Wisteria








――それは、春とは思えないほどに澄み渡った、真っ青な空の日だった。








「……兄さん、」


ざわざわと賑やかな雑踏の中、もまれ続けて何度も転びそうになりながら、見慣れているはずの淡い髪色を探す。
だけれども私は背が高い方ではない上に、周囲の人混みにいるのは先輩か同級生のどちらか。つまり私より背が高い人ばかりなのだ。
おまけに私は影が薄い。存在感がないから、相手から見つけてもらえるとも思えない。


「兄さん、」


辺りを見回しても見つからない。おろしたての真新しい制服が人にぶつかるたび、そしてぶつかっても気づかれないたびに、心細さが増していく。

兄さん、どこ。


「――千瀬」
「!」


ぽん、と肩をたたかれる。
振り返った先にいたのは探していたその人――双子の兄、黒子テツヤで。私はほっと胸をなで下ろした。


「兄さん……! すみません、はぐれてしまって」
「いえ、こちらこそ」
「でも、よく私が見つかりましたね」
「僕は、千瀬の兄ですから」


そう言って微笑む兄さんは、私よりほんの少ししか早く生まれていないにもかかわらず、とても頼もしく見える。
影の薄い私を、まるで普通の人のように、何でもないことのように見つけてくれる。
そんなのは兄さんだけだ。
今までも、きっとこれからも。


「千瀬は背が小さいですから、人混みは大変だったでしょう。少し休みますか?」
「いえ、大丈夫です。それよりも、早く教室に行かなくちゃ」
「そうですか? じゃあ、はぐれないように」


はい、と差し出された手のひらを、何のためらいもなく握り返す。
まるで子供同士のようなやりとりだけれど、今までの経験上、これが一番効率的だと分かっていた。
それに、まだ中学生になったばかりだ。高校生ならまだしも、これくらいは許されると思う。

兄さんと手をつなぎながら進む中、ふと掲示板に目を向ける。
沢山の諸先輩方が書かれたのであろう、部活の勧誘チラシが所狭しと貼られていた。


「兄さん」
「はい」
「部活……何にするか、決めましたか?」
「はい、決めました」


千瀬は? そう目で尋ねられ、私はそっと微笑む。


「マネージャーにします。バスケ部の、マネージャー」
「そういうと思いました」
「兄さんは?」
「僕は、もちろんバスケ部です」


そういうと、思いました。

私も心の中でそうつぶやき、くすりと笑う。

双子だけれど、兄さんは私より運動神経がいい。そしてバスケが好きだから、そうすると思っていた。
何より、彼との約束があるから。


「試合で会えるといいですね、荻原君」
「はい」


兄さんは、とても嬉しそうだ。
兄さんが嬉しいと、私も嬉しい。











○○○













「えっ」
「あ」


ぴし、と思わず私は固まった。
兄さんに手を引かれながら何とかやってきた、大きな臨時掲示板の前。
そこに張り出されたのは、新一年生のクラス割り振りだった。


「……兄さんと、クラスが、違う……」
「双子はそうなると聞いたことがあります」
「…………小学校では、ずっと一緒だったのに……」
「帝光中はマンモス校ですから。そうなっても仕方ありません」


顔を覆うほどショックを受けている私に対し、兄さんは案外さらりとしている。
知っている。兄さんはとてもしっかりした人だから、これくらいでショックなんて受けないし、クラスが私と離れたところでどうということはない。
だけど問題は私だ。

兄さんや荻原君のような、限られたぬるま湯のような友好関係の中で生きてきた私が。
兄さんなしの、クラス……。


…………。
やっていけるだろうか。
というか、そもそも私は誰かに気づいてもらえるだろうか……。

……下手したら一年間、欠席者として扱われる可能性もある。
そうなったらどうしよう……。


「千瀬」
「!」


どんどんと悪い方向に進んでいく思考を断ち切るように、兄さんが言った。


「大丈夫ですよ。案ずるより産むが易しと言います」
「……兄さん……」
「千瀬なら、きっとやれます」
「……!」


兄さんが、こんなにも励ましてくれている。

……クラスが、違うけど。
クラスが、違うからこそ。


「……兄さん。私、がんばります」
「はい、応援しています」


ぐっと拳を握って気合いを入れる。
決まったことは、もうどうにもならないのだから。
とりあえず、目下の目標としては。


「誰か一人でも、お友達を作ります」
「はい」


兄さんは、私を安心させるように笑った。













とは、言ったものの。


「……ここ、かぁ……」


兄さんと早々に別れ、教室の前に立つ。
……大丈夫、大丈夫。兄さんが応援してくれたのだもの、きっと大丈夫……。

大丈夫、かなあ。


「君、大丈夫?」
「…………えっ?」


とん、と肩に触れられる。
一拍遅れてから、私のことかと振り向いた。


「!」


とたん、私は目を見開いた。

そこにはびっくりするくらい、綺麗な人がいたからだ。
整った顔立ちに、澄んだ瞳。そして目立つけれどどこか上品な、真っ赤な髪。

男の子、だ。綺麗というのは似つかわしくないかもしれない。
でも、それ以外の表現が浮かばなかった。


「具合でも悪いのかな。あまり顔色がよくないけれど」
「…………私、ですか?」
「? そうだよ」


おそるおそる、自分の顔を指さして聞いた私に、彼はさも当然のように言った。


……はじめてだ。
兄さんや家族以外から、初めて。

私の存在に、気づいたひと。


「…………」
「……?」
「……っあ、だ、いじょうぶ、です。すみません、通路をふさいでしまって……」
「いや、それは構わないが」


すすす、と後退して、扉の前を空ける。


びっ、くり、したぁ……。

私に気づいてくれた人なんて、今までいなかったのに。


「本当に平気?」
「っは、はい……!」
「……なら、いいけれど」


その人はそう言って、けれどどこか心配そうな顔を崩さず、扉を開けた。
と思ったら、開けた扉に手を添えたまま、こちらを見ている。


「……入らないのかい?」
「! は、入ります……」


慌ててその後に続く。何というか、紳士的な人だなあ。

彼は私が入ったのを見届けると、そのまま歩いて行く。

……って、あ、お礼……!


「あ、あの……!」
「ん?」
「ありがとう、ございました……!」


深々と頭を下げる。
扉を開けてもらったのもそうだし、何より、私に気づいてもらえて。

その人は一拍おいて、ふ、と笑う音がした。


「どういたしまして」


その背中を見送ってから、私も自分の席を探す。
席に着いた後でも、その赤い髪は目立った。


いいなあ、と思った。
あれだけ存在感があったら、話しかけても気づかれないなんてことはないに違いない。


ちらりと見てから、失礼だと思って目をそらす。



いい、なあ。

私とは正反対。
住む世界が、違うひとって、たぶんあんな人だ。













「それでは次の問題を……えー、赤司」
「はい」


赤司君。
彼の名前を知ったのは、初対面のすぐ後。入学式の時の、新入生代表挨拶だった。


――新入生代表、赤司征十郎


そう言葉を紡ぐ、同い年とは思えないほど落ち着いた声色と、どこか圧倒されるような雰囲気。

彼が学年中の注目を浴びるのは、決して不思議なことではなかった。


今だってそう。
当てられた問題をすらすらとよどみなく答えるその姿に、クラス中から尊敬の、あるいは畏怖の眼差しが送られているのがよく分かる。


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