主に半兵衛受けのお話が多いです。
渇き 7
渇き 6の続き、秀吉+半兵衛、三成、吉継、左近
まるで子犬のように秀吉の後についてマンションの中に入る。一人で行けと言われたらなかなか入るのに気が進まないだろうこの建物にいつ慣れるのかと半兵衛は一人不安に思った。
「お前に相応しいと思って用意したのだ、狼狽えるな」
その不安を感じ取ったのか秀吉が優しく背中を押す。
「そうだね、これから君の為に働くのにこんなことで慌てていてはダメだよね」
その鼓舞と期待に応えねばと半兵衛は意気込んだ。心の中でよし、と両方の拳を握りやや広いエレベーターに乗り込む。秀吉がボタンの前に立ち慣れた様子で目的の階数を押した。
「二十階……」
「高い所は苦手か?」
「どうだろう、十階以上のビルに勤めたことはないし、その手のアトラクションなんかにも乗ったことはないから」
半兵衛は昔を思い出しながら少し表情を曇らせた。あまり聞かないほうがいいかと思ったがだから楽しみだよ、とすぐに戻った笑顔に秀吉は胸を撫で下ろした。ガタン、とエレベーターが止まると秀吉が半兵衛を案内する。
「この階の奥だ」
白く塗装された壁や廊下の一番奥にある扉を秀吉が指差した。そこへ辿り着く間に約十枚程の扉の前を通り過ぎる。その様子が平蜘蛛の部屋の外で見た光景と重なったがどの扉にも表札がないことが半兵衛を現実に呼び戻させた。
ここの人達は飼い犬なんかじゃないんだ、人が住んでいるのかどうか分からない扉を見てぼんやりと思った。
「半兵衛、入れ」
ふと視線を前方に戻すといつの間にか鍵を開けて半身を玄関に入れた秀吉が扉を片手で押さえて半兵衛を待っていた。
「すまない、失礼するよ」
待たせてしまったことを詫びでやや急ぎ足で玄関に足を運ぶ。半兵衛が部屋に入ると秀吉は押さえていた手を離し扉に鍵を掛ける。施錠を確認して後ろを振り返ると半兵衛が玄関の真ん中でまだ靴を脱がず立ち尽くしていた。
「どうした?」
「……僕こんなに広い玄関初めてだよ」
男が二人、ましてや片方は一人で二人分はある巨体の持ち主と並んで立っても余裕な広さの玄関に半兵衛は驚いていたのだ。秀吉曰く自身の巨体を考慮して広めの部屋を選んだらしいが、それにしてもと半兵衛はくすくす笑う。だが不意におや、と何かに気付いたように首を傾げた。
「秀吉、あの……」
「さぁ上がれ、こっちだ半兵衛」
有無を言わさず秀吉が半兵衛を急かす。その様子がいつもの秀吉とは違いまるではしゃいでいるかのように見えた。言われるがまま靴を脱ぎ部屋に上がる。廊下を歩きながら秀吉が部屋の一つ一つを案内する。
「一番最初の右の引き戸が風呂場、次のドアがトイレ、向かいのドアは物置でこっちがリビング。厳密に言えばリビングダイニングだな」
そう言いながら秀吉が廊下の一番奥のドアを開ける。秀吉の後に続いて半兵衛がリビングへ足を踏み入れた。広いリビングの左手前にキッチン、真ん中にはテーブルとそれを囲むイスが四つ、テーブルの向かいには大きく薄いテレビが設置してあった。壁に取り付けられた二つの大きな窓が外の光を取り入れ昼間なら電気を点けなくとも充分な明るさを確保していた。
「半兵衛こっちだ」
部屋を見渡す半兵衛を秀吉が呼ぶ。リビングにはクローゼットの引き戸が一つあるが、それとは別に右の壁側に二つ部屋のドアがあった。その内の一つ、玄関から向かって一番奥のドアに秀吉が半兵衛を招く。ドアに手を掛け少し勿体つけるように秀吉がゆっくりとその手を引いた。
「ここがお前の部屋だ」
開かれたドアの向こうへ半兵衛はおずおずと足を進める。三歩、足を進めて半兵衛が思わず溜息を漏らす。
「わぁ……」
新品の白いベッド、仕事用にと備え付けられたデスク、壁際に置かれた大きめのクローゼット、ごく普通の家具達が半兵衛にはやけに輝いて見える。そしてなにより、部屋に二つ取り付けられた大きな窓から入る光があまりにも眩しかった。以前住んでいた部屋とも平蜘蛛での部屋とも違う圧倒的な開放感に半兵衛は驚いた。
「なんだか、とても綺麗だね」
「あの部屋は暗すぎた、お前には光が似合う」
あの部屋というのは平蜘蛛での部屋のことだろう。壁のはるか上に取り付けられた小さな窓からはぼんやりと光が差し込んでいたが、部屋を照らすには足りない光量だった。取り付けられた照明も薄暗い明るさで固定され、いつも夕方のような雰囲気で気分が滅入った。だがこの部屋は違う。広さは同じくらいだが大きな窓二つのおかげで何気ない家具や自分すらも洗練されたように感じた。
