うなよ」
秋紀が慌てて彼の口を塞ごうとするが遅い。
「大学生ん時もお前に未練ありすぎてロクに彼女できてなかったしー」
しん、と私たち3人の間にだけ、沈黙が訪れた。
ここで何か言って冗談として流した方がよい、ということくらいは頭ではわかっていたが、どうにも言葉が出てこなかった。未練があることが事実なのかどうか、核心が知りたくなってしまったのだ。

「もういい! お前向こう行け!」
考えあぐねているうちに、それを最初に破ったのは秋紀だった。クラスメイトの背中を押して他のテーブルに押し返すと、気まずそうな顔つきで戻ってくる。

「未練、あるの?」
「そこ直球で聞くかよ。めっちゃあるよ」
思わぬところでバラされたのが不服なのか、不貞腐れた秋紀が枝豆を唇の端で噛みながらあまりに堂々とそう答えるので、思わず笑ってしまった。

積年のわだかまりというのは、こうも簡単に、水に溶かした綿飴のように消えてしまうものなのか。
「さっき誘ってくれたのもそういうことなの?」

私がそう尋ねると、秋紀はどうも図星を突かれたようで、
「違……いや、違うとも言い切れねえな……」
と要領の得ない答えが返ってくる。
肝心なところでどうにも決められない。

なんか、こういうところは変わらないね。私が言うと彼は不満げに頬を膨らませた。
「今度はちゃんと、うまくやるからさ……」
人は簡単には変わらない。
けれども、秋紀はあの時とは少し違うようだった。


「もう一回、俺にチャンスくれたりしねえ?」





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