01 仲間殺しの勇者
――アルカナ王国。
潤沢な資源、広大な国土。そして、優秀な魔法使いや屈強な戦士が多く集まるこの国は、辺境の国々と比べて非常に豊かで、平和に満ち溢れていた。
しかし、その平和が脅かされる事態が起こる。
ある日を境に、人々を襲う魔物が至る所に出現したのだ。
魔物はアルカナ王国だけでなく、他の国々でも出現し、世界中の人々を苦しめていった。
世界の危機に対し、国王は国中の精鋭を集めた国王軍を発足し、元凶を追求するために各地へ派遣した。だが、発足から2年後、国へ帰還することができたのは僅か数名だけだった。
帰還した国軍の報告によると、魔物が発生した原因は遥か北にある迷いの森の奥に、非常に強力な魔物が誕生したことだった。
人々を苦しめたその強力な魔物は、魔物を統べるもの――魔王と呼ばれるようになり、この世界に君臨したのだった。
日に日に強さを増す魔物に、人々は為す術がなかった。絶望していた人類に、ある日ひとつの希望がやどることになる。それは国王直属の預言者による、預言が公表されたからだ。
――4の月。群青と翡翠をもつ子供が生まれるであろう。その者、王者の剣を手に3人の共と悪しきものを打ち滅ぼさん。遠き姫の羽が全て消える時、この世に光現れん――
4月1日に生まれた、群青色の髪に翡翠の瞳を持った子供、ウィリアム・マクレイアーは、勇者として国を挙げて育てられた。
15歳になったウィリアムは、魔王討伐の為に3人の人間と旅をすることになる。
アルカナ王国随一の実力者の戦士、アンドリュー・ランドン。
今世紀で最も偉大とされる魔法使い、アリシア・バデリー。
勇者誕生を説いた預言者の孫で治癒魔法の遣い手、ジェイソン・ウォレス。
各国を旅し、勇者一行は次々とその国の人たちを救っていった。群青色の勇者の噂は瞬く間に知れ渡り、人々は勇者に救いを求めた。ウィリアムは誰ひとり見捨てることなく、救いの手を差し出した。
過酷な旅から3年後、勇者一行はとうとう遥か北の地の迷いの森に辿り着く。
これまでにない強い魔物に苦戦し、最初に魔法使いのアリシアが、次に治癒者のジェイソンがひどい怪我を負って先に進めなくなった。
それでも、世界に平和を取り戻すために、勇者ウィリアムと戦士アンドリューは先へと進み、ついに魔王と対面することになる。
魔王との戦いは、これまでのどの戦いよりも、熾烈を極めたものとなった。お互いが全力を出し切り、激しい魔法や斬撃が飛び交う。
そして、この長い戦いについに決着が着く。
「今だッ! ウィル! とどめを刺せッッ」
「はぁああああッ!!」
ウィリアムの剣が魔王に深く突き刺さると、魔王は目を見開いたまま、恐ろしい悲鳴を挙げた。ウィリアムは躊躇することなく剣を抜くと、魔王の身体から血が勢いよく吹き出す。
「オノレッ、もはや……ワレはココまでかッ」
ゴポリと口から血を吐きながら倒れるが、魔王のその目はウィリアムを鋭く睨みつけていた。ウィリアムが冷静にその目をただ見つめ返すと、魔王はニヤリと口だけを歪めた。
「ワレが、シネばセカイが、もとに、モドルと思っているな……?」
「なんだと?」
「このクルシミは、オワラナイッ! オマエと、ワレはイッショだッ!」
不気味に笑う魔王を黙らせるかのように、ウィリアムは再び剣を振るった。魔王は避けることもできずに、そのまま動かなくなる。
魔王の死を見届けると、ウィリアムの手から力が抜け、カランと音を立てて握っていた剣が落ちていった。
「終わったな、ウィル」
背後に立っていたアンドリューが口を開く。ウィリアムが首だけ振り返ると、満身創痍のアンドリューが、槍を杖にするように立っていた。ウィリアム自身も立っているのがやっとの状態だった。
「ああ、終わったよ。アンディ」
「やつの言うことなど、気にするな。あんなものただの戯言に決まっている」
「ありがとう」
共に旅をする仲間であり、親友でもあるアンドリューの言葉に、ウィリアムは頬を緩めた。ぶっきらぼうだが、この男が優しいことをウィリアムはよく知っていた。
