そう、思ったというのに。
「見つけた! 珀姫!」
「だから俺はその姫様とやらじゃねえって……」
案外女はしつこかった。最初に見かけてからもう半年が過ぎたというのに、依然として追いかけてくる。
母さんのように貞淑さの塊みたいな人を見ていたからか、うんざりする。
女に化けるの、辞めるか……。
「でもこんなに綺麗なの、珀姫以外にあり得ないでしょ!?」
「お褒めにあずかり光栄。だけど俺は姫様じゃねえ。諦めろ」
「……じゃあ珀姫の親戚? 隠し子……はないか、あの子のことだし……でも……」
「じゃあ俺はこれで」
「ちょっと待ちなさい」
ちっ。思わず舌打ちを一つ。
ブツブツ呟いている間に逃げようと思ったのに。女の手は俺の腕を捉えて放さなかった。
「珀姫じゃないってんなら……アンタ、名前は?」
「お生憎様。しらねえ奴に名を名乗る義理はねえ」
「……あとどうでもいいんだけど、その姿で舌打ちするの辞めてくんない?」
「何でだよ」
「珀姫はもっとこう、柔らかくて繊細で……間違っても舌打ちなんてしない女でしょ!」
「だから俺はその姫様じゃねえっつってんだろ」
「出来れば私って言って。あとその仏頂面辞めて」
「注文が多いこって」
めんどくさい女に絡まれてしまった……。どうするかな。
無理矢理振り払って逃げれば、俺の方が力は強いしいけるかもしれない。
だけどこの女、妙に隙が無いというかなんというか。戦闘系の雰囲気を感じる。
「っていうか、俺って……アンタ本当は男なの?」
「…………」
「……珀姫に化けて何かするつもりなんじゃ……」
「だから珀姫って誰だよ……」
帰りたい。
買い物は全然終わってないがもう正直帰りたい。めんどくさい。
「で、あんた名前は?」
「……人に名前を聞くときは自分から名乗るもんだぜ、オネーサン」
「……ふん、生意気な奴。妾は雪麗。雪女の雪麗よ」
「雪女……」
やはり妖怪。
となると俺の父親……母さんの元旦那の関係者である可能性が高い。
「さ、あんたの名前を教えなさい」
「…………」
「偽名を使ったってムダだからね」
「……教えても良いが、条件がある」
「条件?」
首をかしげた女に、俺は言った。
「俺のことを誰にも話すな。どんな親しい間柄の相手にもだ」
「……なんで?」
「それが嫌なら名前は言わない。もう二度とあんたの前にも現れない」
「…………分かったわよ。約束するわ」
「……ああ、約束だ」
こんな口約束には何の縛りも無い。
それでもこの女を黙らすにはそうするしかなく、また母さんとの生活を守るための手段もこれだけだった。
「俺の名前は、鯉珀」
「……鯉珀……?」
「そう。じゃあな、雪麗さん」
「! ちょっと待って、まだ聞きたいことが……!」
「…………生憎だな。俺にはもう話すことはないよ」
一瞬の隙を突いて、女の腕から逃れる。
「鯉珀!」
そう名前を呼ぶ声に、振り返ることはしなかった。
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Wisteria
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