「光って凄いんだね」
「そうだな」
「僕にはもったいないや」
「そんなことはない、すぐに慣れる」
照れたように笑う半兵衛の肩に手を置き秀吉が微笑みかけた。その笑顔が半兵衛にとってはとても心強かった。一度世間の闇の部分に染まっていた自分がまた表の世界で生きていけるかどうかとても不安だった。だが秀吉となら、そう半兵衛は思った。
「それで、隣りは君の部屋なんだろう?」
不意に半兵衛がニヤリと笑う。
「察しがいいな」
本当は自分の口から言うつもりだったことを先に言われてしまい、頭をかきながら秀吉が笑う。玄関や部屋が広い理由や、一人が住むには多い部屋の数や、秀吉のはしゃぎ具合からそうではないのかと半兵衛は思っていた。そしてその通りだった。
「いいのかい?僕みたいな赤の他人がいきなり同じ屋根の下で暮らすなんて」
「何か不都合でもあるか?」
「無いけど……やっぱり迷惑かな、って。僕今お金無いから金銭面的に物凄く迷惑かけるよきっと……それに一人暮らし長かったから、そう、安いアパートとかでいいんだ、また一人でも暮らせると」
「会社帰りに誘拐された人間を再び一人で暮らさせることができると思うか?」
「う……」
放っておくといつまでも否定的な意見しか出なさそうな口を秀吉が正論で遮った。これ以上は何も聞かないと言わんばかりに秀吉に見つめられ半兵衛も黙らないわけにもいかず口を尖らせて頷く。それに気を良くした秀吉が銀髪をぽんぽんと撫でる。
「荷物を片付けて来い、またすぐに出掛けるぞ」
片付ける程の荷物など無いのは分かっていたがそれでもそう言ってやりたかった。ここが半兵衛の部屋だと念を押すために。
再びマンションを出て二人は買い物に出掛けた。購入した物のほとんどが半兵衛がこれから生活をしていくのに必要な物ばかりだった。秀吉から仕事の内容は聞いていたためそれに使う物を買うのは問題無かったが、半兵衛個人の物を買う時はなかなか大変だった。そもそも物欲が極端にない人間の半兵衛は何かを好きに選べ、と言われるのが一番苦手だった。前々からそう感じていたが今日改めてそのことを実感する。
「服を選ぶだけであんなに時間がかかるとはな」
「女々しいって笑えばいいだろう」
「お前の場合は女とは違う悩みだろう」
帰りの車で今日の買い物のことをからかうと半兵衛が口を尖らせる。欲しいものがない故に悩んでいたことは分かっている、とハンドルを切りながら秀吉が宥めるようにフォローを入れた。それでも半兵衛は窓越しに外を眺めたままへそを曲げている。からかわれたことより自分のこともろくに決められないことが情けないのだ。
「僕決断力のある人間になる」
「あぁそうだな、そして早く機嫌を直してくれ。明日から早速仕事の話がしたい」
「え、もうかい?」
仕事という単語に半兵衛が振り向く。
「不安か?」
「いや、もっと先になると思っていただけさ。嬉しい、腕が鳴るよ」
その言葉通り半兵衛の声は弾んでいた。そんなに喜んでもらえるとは思っていなかった秀吉も半兵衛の反応を嬉しく思った。
「今日は早く休め、明日からよろしく頼むぞ」
「あぁ、任せてくれ」
半兵衛が秀吉と共に生活を始めて二週間。初めの日だけ二人でのんびりと過ごすと次の日から毎晩のようにリビングで今後の仕事について話し合いをするのが日課になった。最初の頃は平蜘蛛内での接し方の違いに違和感を感じなかなか慣れずにいたが、ここ数日でその感覚は無くなっていた。寧ろそれよりももっと前、政宗の会社に勤めていた頃のような感覚を思い出した。書類の数字とデータを頭の中で整理し、実際の取り引きに活用できるように手を加え組み替える。これでどうか、こうなら、いやこうではない、ならこうしよう、半兵衛にとってこういった仕事はとても楽しくやりがいを感じるものだった。こうして半兵衛と秀吉、二人だけの会議は毎晩何時間も続いた。そしてその甲斐あって予定よりも随分早く半兵衛は秀吉の作った会社へ正式に入社することになった。
「いよいよだな」
いつも通りリビングのテーブルで向かい合って席に着き、二人だけの会議をしていると不意に秀吉が呟いた。書類に目を通していた半兵衛が顔を上げるが横顔を見せる秀吉と目が合わない。首を傾げながらその視線の先を辿ると卓上のカレンダーが置いてあり、翌日の日付の下に書かれた文字で秀吉の言いたいことを察した。
