主に半兵衛受けのお話が多いです。
渇き 5
渇き 4の続き、秀吉+半兵衛
『全く、珍しく手の掛からない子だと思っていたのに。卿の独断には困ったものだ』
溜息交じりの声には呆れと何処か嬉々とした印象を受けた。言葉を投げかけられた半兵衛は全く悪びれる様子もなく、寧ろ自分の判断は正しかったと堂々と主張する。
「ろくに仕事もしていないのにお金だけ受け取れないでしょう、それに『初めて』のお客様ではありませんでしたし」
大して乱れていないベッドに腰掛けながら、紫の瞳を細めてカメラに向ける。するとやれやれ、と機械の向こうから小さく苦笑いが聞こえた。
『いやすまなかった、秘密にしておいた方がより喜ぶと思ってな』
「僕が?」
『あぁ、まぁ今回は特別だ。次からはきちんと支払ってもらう、いいな』
「えぇ、問題ありません。そのようにしてください」
今回だけ、半兵衛もはなからそのつもりだった。今日のことはあくまで確認、写真の人物と自分が同一であるかということの。男色に興味のない男がここまでわざわざやって来る理由はそれだけ。困っている人間に手を差し伸べる優しさは言動からも滲み出ていた。彼らしい、と心の中で頷く。また来るとしたらしばらく先のことだろうと半兵衛は考えながら、今日のことを思い出す。
「本当に、変な人」
ぼそりと呟いたその口元に笑みが浮かんでいたことに半兵衛自身は気付いていなかった。
翌日、三人目の客を出迎えた時、ドアの前に立つ男の姿に半兵衛は目を丸くして驚いた。
「え、あ……」
「どうかしたか」
「い、いや……すまない、今日も来てくれるなんて思ってもいなかったから」
そこに立っていたのはもうしばらく会うことはないだろうと思っていた男、秀吉であった。何を驚くことがあるのかという顔をする秀吉にもう一度詫びながらどうぞ、と部屋の中へ促す。昨日と同じようにベッドへと秀吉は勧めたが半兵衛は流石に二日も寝てられないよ、と笑って丁重に断った。
「ここでいいよ」
「ふむ、そうか」
そう言って二人はソファに腰を掛ける。
「今日は何の話をしようか?」
「そうだな…」
今日は体調はどうなのか、今朝は何を食べたのか、好きなものは、嫌いなものは、休みの時は何をしているのか、夜の店には似合わないごく普通の会話が交わされる。その間秀吉は決して半兵衛に触れようとはせず、ただ隣りで優しく微笑み頷き半兵衛との会話を楽しんだ。そして半兵衛もまた他の客に使うような色目や誘い文句を紡ぐことはなく、秀吉に出会うまでずっと感じることのなかった穏やかな時間を過ごした。
その後、あっという間に時間を迎えた二人は短く言葉を交わすと重く冷たい扉の前で別れた。ガチャリと音を立てるそこを名残惜しく見つめ、半兵衛は瞼を閉じる。そしてゆっくりと息を吸い、肺を空気で満たすとそれを全て吐きだした。閉じた瞼を開くと紫の瞳が鋭く光り、先程まで穏やかに微笑んでいた青年は知らぬ顔へと戻っていた。
それから秀吉は度々平蜘蛛へ足を運ぶようになった。連日連夜通うことはないが数日置きに店へ行き半兵衛を指名する。その限られた時間の中で二人は他愛のない話をし、半兵衛の顔色が悪い日にはベッドで休ませる。その度に半兵衛には変な人、と申し訳ない顔をしながら笑われた。半兵衛も自分の役割をよく理解しているため罪悪感はあったが、秀吉本人が認めていることもあり大人しく従った。何より秀吉と過ごすこの時間が半兵衛にとってとても大切な時間へと変わっていたのだ。身体はもちろんだか、何より心が安らぐ。ただ隣りにいるだけで落ち着く、そんな人間に出会ったのは初めてだった。そしてその人が度々自分に会いに来てくれることが半兵衛はとても嬉しかった。
そんな日がしばらく続いたある日、話があると久秀が半兵衛の部屋を訪れた。出迎えの準備が整いベッドに腰掛けている半兵衛はそのまま久秀を見上げ尋ねる。
「話とは何でしょうか?」
「織田の社長が卿を寄越せと言ってきてね」
「織田が、僕を?」
「所謂『身請け』だな」
以前、半兵衛と出会ってから信長は度々半兵衛を指名しその身体を味わっていた。そしてついには半兵衛自身をその手中に収めようと久秀へ多額の金を積んできたというのだ。
「……」
「答えは卿自身が決めれば良い、どうしたいかね」
「……貴方が、行けというのならそれに従います」
「そうか」
