主に半兵衛受けのお話が多いです。

渇き 6


渇き 5の続き、秀吉+半兵衛

「ありがとね」
荷物と呼べるものなど半兵衛には一切無く、言葉通り身一つで平蜘蛛を出て行く。半兵衛は重い鉄の扉を背に寄りかかりながら、ほとんど汚れなどない部屋を黙々と片付ける小太郎に声を掛けた。
「……」
少し間を置いて小太郎が振り返る。黙ったままこちらを見つめる小太郎に半兵衛は続けた。
「今日まで本当にありがとう、君と話す時間が僕は好きだったよ。と言っても、僕ばかり喋っていたけどね」
仕事の邪魔だったかな、とくすくすと笑う半兵衛に小太郎は何も言わず首を横に振る。
「そうかい、それならよかった」
「……」
出会った頃より随分と柔らかくなった微笑みに小太郎は見惚れた。平蜘蛛に来たばかりの頃の半兵衛はあまり笑わなかった。訪れる客達に笑顔を見せることはあったが目を細め口角を上げる作られた笑顔だった。美しい顔故に作られた笑顔は人形のようにすら見え、あの事件以降は感情を表に出すことがほとんど無くなりより無機質さが増した。だがここ最近で半兵衛の表情は驚くほど変わっていった。小太郎が着替えの手伝いや後始末をしていると今日は秀吉がね、また秀吉が、と半兵衛は秀吉という男のことを嬉しそうに話してくることが度々あった。そしてその時の半兵衛の表情が小太郎は好きだった。普段の作られた笑顔と違った生と感情のこもった笑顔、それが見られるようになったことは嬉しかったが同時に悔しくも思った。この笑顔を引き出させたのは毎日半兵衛に会っていた自分ではなくつい最近やってきた男であるということと、毎日会っていたのに半兵衛の笑顔を引き出すことのできなかった自分の無力さに。
「……」
見納めるかのように部屋を見渡す半兵衛に小太郎は歩み寄る。
「小太郎君?どうし……」
出会った当初より痩せて細く頼りない身体を小太郎は黙ったまま抱き締めた。同じ男であるのにこうも身体つきが違うのかと小太郎は眉をひそめた。そして小太郎の突然の行動に驚き困惑している半兵衛の背中に手を添え、子供をあやすようにぽんぽんと二、三度優しく叩く。すると半兵衛はふ、と口元に笑み浮かべ、寡黙な男の背中に自らもゆっくりと手を回した。小太郎の思いや伝えたいことが半兵衛には伝わったからだった。
「ありがとう、君のその優しさがいつも僕を支えてくれていたよ。本当にありがとう」
「……」
「でも、僕は行くね」
続けてごめんね、と申し訳なさそうに謝る半兵衛に、小太郎は少しの間を空けて1度だけ頷く。そしてお互いにそっと身を離ししばらくの間視線を交わす。
「元気でね、小太郎君」
柔らかい微笑みを浮かべて半兵衛は別れを告げた。その言葉に小太郎はいつも通りただ黙ってゆっくりと頷いた。その寡黙な口元が僅かにだが三日月を描いていたのは、この日が初めてのことだった。

