秋の田の
青道高校は野球部で有名だが、何も野球部だけが強いわけじゃない。青道高校かるた部は全国に名を轟かせる強豪校だ。毎年全国に行き、昨年はベスト4という記録も残した。野球部ほど校内で有名ではないだけで、つわものたちはすぐ隣にいるものだ。放課後になっても御幸はまだ校内に残っていた。今週は週番でいつもなら仕事はすぐ終わるものの、今日は週番のもう一人が風邪で休み、二人分の仕事を一人でこなしているのだ。こういう時にきちんと友好関係をクラスで築いておけば、誰かに手伝ってもらうことができるものの、御幸は野球以外の全てにおいて雑な男なのだ。黙々と仕事をこなし、教務室に日誌を届けようと歩き出した。教務室は渡り廊下を歩いた反対の校舎にあるので、自分の教室からは少し遠い。御幸自身、早めに終わらせ部活に行かなければならないので、走らない程度に早歩きで校舎を歩く。教務室に着き、担任に日誌を渡すと担任から一つ頼まれてくれ、と伝言を言い渡された。
そんな暇はないです、と御幸は言わなかった。学校内にいる限り、学生の本業は勉学なわけで、ただ野球ばかりしていればいいというわけではないのだ。片岡監督には今週週番で遅れることは伝えてあるので、担任の言葉に頷き、件の部屋に向かう。
多分この学校に来て初めて入るであろう、第二柔剣道場だった。
第二柔剣道場は今は使われてない古い体育館の地下にある。体育の授業でも使われないこの場所は、何故まだあるのか疑問に思っていた。取り壊して新しい建物を立てればいいのにと思っていたのだが、その風景を見て壊さない理由を知ることになる。
『秋の田の かりほの庵の 苔をあらみ』
歌を詠み終わる前に、カルタが弾かれた。弾いた本人は他でもない名字だった。
名字は正座し、次の歌が詠まれるのを待っている。今か今かと待ちわびてついに詠まれた。
『由良の門を わたる舟人 かぢを絶え』
バシッ!また名字が弾いた。この歌は先日名字に教えてもらったものだった。鬼気迫る勝負は名字の勝利に終わり、お互いお辞儀をして終わった。
「御幸、どうした」
この教師、気づいていたなら何故声をかけなかったと思う。どうやらカルタ部のコーチはいつだかの古典の教師なのだ。
「○○先生から伝言を頼まれまして。18時になったら教務室に来て欲しいそうです」
「わかった、わざわざすまないな。名字、御幸を送りがてら休憩してこい」
「はい」
たかが数メートルの距離に見送りはいらないと思ったが、休憩なら話は別だ。そのことを口には出さず、御幸は名字の隣を歩いた。
「名字さんはカルタ部だったんだな」
「前に言ったでしょう?百人一首よ」
実はあまり話したことはないのだが、気づけば会話は続いていた。名字から青道高校のカルタ部は全国に名を馳せる強豪校だということを聞いた。
「強いんだな、知らなかった」
「野球部が目立っているからね。みんな知らないわよ」
「その台詞には棘を感じるな」
「そういう意味で言ったのではないけれど」
こんなに会話をしたことがないが、名字との会話は心地の良いものだと思った。気を使わなくてすむ古い友人のような。
「なあ、さっきの歌はどんな意味なんだ?」
別に御幸は百人一首に興味があるわけではない。だが、彼女のことになるとこんなにも知りたいと思うのだ。名字はそれについて聞かれると思ってなかったらしく目を丸くして驚いた。それから柔らかく微笑み、言葉を紡ぐのだ。
「『秋の田の かりほの庵の 苔をあらみ
わが衣手は 露にぬれつつ』。これはね歌の意味より詠んだことに意味があるの」
「詠んだ意味?」
「天皇が士民の苦労を労ったものよ。御幸君にぴったりね」
「俺に?」
「ええ。野球頑張っているでしょ。風の噂で次期キャプテンって聞いたわ。今年も全国には行けなかったけれど、お疲れ様、ありがとうっていう」
名字の言葉に驚いた。なにより歌にのせて言うものだから、お世辞じゃないことがよくわかる。
「来年、全国に行けるのを楽しみにしてるわ」
「名字さんは野球見に来たことがあるのか?」
「私だって部活があるもの、お互い頑張りましょうってこと」
名字は笑って、休憩終わりだから、また明日と言って来た道を戻っていった。
全国に行けなかった悔しさは、今だに残ってはいるものの、次に進まなければならない。名字の言葉を受けて、高揚する気持ちと来年こそはという気持ちを新たにした。自分を認めてくれる人は案外近くにいるものだった。
秋の田の かりほの庵の 苔をあらみ
わが衣手は 露にぬれつつ
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