ほんの少しの沈黙の後半兵衛はそう答えた。その言葉にも瞳にも迷いは微塵もなく、本心からそう言っていることが感じ取れた。すると久秀は半兵衛に背を向け、扉へと足を進める。そしてドアノブに手を掛けると一言だけ言い放った。
「では残れ」
半兵衛の返事を聞くこともなく、ガチャリと重い音を立てて久秀は部屋を後にした。暗めの通路を歩く足音を久秀はどこか重く感じ小さく溜息を吐いた。
「まだ踏み出さぬか」
ぼそりと呟いた言葉は通路の奥へ消えた。初めて出会った時から感じていた半兵衛の違和感。それは何があっても生き抜くことを諦めない強い瞳と、自らが何かを望むことを諦めた無気力な心だった。あの美しい紫の瞳がより輝きを増すことを久秀は望んでいた。半兵衛自らが意志を持って立ち上がる姿を見たいと思った。それまでは自分の手元に置いておこう、例えそのまま輝くことなく光を失ってしまっても、もしそうなってしまってもそれは仕方のないことだ、そう思っていた。
その日の晩、秀吉はやって来た。二人はいつも通りソファに腰掛け、いつも通り世間話を始める。その最中、思い出したように半兵衛は口を開いた。
「あ、そうそう。さっき聞いたんだけど、君のところの社長さんから僕へお誘いがあったらしいんだ」
「またいつもの指名か?」
「いや、僕を買い取りたいってことらしい」
自分が再び売られるというのに、それを淡々と話す様はまるで他人事のようだった。半兵衛が自分に対してほとんど関心がないことはこの数日間でよく理解していたため、その様子に秀吉も対して驚くことはなかった。
「身請け、か……」
「でも断るってさ」
「……そうか」
「ふふ、僕ってそんなに商品価値があるのかな」
冗談交じりに笑う半兵衛に秀吉の胸がちくりと痛んだ。その笑顔が無理して笑っているものでないことが余計に辛く感じた。秀吉は何かを考え込むように黙り込み、そしてゆっくりと口を開いた。
「まぁでも、どこに行っても上手くやれる自信はあるんだけどね」
「……」
「秀吉?どうかした?」
「……半兵衛」
「うん」
「ならば、我と共に来ぬか」
「え?」
形の良い口がぽかんと開き、紫の瞳が見開かれた。だがすぐその口元は悪戯っぽい笑いとともに三日月を描いた。
「社長の為に君が僕を織田へ連れて行こうってことかい?」
随分真面目な部下だね、と半兵衛は笑った。それでも織田の元へ行くつもりはないときっぱり言い切る横顔を秀吉は真っ直ぐに見つめた。
「いや」
ぼそりと呟く言葉と共に細い肩を大きな手が掴む。そしてぐいっと引かれると真紅の瞳と紫の瞳がかちりと合った。いつも以上に真面目な顔をする秀吉に半兵衛は僅かながらに戸惑ったが、紡がれる言葉を黙って待った。
「我の元へ、来ぬか」
初めの言葉をやたらと強調して秀吉は言った。
「それは……魔王ではなく君が僕を買い取るということ?」
「そうではない」
「どういうこと?」
「我は、織田から独立をする」
「え!?」
日本中に名を轟かせ、そこで働くことを夢見る人間も多く、入社できれば人生が成功したも同然と言われる大企業。そんな会社から何の迷いもなく独立をすると言い放つ秀吉に半兵衛は至極驚いた。詳しく聞けば若い頃から社長の元で働き、共に歩む内に経営や部下など人事の扱いに疑問を抱くようになり、次第に疑問は不信へ繋がり最終的には離れることを決意したらしい。そして近々織田とは関係を切った全く新しい会社を立ち上げることが決まったのだった。
「そこで半兵衛、お前の力を借りたい」
「僕の、力?」
「伊達の社長から聞いた、お前は優秀な人間だったと」
「そんなこと、ないよ」
「部下の教育も任せられ信頼も厚かったそうだな」
「買いかぶり過ぎたよ、そんなに凄い人間じゃないんだ僕は」
「我はお前のような人間を探していた」
「秀吉、僕は……」
「半兵衛」
反論は許さないと言わんばかりに秀吉が半兵衛の名を呼ぶ。真っ直ぐと射抜くように見つめる秀吉の瞳には、半兵衛を連れて行く為に気分を良くさせる世辞や媚びなどは一切感じなかった。心からそう言ってくれていると半兵衛にもはっきり分かった。しばらく二人のあいだに沈黙が流れる。
「……少し、時間をくれないかい」
その流れを半兵衛が断ち切った。気を遣ってそう言ったわけではなく、本当に迷っていたからだった。ただ確かなのはこの場で断ってしまいたくないという気持ちだけ。
「あぁ、構わぬ」