ウィリアムは再び前を向くと、じっと魔王を見つめた。本当に先程の言葉は戯言で済ませてしまっていいものなのだろうか。漠然とした不安がウィリアムを襲う。何か、見落としてはいないだろうか。
そんなウィリアムに気が付くことなく、アンドリューはいつもよりもどこか晴れやかな声で話を続ける。
「魔王を消したことにより、国王軍も直にここに来れるようになるだろう。俺達もアイツらの……」
アンドリューの言葉が不自然に止まる。
「アンディ? どうしたんだ?」
不審に思ったウィリアムは、今度は身体ごと振り返る。
ウィリアムの言葉にも反応しないアンドリューの目は、ぼんやりとしてどこも見ていなかった。
ゴポリとアンドリューの口から血がこぼれる。彼の背後から剣が突き刺さっており、そのまま胸まで貫通していた。
「ア、ンディ……?」
突き刺さっている剣に、ウィリアムは見覚えがあった。先程までウィリアムが使っていた、王より授けられた剣だったからだ。この世に一つしかないと言われるそれは、先程ウィリアムが落とした物であったが、落とした足元に視線をやっても、そこに剣は転がっていない。
胸に剣が突き刺さったままのアンドリューが、その場に膝を着く。アンドリューの背後の空間に血塗れた手が見えたが、すぐに消えてしまった。動揺したウィリアムにはそれが現実に見えたものだったのか、判断がつかなかった。
「……ウィル……」
「アンディッ!!」
最後の力を振り絞って手を伸ばすアンドリューに、ウィリアムも必死に手を伸ばすが、その手が触れ合う前に、アンドリューはそのまま前に倒れ込む。そして、動かなくなった。
「あ……ああああああぁあぁぁッ、どうしてッこんな……」
届かなかった手に絶望し、ウィリアムはそのまま座り込む。じわじわと地面に広がっていくアンドリューの血を、ただ唖然と見つめることしかできなかった。
間もなく、こちらに向かう大勢の足音が聞こえてきた。国王軍が来たのだとウィリアムは思ったが、目を向けることもせず、ただただ動かないアンドリューを見つめていた。
「国王軍到着いたしました! バデリー殿とウォレス殿は無事です!」
「勇者様! ついに魔王を倒されたのですね!」
「……ッ?! あれはランドン隊長じゃ……?」
「ランドン隊長ッ!! どうしてッ」
「おい、これは王家の剣じゃ……?」
「そんな、まさか……」
何も話す気にならなかった。そのまま国王軍に拘束されても、アルカナ王国に連れ戻されても、城の地下の牢獄に投獄されても、ウィリアムは口を開くことができなかった。
「……きて! ……シアさん!」
身体を揺すられる感覚に、アリシアの意識が浮上する。重たい瞼を無理やり押し上げると、そこにいたのは仲間の1人である、治癒師のジェイソンだった。
アリシアは軋む体を無理やり起こす。ジェイソンはアリシアの別途の横にある椅子に座っていた。
「アリシアさん!」
「ジェイソン……? ここは?」
「アルカナ王国の医務室です。ウィルさんとアンドリューさんが魔王を倒し、それによって突入できた国王軍が僕たちを救出しました」
いつもより早口なジェイソンの言葉に段々とアリシアの記憶が蘇ってくる。共に迷いの森を進んだが、強力な魔物相手に酷い怪我を負い、アリシアとジェイソンは魔王の元へ向かうのを断念せざるを得なかった。
そんな状況の中、魔王を2人が見事討伐したというのに、ジェイソンの顔色は優れない。むしろ青白くさえある顔を見ていたアリシアは、ジェイソンの瞳がボンヤリと光っていることに気が付く。
「ジェイソン、あなたその瞳……」
「アリシアさん、ごめんなさい。時間がありません。このままではウィルさんが危ない」
聞きたいことは山ほどあったが、ジェイソンの泣きそうな顔を見て、アリシアは何も言わずに顔を引き締めた。
「どうやら僕は千里眼を開花したようです。まだ、力は安定してませんが、断片的に見えてきました。ウィルさんとアンドリューさんの戦いも、見えました……」
「何か起きたのね?」
「……魔王を倒した後、何者かによって王者の剣でアンドリューさんが殺害されました」
振り絞ったようなジェイソンの言葉に、アリシアは息を飲む。じわじわと瞳に涙が浮かび、嗚咽が漏れそうになるが、アリシアは必死で堪えた。