「あぁ、いよいよだね」
「待ちわびたぞ」
「僕だってそうさ、やっと正式に君の下で働けるんだ」
カレンダーに黒のボールペンで質素に書かれた「入社」という文字に二人の声が弾む。これまでは夜に仕事を終え帰宅した秀吉と書類を元に現在の状況にどう行動すべきか、どこの会社に請け負ってもらうかなどを話し合うだけであったが、明日からは実際に半兵衛が職場に立ち今まで話してきた内容を秀吉の部下達に指示を出すのだ。
「君が集めた部下の人達に会うのが楽しみだ、嫌われなければいいけど」
「お前なら問題ない」
「何を根拠にそう言うんだか」
再び書類に目を落として半兵衛がくすくすと笑う。口にしながらも大してそのことに不安はなかった。大体どこの職場でも上手くやる自信はある。
「期待に応えなきゃね」
全ての書類を読み終えたらしくそれらを束ねてトントンと音を立てて用紙を揃える。
「休むか?」
「あぁ、そうするよ。明日から早いし」
「うむ」
席を立ちながら軽く欠伸をする半兵衛に秀吉が問い掛けた。明日から早いと言いつつ入社に向けて気合が入っていた為か普段より一時間も長く話し合ってしまった。半兵衛の体調を気にして秀吉はそうしろ、と頷いた。その顔色から心中を察した半兵衛が秀吉の肩に手を置いて笑う。
「過保護過ぎ」
「む……」
からかうように笑われて秀吉が恥ずかしそうに俯く。
「じゃあまた明日、おやすみ」
あぁ、という短い返事を聞くと整えた書類を片手に軽い足音を立てて半兵衛は自分の部屋に向かう。バタンとドアが閉まるまで秀吉は半兵衛の背中を見つめていた。以前より明るく元気に見えるその姿に思わず頬が緩んだ。
翌朝、壁に掛けたスーツの下に置いてある革の鞄を手に取り、まとめた書類を収める。他に必要なものはないかと考えながら鞄の中を埋めていく。その間、胸の奥で期待と不安が渦巻いているのを半兵衛は感じていた。
「役に立ってみせるさ、君のために」
ベッドに腰掛け自分に言い聞かせるように半兵衛は呟いた。平蜘蛛から、あの犬小屋同然の場所から己を連れ出してくれた秀吉のために、秀吉が敷いてくれた新たな道を胸を張って歩くためにそう固く胸に誓った。
「豊臣株式会社」それはつい最近設立された新しい会社の名前。元安土有限会社の人間数名が集まり立ち上げた会社だという噂はたちまち広がり、他の同業者達からはかなり注目されていた。その会社へ半兵衛は今の所唯一の外部から入社を果たした人間となる。真新しいフロアの中へ秀吉と共に半兵衛は足を踏み入れる。先日より今日一人新しい社員が増えると知らされている社員達は既に全員フロアに集まり、二人の到着を待っていた。フロアの入り口から真っ直ぐ突き当たりに大きめのデスクが見える。それがこの空間全体を見渡せる秀吉の席であり、そのデスクまでの通路の両側にそれぞれ社員達のデスクが並ぶ。各々が自分のデスクの前に立ち、まるで秀吉と半兵衛を出迎えるように両側にずらりと並んでいた。
「おはようございます!」
「おはようございます!」
秀吉がその間を通ると右から左から元気の良い挨拶が発せられる。それに対して秀吉が満足そうな笑みで応える。これがこの会社の日常か、と大きな背中を追いながら半兵衛は感心した。一人一人から溢れる秀吉への敬意と熱意。それに偽りがないことが何故だか伝わってくる。
「これが君の部下達……」
小さく半兵衛が呟いた。政宗の会社にいた頃も似たようなものを感じたが、ここの社員達はそれとはまた違ったものを持っている。政宗の部下達の持つものが敬意と友愛であるなら、秀吉の部下達が持つものは敬意と忠誠だと半兵衛は思った。
「そしてお前の部下達だ」
少し後ろを歩く半兵衛に秀吉がはっきりと言い放つ。途端に部下達の視線が一気に己へ向けられたことに半兵衛は気付いた。突然外部からやってきた人間が、自分達の上司になると聞かされれば多少なり不快や不信を覚える。これは当然の反応だ、と半兵衛も前々から覚悟していた。が、いざそうなるとあまり居心地の良いものではなかった。一番奥のデスクの前に着くと秀吉が振り返る。そして部下達に向かってもう一度はっきりと言い放つ。
「今日から我らと共に仕事をする、我の部下であり皆の上司だ」