「ありがとうね」
肩を掴んでいた手が背中に回り、骨の浮いた皮膚をシャツ越しに優しく撫でる。
「また痩せたか」
「そんなことないさ、心配しすぎだよ」
くすぐったいのかくすくすと笑う顔が秀吉の目には酷く幼く見えた。そうしてまたその時間はやってきた。幼い笑顔が冷たい知らぬ顔へ戻る時間。
数日間、半兵衛は考えた。秀吉からの誘いを受けるべきか断るべきか、自分はここに居るべきなのか去るべきなのか。考えても考えてもその答えは出なかった。ならば、と少し考え方を変えてみた。
自分はどうするべきなのかではなく、自分がどうしたいのか。
「松永殿」
不意に半兵衛は顔を上げ自分を見下ろすカメラへ声を掛ける。すると僅かなノイズと共に名を呼ばれた男の声がスピーカーから響く。
『どうかしたかね』
「聞いていたと思うけど、先日秀吉から……豊臣秀吉からここを出て自分の元で働かないかと誘われました」
『あぁ聞いていたとも』
「僕は、彼の元へいこうかと思います」
『ほぅ、何故かな』
半兵衛からの突然の話に対して慌てることも驚くこともなく、ただ冷静に久秀は尋ねる。何故、と問われた半兵衛は考える素振りもせずに直様答えた。
「そこへいきたいと思ったからです」
強い決意の言葉と真っ直ぐな瞳が無機質なカメラを捉える。画面越しに目が合った久秀は無意識のうちに口元へ笑みを浮かべ再びほぅ、と声を漏らした。
『いきたい、それだけかね』
「……それだけです」
半兵衛の返事の後、一瞬の沈黙が訪れる。そしてそれはスピーカーから響く久秀の笑いで断ち切られた。そうかそうか、と笑う久秀の声を聞きながらこの人でもこんなに笑うのか、と半兵衛は少し驚いた。
『いいだろう、卿が望むようにするがいい』
思いの外に早い返答に半兵衛は呆気にとられた。
『ではそのように手筈しよう、それまで卿はいつも通り仕事に励んでくれたまえ』
「はい」
半兵衛がいつ平蜘蛛を出るかは久秀と秀吉で話し合うことになった。その間、久秀の言いつけ通り半兵衛は己の仕事を全うする。半兵衛が平蜘蛛を出るということは久秀から常連客へと知らされ、別れを惜しむ者達が連日平蜘蛛を訪れるようになった。するといつの間にか「金で知らぬ顔が手に入る」という噂が流れ、久秀の元に身請けの交渉をする者まで出てきた。だがどんなに多額の金を積まれても久秀はそれらの話をきっぱりと断る。他の者に半兵衛を譲る気はない、と。
「重治君、本当に辞めるの?」
「えぇ、まだいつになるかは僕にも知らされてませんが」
「寂しいなぁ、また明日も会いに来るね」
「ふふ、ありがとうございます、お待ちしてますよ」
ふわりと笑う薄い唇を男が奪う。そのまま白いシーツへ押し倒し、時間の限り己の欲を半兵衛で満たす。この会話は何度目だろうか、半兵衛はふと思った。平蜘蛛を出ることが決まってから半兵衛の指名は飛躍的に増えた。その分半兵衛の身体の負担も増え、秀吉も眉をひそめる程であった。
「……」
「そんな顔をしないでくれ秀吉」
「……またやつれたな」
「これぐらいわけもないさ」
心配性だね、と微笑む顔が秀吉に痛々しく見えた。ここ最近久秀と会うことの多かった秀吉は久しぶりに見た半兵衛の身体の細さと顔色の悪さに焦りと苛立ちを覚えた。
「……」
「秀吉?」
「すまない」
「え?」
「我が……もっと早くお前をここから連れ出してやることができれば……」
「秀吉」
眉間にしわを寄せて俯く秀吉の手を半兵衛の両手が優しく包んだ。その時初めて秀吉は己が拳を強く握り締めていたことに気付く。
「言っただろう、大丈夫だと」
固く握られた拳を解きながら半兵衛が微笑む。その微笑みはあまりにも優しく、あっという間に秀吉の中から焦りと苛立ちを吹き飛ばしてしまった。
「ね?」
「あぁ、そうだな」
秀吉は柔らかく解かれた掌でふわふわと揺れる銀髪を撫でる。
「あと少しだ、待っていろ」
真っ直ぐと迷いのない目で半兵衛に誓う。必ず迎えに来る、と。それを聞いた半兵衛はふわりと笑って頷く。客達に使う整い作られた笑顔とは全く違う、柔らかくあどけない笑顔で。
そしてついに、その日はやってきた。
To be continued...
いよいよ半兵衛様の脱平蜘蛛です。外に出てどんな生活を送るのか、これから先も見守っていただければ幸いです。まだまだ続くので。
- 14 -
*前次#
朝顔の夜