昼間は眠る街、夕暮れ時に一台の黒い車が開店前の平蜘蛛の前に止まった。運転席のドアが開き姿を現せたのは黒いスーツにネクタイをきっちりと締めた秀吉であった。秀吉の到着後すぐ平蜘蛛の主である久秀が店の前に姿を現す。その隣にはいつもの白く裾の長いシャツではなく、新調されたであろう真新しいスーツに身を包んだ半兵衛が立っていた。そしてその後ろでは三人をただ黙って見守る小太郎や数人のスタッフがいる。
「……秀吉」
「あぁ」
どこか気恥ずかしそうに笑う半兵衛を見て秀吉も微笑む。これから全く新しい場所での生活が始まる、初めて自らの意思で選んだ道を歩むことができる、半兵衛の胸には期待や希望が満ち溢れていた。そんな半兵衛の第一歩を手助けするかのように、秀吉はすっと手を差し出した。
「来い、我と共に」
力強く、そして優しい声だった。その言葉があまりにも嬉しくて、何か思うより先に半兵衛の手は差し出された手を取り固く握っていた。
「あぁ、もちろんさ」
互いに固く握手をし合う。随分長い時間を共に過ごしたわけではない。しかし二人の間には強い絆が生まれていた。これから先に起こりうる困難に立ち向かう時、側にいて欲しいのは彼だ、とお互いが思っている。そんな二人をしばらく見守っていた久秀がようやく口を開いた。
「さてさて、浮かれるのはそこまでにしてもらおうか」
その言葉を合図に二人は手を離し、揃って久秀の方へと向き直る。よし、と満足気に漏らすと一度咳払いをし改めて姿勢を正した。
「本日まで平蜘蛛をご愛顧いただき、心から感謝申し上げる。しかしながら今後、貴殿の入店を認めることは一切でかねる……半兵衛、卿もだ」
秀吉と半兵衛の顔を交互に見つめ、久秀は続ける。
「もう二度とこのような所へは戻って来るな」
その言葉は久秀の心の底から湧き上がる思いそのものであった。平蜘蛛を経営して十数年、出会ってきた人間の中でも半兵衛のような人間は初めてだった。これまで他人から酷な扱いを受け、それらに抗うことを諦めたような顔をしているのに瞳の奥の光だけは消えない。自分を取り巻く理不尽な不幸に抵抗せず、俯き受け入れているように見えて心の底では諦めていないことに久秀は気付いていた。だが当の本人である半兵衛はまだそのことに気付いてはいない。
「健やかにあれ」
「はい、ありがとうございます」
平蜘蛛を出ることによって、半兵衛が本当に何を望んでいるのかに気付けるかは分からない。だが、自ら考え選んだ道を進もうとしたその姿が、久秀にとっては喜ばしいものだった。そして力強く返ってきた言葉が改めて久秀を安心させた。もう大丈夫だ、と。
「では、そろそろ行くぞ」
タイミングを見計らい秀吉が切り出す。そうだね、と笑う半兵衛と共に久秀へ会釈をすると、乗ってきた車の方へと促した。伝えることは全て伝えたのか久秀は何も言わず一度だけ頷いて二人を見送る。秀吉が助手席側のドアを開けると半兵衛はくすくす笑いながらシートへ腰掛けた。
「どうかしたか?」
「いや、まるでどこかの令嬢のような扱いだなって」
「強ち間違ってはいないであろう」
「僕は貴族でも娘でもないよ」
「それに劣らぬ気品と教養がある」
「君って人は……」
褒められすぎて気恥ずかしそうに笑う半兵衛を見て秀吉もまた笑った。バタンとドアを閉めると秀吉は振り返り、もう一度久秀へ会釈をし、運転席側へと乗り込んだ。秀吉が鍵を回すと低いエンジン音が響き、ゆっくりと車が動き出す。半兵衛が再び平蜘蛛の方へ視線を移すと、誇らしげに微笑む久秀と姿勢を変えずこちらを見つめるスタッフ達と小太郎が見えた。初めに視線と笑みで久秀に最後の挨拶をし、次に小太郎の方へ視線を移す。そして小太郎へ向けて手を振ろうかと思ったが、やめておいた。小太郎の気持ちを考えればそれはしない方がいいと判断したのだった。こちらも同じように視線と笑みで挨拶をする。するといつも通り、小太郎は頷いて半兵衛を見送った。そして黒い車は徐々にスピードを上げるとあっという間に久秀達から見えなくなった。
「名残惜しいか」
「……」
振り向くことなく聞かれた問いに小太郎は沈黙で答える。答えずともお互いの言いたいことは分かるくらい二人の付き合いは長い。そのため久秀は小太郎の気持ちにも気付いていた。
「これもまた、良い経験だ。大切にするがいい、だが引きずり過ぎるのは好ましくない。卿や彼のためにも」
「……」