「魔王の誕生も魔物の発生も……アンドリューさんの殺害も、全ては介入者の仕業です」
「介入者って……?」
「ごめんなさい、詳しくはわからなくて……その介入者は恐らく異界の者」
異界の存在はアルカナ王国でも認知されており、大昔から研究がなされていた。しかし、異界に渡るだけでも膨大な魔力を必要とするため、思うように研究が進まないのが現状であった。
「異界ですって? どうして異界の者がこの国に?」
「わかりません、目的も方法も見えない。ただひとつわかることは、このままではウィルさんが処刑されてしまうということ」
「なんですって?!」
思わず叫ぶように声を上げたアリシアに、ジェイソンも悔しそうに顔をゆがめる。
「アンドリューさんを殺害したとして、現在ウィルさんはこの城の地下に捕えられています」
「なんて愚かなことをッ!! あの子がそんなことする筈ないじゃないッ!」
「僕も、そう思います」
「あの子がこの世界の為に、どれだけのものを犠牲にしてきたと思っているのよ! ……ッ、ボンクラどもが!」
世界の為に文字通り身を粉にしてきたウィリアムを傍で見てきたアリシアとジェイソンには、国の決定がとても愚かなものとしか思えなかった。
「僕の千里眼はまだ不安定で、とても王の決定を覆せるものではありません。預言者の祖父ももういない。今、ウィルさんが死んでしまったら、きっとこの世界に希望は残りません」
「なんとかあの子を助けなきゃ!」
「はい。アリシアさん、あなたなら異界への扉を作ることができるのでは?」
「ええ、できるわ。でも、一度だけしか開けないし、1人送るので精いっぱい」
「お願いです、ウィルさんを異界へ送ってください」
深く頭を下げようとしたジェイソンの顔を持ち上げるようにグッと掴んだ。今だにぼんやりと光るジェイソンの瞳と覗き込むと、アリシアはニッと笑みを浮かべた。
「あの子のことは任せなさい。あたしが絶対に逃がしてみせるわ」
力強いアリシアの言葉に、ジェイソンの目からとうとう涙が零れた。突然の能力の開花に仲間の死。そしてまた大切な仲間に死が迫っている不安に押しつぶされそうだった。
アリシアだって大切な人を亡くし、苦しみの中にいるというのに、そんな彼女に縋る自分がジェイソンは情けなかった。
「今すぐあの子の元へいくわ。ジェイソン、あなたはどうするの?」
「僕も一緒にウィルさんの元へ行きたいのですが……。この足では……」
アリシアがジェイソンの視線を追うように、目を足元に向けると、ジェイソンの足に包帯が巻かれていたことに気が付いた。その包帯からはかなりの量の血がにじみ出しており、ジェイソンが無理やり足を動かしてアリシアの元へ来たのだとわかった。
「あなた、その足は……」
「呪いが掛かった傷のようで、今の不安定な力のままでは治せそうにありません。だから、どうかアリシアさんだけでもウィルさんの元へ」
「……わかったわ! あなたも気を付けてね」
「はい」
別れを惜しむ間もなく、アリシアは魔法を使って身を隠しながら、ウィリアムがいる地下牢へと向かった。
「いてて……」
殴られた傷が痛む。口の端が切れて血が少し流れているのがわかったが、ウィリアムの両手は枷で後ろで拘束されていた為、拭うことができなかった。
少しでも楽な体勢を取るために、石の壁に身体を預ける。
窓もない薄暗い牢に入れられ、食事も満足に与えられなかったので、ウィリアムは今が昼なのか夜なのか、魔王を倒してからどれくらい経ったのかもわからなかった。
魔王の最期の言葉、アンドリューの死。罪人の身では、仲間たちの安否さえもわからない。そして、このままでは己も処刑されてしまうとわかっていたが、ウィリアムは動けなかった。
その時、ウィリアムの目の前の空間がぐにゃりと歪んだ。牢の扉の前から人が倒れる音と共に、ひとりの女性が姿を現す。
「ウィル!!」
空間から出てきたのは、仲間のひとりである魔法使いのアリシアだった。
