姉が上弦に襲われた。
その知らせが入ったのは、夜明け前のこと。
羽織るものもとりあえず、全速力で現場に向かった先に見えた物は。


「姉さん! と、冬麗さん!?」
「……は、は……」
「姉さん! 姉さん!」


姉と椿が倒れている姿だった。
すぐに姉に駆け寄る。まだ息がある。けど。
口の端から、血が流れている。
これは、まさか、そんな。


「姉さん、しっかりして! 姉さん!!」
「……しのぶ」
「姉さん!!」


隠が必死に動いている。けれど抱き上げた姉の体は震えていた。
いやだ、いやだ。連れて行かないで。
そう思うしのぶの目からは、ぼろぼろと雫がこぼれ落ちる。


「いや、死なないで、姉さん!!」
「っけほ、縁起でも無い……」
「!」


その言葉に応えたのは、姉の隣で血を流す椿だった。
よく見れば姉より傷が多い。重傷かも知れない。でも姉を放り出して手当をする選択肢などない。でも。


「っ冬麗さんもすぐ、すぐ病院に……いえ、蝶屋敷に……!!」
「げほっ、いいから…………カナエ嬢を、優先させて」
「でも、貴方も……!」
「し、のぶ嬢は、優しいね。それは、欠点になる……から、やめな」
「欠点……?」
「姉のことだけ、考えてればいい……」
「そんな、そんなこと言わないで下さい!」


隠がバタバタと走り回るなか、手当をしようとした隠の腕を椿は遠ざけた。しのぶは思わず目を見開く。


「光柱様……!!」
「見て、わからんか……私より、カナエ嬢を……」
「あ、貴方も怪我をしてるでしょう!」
「私は、いいから……ああ、来た」
「来た……?」


何が。
そう思って椿の視線の先をたどると、そこには烏が飛んでいた。


「貴方の……鎹鴉ですか?」
「そ。……あー、賢い、鴉で、なにより……」
「オモチシマシタ!」
「ん、どーも……」


鴉が咥えていたのは、藤色の巾着袋だった。大きく膨らんでいる。


「しのぶ嬢、私は手が動かない。君が、やって……」
「な、何を……」
「巾着から、取り出して……カナエ嬢の、口に……」


そこまで言って、椿はげほっと血を吐いた。
しのぶの顔からさあっと血の気が引く。けれど椿は煩わしそうにぺっと吐き出しただけで、なんでもないように続ける。


「はやく……」
「わ、分かりました!」


震える手を必死に叱咤して、しのぶは巾着袋に手を突っ込んだ。
出てきたのは酸素マスクのような形状をしたものと、そこにつながれた粉末が入った小瓶。


「これは……?」
「早く、カナエ嬢に、」
「は、はい!」


おそらく吸入薬だ。しのぶは急いでカナエの口にそれを当てる。
カナエの弱い呼吸が、必死にそれを吸った。吸っては吐き、吸っては吐き、時々けほっと吐血する。その様に手が震えて、そのたびに薬を落としそうになる。
でもきっとこれは、姉の命を助ける為のもの。
今ここで唯一、しのぶが姉にできること。
冬麗椿は変人だけど、嘘はつかない。

やがてカナエは、瞼を落とした。
慌てて耳を澄ませると、すー、すー、と呼吸が聞こえる。眠ってしまったようだ。


「冬麗さん、眠ってしまいました……この後は、って……、冬麗さん!? 冬麗さん!!」


椿に目をやると、彼女もうつ伏せで倒れていた。
サッと顔を青白くしたしのぶの代わりに隠が耳を近づけ、こくんと頷く。生きてはいるようだ。

それからは大忙しだった。
姉のカナエが眠った今、指揮をとれるのはしのぶだけだ。
急いで二人を蝶屋敷のベッドに運んで、見よう見まねで診察をして、医師にも連絡をつけて。