「秀吉、ありがとう」
秀吉がゆっくりと車を動かしたのはこの時間の為だったのだろうと何となく半兵衛は察し感謝した。
「気にするな」
半兵衛の性格や平蜘蛛での人間関係を考えればそうしてあげたいと思っただけだった。秀吉のそんな何気ない気配りができるところにも半兵衛は惹かれた。再び感謝の意も込めて半兵衛はうん、と返事をする。
「ねぇ、そういえば僕の住む所ってもう決まってるのかい?前に住んでた部屋は、まだ契約続いてるかどうかすらわからないし……僕このスーツ以外服も荷物も何も持ってないし……」
言葉通り荷物らしい荷物など全くない半兵衛だが、秀吉から心配いらない、とだけ言われていた為特に用意もしていなかった。秀吉がそう言うならと呑気に構えていたが、いざ平蜘蛛を出るとやっと実感が湧きこれからの生活をどこで始めるのかなど不安に思い始めたのだった。
「言ったであろう、心配は要らぬと」
「そうだけど……」
「新しい家にはこれから連れて行く、服はそこに着いたら買いに行くぞ」
「でも僕、財布もないからお金持ってないよ」
「我が払うに決まっているだろう」
「えぇ!?悪いよ、それは」
「気にするな、それに財布ならそこにある」
運転しながら視線は前方から逸らさず、ハンドルから片手だけを離し秀吉が後部座席を指差す。その指に誘われ半兵衛が後部座席へ振り返ると、再び驚きの声を上げそこに置いてあったある物を手に取った。
「これ……どうして……」
それは半兵衛が愛の命令で連れ去られた日に持っていた仕事用の黒い鞄だった。中を開くと秀吉の言う通り当時使っていた財布が入っており、他に電源の切れた携帯電話や仕事の資料や手帳も残っていた。
「てっきり捨てられたと思ってたのに」
「松永が取っておいたそうだ。これはいつかまた必要になる時がくる、と言っていた。他にもあの店で働かされている者達の荷物は保管してあるらしい、意外と心のある男なのだな」
「意外と、そうなんだよ」
随分前に使っていた資料を懐かしそうに眺めながら半兵衛はくすくすと笑う。つい先程出てきたあの店がもう既に少し懐かしく感じるのも可笑しかった。
「あぁ、やっぱり充電は切れてるか……ねぇ、多分カードは使えるから服は僕が買うよ。銀行に連れて行ってはもらえないかな?」
財布や携帯電話が使えないか確認しながら半兵衛が秀吉に声を掛ける。
「いや、今回は我が買う」
秀吉は断固として拒否をした。
「えぇ……」
「今回のことは所謂我の我儘よ、ならばこそお前のことは我が面倒をみたい、良いな?」
「君って優しい人かと思ったら意外と頑固だよね……」
「意外と、そうだ」
ちらりと助手席に視線を移し、したり顔で言い放つ秀吉に半兵衛は再び笑う。心なしか半兵衛は平蜘蛛にいた時より感情表現が豊かになったように秀吉は感じていた。
「新しい家まであとどれくらい?」
「一時間半といったとこだな」
「もう夕方だけど、外ってこんなに明るいんだね、忘れてたよ」
「あの部屋では明かりなどほとんど見えなかったからな」
「店を外から見たのは初めてだったよ、連れてこれらた時は気を失っていたからね」
「それは、災難であったな……だがもう見ることはない、安心しろ」
「僕社会復帰できるかな、ブランク期間なかなか長かったし」
「半兵衛、お前なら大丈夫だ。我の目に狂いはない」
監視の目がないせいか、閉じ込められていた部屋から出れたせいか、今日の半兵衛はよく喋りよく笑う。こんなに生き生きとした半兵衛を見たのは初めてで秀吉はとても嬉しく思っていた。
そうして一時間半という時間はあっという間に過ぎ、二人は目的の場所へ到着した。
「車を停めてくるからそこで待っていろ」
そう言うと秀吉は半兵衛を残し駐車場へと車を走らせた。言われた通り半兵衛はマンションの前に立ち、軽く三十階はあるであろう建物の頂上が見えないかと空を仰ぐ。そのあまりの高さに驚きぽかんと口が開いていたが、本人はそのことに気付いていなかった。
「大きい、なぁ……」
思わず零れた言葉だった。程なくして鍵を片手に秀吉が戻ってきた。何食わぬ顔で戻ってきた秀吉と空高くそびえ立つ建物を交互を見比べ半兵衛は困惑の表情を浮かべる。
「これ、なのかい……?」
「何がだ」
「僕の家って……」
「そうだが」
「大きくない?」
「そうでもないだろう」
「大きいよ!」
さも当然のように答える秀吉に半兵衛はやや声を荒げる。
「僕1人住むだけならこんなに大きなマンションじゃなくても」
「マンションまるまる一つがお前の家というわけではないぞ?」
「そんなこと分かってるよ!だけどこのくらいのマンションなら一部屋でもそんな安いものじゃないだろう」
見るからに高そうなマンションは自分にそぐわないと半兵衛は言うのだった。以前住んでいた部屋もごく普通のマンションの一室。高さもこの目の前のマンションと比べれば遥かに低い。
「何度も言わせるな」
慌てふためく半兵衛とは裏腹に至極楽しそうに笑みを浮かべる秀吉。大きな掌で揺れる銀髪をぽんぽんと軽く撫でると本日何度目になるか分からない言葉をかける。
「気にするな」

To be continued...

半兵衛様の平蜘蛛卒業回でした。

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朝顔の夜