アリシアはすぐにウィリアムの元へ近づいて、横にしゃがみ込むと魔法を使ってウィリアムの拘束を解いた。ずっと同じ姿勢でいたウィリアムは、痺れを取るように手首を振った。
「アリシア……? よかった、無事で」
「あたしよりあなたよ! そんな傷だらけで。あの戦いで受けた傷だけじゃないわね」
「はは、僕は罪人になってしまったからな」
ウィリアムの顔には、まだあまり時間が経っていないと思われる傷がいくつもあった。見えないだけで身体にも傷が残っているであろう。しかし、ウィリアムは何てことないようにからからと笑う。
「そんなのってないわ! あなたはこの世界を救った勇者なのに!」
強く拳を握り、悔しさを込めるように地面へ振り下ろした。ウィリアムの事を誰よりも近くで見ていたアリシアは、王国の者たちの仕打ちが許せなかった。
そんなアリシアの手をそっと握り、ウィリアムは微笑む。
「アンディは慕われていたからな、皆を責めないでくれ」
「あなたはどうして……」
「泣かないで、アリシア」
「あなたが泣けないから、あたしが泣くのよッ!!」
「ありがとう」
自分の為に怒り、涙を流してくれるアリシアの存在が、ウィリアムは嬉しかった。泣けない自分が救われるような気がして。
しばらくアリシアは涙を流していたが、振り切るように乱暴に涙を拭うと、ウィリアムに強い視線を向けた。
「端的に伝えるわね。ジェイソンが千里眼を開花させたわ。まだ力が安定していないけど、貴女に伝えてくれって。この国に介入者がいると」
「介入者?」
「ええ、魔物の凶暴化も魔王の誕生も……アンドリューを殺したのも。すべてはその介入者の仕業だと」
介入者と言われて、ウィリアムはアンドリューが刺された際に見た手のことを思い出した。あの時は混乱していてよくわからなかったが、あれが介入者だったのではないだろうか。
「一体、何者なんだ」
「わからないわ。ただ、この世界の人間ではないの」
「異界の者が介入していると?」
思っても見なかった存在の干渉に、ウィリアムは眉を顰める。
「そうよ。あたしは一度だけ異界への扉を開くことができる。それであなたを異界へと送るわ。ここにいたらあなたは近い内に処刑されてしまう」
「でも、その介入者の居場所がわかるのか?」
「いいえ、それはあたしにもジェイソンにもわからないわ。でも、その扉の先には願いを叶えてくれる魔女がいるはずなの。彼女の助けで介入者を追うことができるはず」
「そういうことか」
異界の扉の先に魔女がいるというのは、ウィリアムは初めて聞いたことだったが、国一の魔法使いであるアリシアは、魔法に関する機密情報なども知れる立場にある。きっとそういう情報なのだろうと、ウィリアムは思った。
「わかった。僕が必ず介入者をつき止めてみせる」
「……ごめんなさい、あなたにばかり辛い役目を」
「僕は勇者だ。皆を守るために生まれてきたんだから」
優しく微笑むウィリアムに、アリシアは何も言えなかった。
「でも、君たちはどうする? 僕を逃がしたなんて知れたら、君たちだってどうなるか」
「だーれに言ってんのよ。こう見えてもあたしは偉大な魔法使い様なんだから! どうにかしてみせるわ」
ウィリアムに心配を掛けないようにアリシアは笑うと、立ち上がって異界の扉を開くための魔法を唱え始める。手を翳して複雑な呪文を唱えていると、徐々に地面から重厚な扉が表れる。
呪文が唱え終わると、異界の扉は完全に姿を現した。異界の扉は真っ黒で、どこにでもありそうな普通の扉だった。
「この扉を開けば異界に行けるわ」
ウィリアムは立ち上がって、扉にそっと手を添えた。扉からはひんやりとした温度が伝わってくる。ウィリアムは振り向くと、アリシアに笑いかける。
「じゃあ、いってきます」
「ええ、いってらっしゃい」
言葉は少なかったが、それでもお互いの想いはわかっていた。幼い頃から魔王を倒す為に一緒に育ってきたのだ。
ウィリアムは扉を開くと、躊躇なく扉の向こうへと足を踏み入れ、その先へと進んだ。開いた扉はゆっくりと閉まり、そのまま消えていった。
「どうか、どうか……あなたが救われますように」
牢にひとり残ったアリシアは、静かに異界の魔女へ祈りをささげた。