ちはやぶる
神の時代にも、こんなことは聞いた事がない。
激しく流れる川の様に、とめどなく溢れてくるこの気持ちは何か。紅葉の名所である竜田川が真っ赤に染まる様に、あなたを見ると一目で真っ赤に染まるのだ
この気持ちに名前をください。
「……なんだ、これ」

朝早く教室に向かうと学生はまだちらほらとしか居なかった。隣の名字も、いつも学校に来る時間が早いわけではないので、まだ来ていない。朝練で温まった体を冷ます様に窓側に立てば、名字の机の中から覗く封筒の様なものが見えた。好奇心か、はたまた嫉妬か。どちらにせよ、人のものを勝手に覗くのはよくないのだが、もしもラブレターだったらと思うと気が気ではいられないのだ。
御幸はそっとその封筒を手に取った。そして中身を取り出すと、それにざっと目を通した。
自分には訳のわからない手紙だが、最後の文章はわかると思った。つまるところを言えば『この気持ちに名前をください』とはあなたに恋をしてますという事なのだろう。随分とポエミーで粋な手紙を送るやつがいたものだ。
封筒の裏側に名前はなかった 。無記名の手紙ほど、牽制し辛いものはないと御幸は思った。投手から見る2塁ランナーの様なものだ。
「おはよう」
「あ、おはよう」
御幸は手紙に夢中だったため名字が教室に入ってきたのに気づかなかった。だから名字あての手紙も隠すことを忘れていたのだ。
「御幸君、朝からラブレター?」
名字はくすくす笑う。名字宛だとは口が裂けても言えない。
「見るか?」
「え?いいの?」
本当はお前のだけどな、とは言わず御幸は黙って手紙を差し出した。名字はそれを受け取って中身を読むと、ふっと笑って粋な手紙ねと言った。
「意味わかるのか?」
「わかるもわからないも、和歌が織り交ぜてあるわよ?」
「え?」
なるほどと御幸は納得した。名字が和歌が得意だからこそ送った手紙だったのか。御幸は名前も知らないライバルに脱帽した。自分には同じ様な芸当はできまい。
「有名な歌よ。ちはやぶるっていう」
「あぁ、そこだけ聞いたことがある」
「正直ね。でも、この人うまいわね」
「気になるのか?」
もはや手紙の主が気になると言われてしまえば、御幸は本当のことを伝えなければならない。
「いいえ、私この歌好きではないもの」
しかし、名字の言葉は御幸の想像したものではなかった。
「は?」
「ちはやぶるって素晴らしい歌なのだけれど、私には難しすぎるわ」
「そっか」
御幸はホッとした。これが名字の好きな和歌ではないことに。
「ちなみにちはやぶるってどんな意味だ?」
「『ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川
からくれなゐに 水くくるとは』っていう歌で神の時代にも聞いたことがない、竜田川が紅葉で紅色に染め上げられるのはってこと」
名字は淡々という。
「つまるところ、恋の歌なのよ。私には理解しかねるけど」
「ふーん?」
「『ちはやぶる』って激しいって意味があってね、在原業平が恋仲にあった女性に向けて大袈裟に書いた歌だそうよ」
名字が言うように、理解が難しい内容だった。しかし、嫌いではないと思ったのも事実だ。
「悪くねーな」
「そう?」
「同じ男だから分かるのかもな」
「なるほどね」
名字は笑う。そして、結局その人と付き合うの?と言った。
「いや、ごめん。これ俺のじゃない」
「でしょうね、私前にもこんな様なの貰ったことあるもの」
「気づいてて言わなかったのか?」
「だって御幸君、面白いんだもの」
名字はまた、してやったりと笑った。最近御幸は名字に遊ばれてる様な感覚がないわけではないが、名字のしたり顔も可愛いと思ってしまうので重症だ。だがそれも悪くないと思ってしまう自分がいるので、恋は盲目とはこういうことなのだろうと思う。
「面白いって何が?」
「クールなフリしてからかいがいのあるところ」
それは名字にだけだ、と御幸は言えない
その勇気をまだ御幸は持ち合わせていない。





ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川
からくれなゐに 水くくるとは
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