やがて2日後、椿が目を覚ました。


「っげほ、う……」
「! 冬麗さん!」
「しのぶ、嬢……カナエ嬢は」
「まだ、寝ています」
「……生きてるか、よかった……」


目を覚ますなりカナエのことを聞いてきた椿に、しのぶは胸を痛めた。
だってしのぶはカナエを最優先に動いた。間違ってはいないと思うけれど、椿も重傷患者の一人だったのに。
後から調べて分かったことだが、カナエの肺は凍っていたそうだ。あと数分処置が遅ければ死んでいた、と医師から聞かされたときは血の気が引いた。
そして椿は、肺はカナエほどではなかったものの、全身に傷を負っていた。医師は全治三ヶ月と診断した。全治三ヶ月とは相当なことだ。


「……すみません、冬麗さん」
「何が……?」
「私、姉を優先して――」
「あー、いい。それ、当たり前……だから、けほっ」
「で、でも……」
「それより、水……」
「は、はい!」


慌てて差し出せば、彼女はこくこくと飲んだ。まだ腕は動かないようだ。
はー、と一息ついて、椿はしのぶを見据えた。


「しのぶ嬢、君の動きは完璧に正解だった。気に病むことは一つも無いし、カナエ嬢はいつか起きる」
「……でも」
「身内以上に大切な命は無い」
「は、柱がそれ言いますか……」
「柱だから、言うんだよ」


柱だから。
その言葉に、しのぶははっとなった。
彼女は色んな物を持って生まれたと思ったけれど、本当にそうだろうか。
だって幼い頃鬼に身内を殺された。つまり家族がいないのだ。
しのぶにはカナエがいた。二人いたからなんとかなった。
じゃあ、椿は?

研究を十年続けながら、鍛錬も怠らず柱になって。
その過程で一体、どれだけの人の死を見てきたのだろう。
椿は飄々としているけれど、本当に何も思わない女だろうか。
そんな女が、夜食を持ってきたり、研究の面倒を見たり、自分より人の命を優先したりするだろうか。


……しのぶはここで初めて、椿のことを少しだけ理解できた気がした。











やがて椿は怪我の治療もそこそこに、自宅に帰ることとなった。
カナエはまだ目覚めない。心配で無いわけはないけれど、でも大丈夫だと思った。
カナエはいつか起きると、椿が言ったから。


「んじゃあね。お世話になりました」
「……っ、あの! 冬麗さん!」
「んー?」
「私が聞いたのは、姉が上弦に遭遇したと、それだけでした。……もしかして、貴方は姉を助けに行って、傷を負ったのではないですか?」
「いやマア助けって言うか……それも任務だからね」
「……すみません、でした」
「何が?」
「……色々と」


つっけんどんな態度を取ってしまったこと。
姉を優先してしまったこと。
姉を助けに行って、怪我をさせてしまったこと。
にもかかわらず、姉を助けてくれたこと。


「ん、まあ受け取っとくよ。何の謝罪か知らないけど」
「……はい」
「あとね、しのぶ嬢」
「はい?」
「ちゃんと寝な。寝ないと頭回んないよ」


つん、と頬をつつかれる。
しのぶの目の下には隈があった。


「……お借りした本、難しくて、読むのに時間がかかりそうなんです」
「ああいいよ別に、いつか返してくれれば」
「いつか、絶対に返します!」
「うん? うん」
「返す、ので…………それまで、生きていて下さい」


さあっと風が吹いた。
しのぶの黒髪と、椿の日本人離れした色の髪が、風になびいた。


「……ま、善処するよ」


そう、いつものように飄々と笑って。
椿は去って行った。









結局あのときの本は、今もまだ返せていない。
もう全部理解できたし、藤の花の毒も作れたけど。
返した途端死なれては困るから。
冬麗椿は嘘はつかない。善処してもらわなくては困るから。


しのぶの本棚には、あのときの本がまだひっそりと眠っている。










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