天つ風
名字がそれを見たのはちょうどグラウンドについてからだった。平日は校内の女子達が(男子を求めて)観客席にいるのだが、今日は土曜ということもあって観客席にはOBの姿しか見えない。そこに入る勇気は名字にはなかったので、離れたところで見学する。するとカキーンと打ちあたりのいい音がなったのだ。
青道ベンチは雄叫びを上げる。名字は硬式野球を生で見たことがなかったので、驚いた。
先ほど打った球は、同じクラスの倉持が打った球だった。彼は打ったと同時に走り出し、その俊足で1塁ベースを踏む。
「ナイバッチ倉持!」
「続け!小湊弟!」
続いて出てきたのは小柄な男の子。そんな小さな体で打てるのかと思うほど頼りなさそうな選手だが、彼もまた際どい位置にボールを転がしシングルヒット。これでノーアウトで1、2塁が埋まったわけだ。しかし続く3番手、白州という男子は粘ったが三振。青道ベンチは打席を降りた白州にナイスファイ!と声をかけていた。
4番、キャッチャー御幸くん。
今日は練習試合だというのに、ウグイス嬢の声が聞こえた気がした。名字は打席を見ると、左に立つ御幸の姿を見た。
「御幸行けー!」
「ランナーいるぞ!」
「今日も一発頼むぞ!」
「御幸!!」
観客席はベンチより盛り上がりを見せていた。それくらい彼は期待値の高い選手なのだろう。
ピッチャー、おおきく振りかぶって投げる。御幸は一瞬バットを横に構えた。
「セーフティー!」
相手ベンチが吠える。投手は走り出した。
それと同じくして2塁にいた倉持も走り出した。どうなるのか、と名字は目を逸らさずにそこを見つめ続ける。
ニヤリと御幸が笑った気がした。
彼はまたバットを持ち替えフルスイング。カキーン!あたりのいい球は左中間を超えフェンス直撃。本塁打をあげた本人はバットから手を離し片手を天高くあげ悠々走り出した。
「ナイバッチ御幸ーー!」
「お前ならやると思ってたぞー!」
観客席は大いに盛り上がる。1点、2点とランナーがホームに帰る中、2塁を歩く御幸と目があった気がした。
「ナイスホームラン!」
気づけばそんなことを口走っていた。御幸にはちゃんと伝わったようで、こちらに向けてガッツポーズをした。まるで、お前のためのホームランだと言われているようで、名字は赤面する。
ホームに走る御幸の後ろ姿を見ながら、名字はふと和歌のことを考えていた。
『天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ
乙女の姿 しばしとどめむ』
名字は午後から部活がある。しかし、このまま御幸の姿を目にとどめておきたいのは確かだ。クラスにいる時とはまるで人が変わったように、生き生きとする御幸の姿を。この和歌のように、吹く風が部室までの通り道を塞いでくれたら。
御幸がホームベースを踏むと、ベンチの仲間達が御幸を囲んでいた。名字はそれを見ながら思う。自分もあんな風に御幸を褒めることができたら、と。
結局、風が名字の通り道を塞ぐことはない。名字は御幸の試合を最後まで見ることはなく、部活に向かうのだった。





天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ
乙女の姿 しばしとどめむ
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