その言葉を合図に半兵衛も振り返る。そして自分へと注がれた部下達の視線を受け止めた。だがそれは思っていたものとは全く違っていた。驚き戸惑っていると大きな掌が背中に添えられた。
「半兵衛、自己紹介を」
「あ、あぁ」
ハッと我に返り改めて姿勢を正す。
「初めまして、竹中半兵衛と申します。今日から君達の上司をさせてもらうわけだけど、君達の方が僕よりもこの会社については詳しい。今の僕は分からないことだらけだから君達には色々と教えてもらいたい、そして僕にできることを君達に全力でお返しするつもりだよ。よろしくね」
通りの良い柔らかい声がフロアに響く。何一つ嘘や飾りなどない言葉、それを新しい部下達に伝えられて半兵衛はまずは満足と微笑んだ。
「貴方が……貴方様が……」
突然、列の中から声が聞こえた。
「貴方様があの半べ」
「ちょっとちょっと刑部さん半兵衛様っスよ!本物ですよ!すげー!めっちゃ綺麗な人!」
「やれ左近、人を指差すでない」
「うるさいぞ左近ッ!失礼ではないかその手を下げろッ!!!」
短い銀髪の男が茶色と赤色の派手な髪をした男の頭に拳を振り落とす。そんな二人のやり取りを見て「刑部」と呼ばれた男がため息を落とす。男の顔は包帯に包まれあまり表情は見えない。合間から覗くその目は呆れているように見えたがどこかこの状況を楽しんでいるようにも見えた。
「えっと……秀吉彼らは……」
「半兵衛様!」
困惑の表情を浮かべる半兵衛に銀髪の男が駆け寄る。そして驚きの速さで片膝をつくと深々と頭を下げて謝罪を述べる。
「私の部下が大変失礼致しました……奴の処分は煮るなり焼くなりお好きなように……ッ」
「いや、そこまでしなくていいよ」
「あぁなんと心優しきお方で、さすがは秀吉様のご友人!」
「も、もういいから顔を上げてくれないかい?」
見慣れぬ古風な姿勢と男の勢いに戸惑いつつも顔を上げさせ、ついでに膝も床から離させた。立ち上がった男はまだ若くすらりと背の高い青年だった。
「君は……」
「申し遅れました、私は石田三成と申します。貴方様のお話は以前から秀吉より伺っておりました。あれは大谷吉継、私の古くからの友人です。二人で半兵衛様のお力に添えるよう尽力させていただきます」
一礼の後自らの名を名乗ると包帯を巻いた男の方に視線を向ける。名を呼ばれ視線を受けるとその男も一歩前へと足を踏み出し、半兵衛に向かって深々と頭を下げる。三成の先程と違う落ち着き淡々とした言葉に半兵衛は感心した。歳の割にはしっかりしている、と。そしてそれは大谷吉継と呼ばれた青年にも思った。
「はいはいはーい!俺は島左近っス!三成様直属の部下でーー」
「うるさいと言っている左近ッ!!!」
二人の後方からひょこっと顔を出してにこやかに自己紹介を始める男を三成が再び叱りつける。
「やれやれ騒々しい……」
三成と左近のやりとりを見て吉継も再び溜め息を漏らした。
「とにかくみんなよろしくね」
いつの間にか表情が和らいだ半兵衛がにこやかに笑う。その言葉に部下達から一斉にはい、と元気の良い返事が返ってきた。この一連の騒ぎで半兵衛はやっと分かった。自分に向けられた視線は不快や不信などではなく、期待と歓迎に満ちたものであったと。特に三成という青年は秀吉から話を聞いて以来、この日を心待ちにしていたらしい。三成にとって秀吉とは絶対的な存在。そんな秀吉が認め連れて来るのだからそれは素晴らしい人に違いない、と。そのため今日やっと「あの半兵衛様」を目の前にできた三成は嬉しくて仕方がなく少年のように目をキラキラさせて半兵衛を歓迎したのだ。
「半兵衛、今後部下達の指導をお前に任せるつもりだ。特に、こいつをしっかり育ててやって欲しい」
そう言うと秀吉は大きな手を三成の肩に乗せる。
「あぁ、そうだと思ったよ。任せてくれ」
自分の胸に拳を当て逞しく微笑む半兵衛に満足した秀吉は深く頷く。
「ありがとうございます!三成は、三成は幸せ者にございますッありがとうございますッ!」
そんな二人の間で三成は繰り返し感謝の言葉を述べ、その喜びを露わにした。
To be continued...
無事、半兵衛様入社。まーだまだ話は続きますので、お付き合いいただければ幸いでございます。
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