主に半兵衛受けのお話が多いです。
渇き 13
渇き 12の続き、秀半
夜の十二時を過ぎた頃、半兵衛はベッドから起き上がり、静かに部屋を出る。リビングに明かりはなく秀吉の部屋も同じく暗いことを確認するとやや早足で歩いた。そしてリビングを出てすぐのトイレに滑り込むとそのまま膝をつく。
「う゛っ……おぇ……ッ」
身体を震わせ、半兵衛は吐いた。
冷たい器の中に嘔吐した物が溜まっていくのと同時に、口の中に苦いような酸いような味が広がるのを半兵衛は感じた。
「ッ……う、ぇっ」
ーー汚い。
秀吉を起こしてしまわないように、できるだけ静かしなければと半兵衛は必死に声を殺す。
ーーあぁ汚い。
胃から喉へ上る度に体が強張り汗が吹き出る。
「かはッ……はッ、はぁ……っ」
いよいよ何も出なくなった。半兵衛は肩で息をしながら、額の汗を拭う。
『誰にも汚させはしない』
「はぁ……はぁ……」
やや落ち着いてきた頃に半兵衛は水洗レバーに手を掛けた。水の流れる音と共に自分の吐き出した物が吸い込まれていくのをぼんやりと眺める。
『汚させはしない』
「……僕は、もう汚いんだよ、秀吉」
汚れた口元を手で拭い、半兵衛は呟いた。
無事に職場復帰を果たした半兵衛はここ数日の間に遅れを取り戻そう意気込んでいた。だが秀吉の言う通り吉継と三成の努力の甲斐もあって、遅れや不備はほとんど無かった。
「君達は優秀だね」
三成と吉継を前に、受け取った書類に目を通しながら半兵衛が満足そうに微笑んだ。
「いえ、これも全て秀吉様や半兵衛様の教えのお陰でございます」
両手を後ろに組み背筋を伸ばして三成が謙遜する。
その様子を横目に吉継は静かにその場を離れ、奥のデスクに座る秀吉の元へと歩み寄った。
「太閤よ」
「うむ」
名前を呼ばれ、パソコンの画面から目の前に立つ男へと秀吉は視線を移した。包帯に包まれた吉継の表情はいつも分かりにくいが、目元を見るに少し笑っているように感じた。
「何だ吉継」
「うむ、例の件であるが……」
吉継はやや身体を屈め、秀吉に耳打ちをする。
「……そうか、分かった」
「本人に伝えるのは、ぬしが適しているとみるが」
「あぁ、そのつもりだ。手間を掛けたな」
「何の何の、暇潰しにもならなんだわ」
くつくつと笑いながら吉継は三成の元へと戻っていった。去っていく背中に小さく礼を言うと、秀吉は再びパソコンへと視線を移しキーボードを打つ。すると今度は話を終えてきた半兵衛がデスクの前に立った。
「本当に優秀だね彼ら。君や僕がいなくてもここまでやってくれるなんて、育てた甲斐があったよ」
半兵衛はまるで子供の成長を喜ぶ親のように笑った。再び手を止め秀吉は頷く。
「お前が育てた部下だからな。教育を任せて正解だった」
「君の人選が良いんだよ、才能のある良い子達を集めてくれたからさ」
「そうか」
「そうだとも」
いつものように互いを褒め合う二人を見て三成を始めその場にいた者達は胸を撫で下ろした。半兵衛が体調を崩し休んでいたことは皆が周知していたが、その原因となった事件のことを知るのは本人と秀吉を除いては三成、吉継、左近の三人だけだった。他の者達は半兵衛の体調が回復したことに安心したが、事実を知る三人は半兵衛が笑顔を浮かべられていることに安心した。
「お二人、特に半兵衛様元気そうでよかったすね」
「あぁ、そのようだな」
「……」
「刑部?」
安心した、と小声で話しかける左近に三成は頷く。だがすぐ側で訝しげな顔をしている吉継に首を傾げた。
「いやなに、後は内側の問題と思うてな……まぁ我らに出来ることはここまでよ」
「……?」
「それどういう意味すか?」
頭にはてなを浮かべる三成と左近にやれやれと首を振ると、吉継は自身のデスクへと向き直った。
「では半兵衛、明日の会談も任せたぞ」
そう言って秀吉が立ち上がり、半兵衛の肩に手を置いた。
「!……あ、あぁ任せてくれ」
一瞬、半兵衛の顔が強張ったように見えた。だがそれ以上に秀吉は触れた肩の感触に違和感を覚えた。
「半兵衛、お前ーー」
「お、半兵衛ー!飯行こうぜ飯!」
何かを問おうとした秀吉の言葉はフロアに駆け込んできた作業着姿の慶次の声に掻き消された。
「慶次さん!倉庫の掃除終わったんですか?」
「んー、ほとんどな!今日中には全部片付きそうだよ」
お疲れ様っす、と声を掛ける左近に慶次はおう、と片手を上げ返事する。服に埃がついたのかそれを払いながらフロアを彷徨く慶次に半兵衛が不快な顔をする。
「ちょっと慶次君それ着替えてから来てくれない?僕病み上がりなんだよ」
「あーはいはいっと、じゃあ更衣室に寄るからそのまま飯行こうぜ」
汚れた上着を脱ぎながら慶次が手招きをする。
「はいはい、と。じゃあ僕行ってくるね」
手に持つ書類をデスクに置くと財布を片手に半兵衛は慶次の後をついて行った。
「あぁ……」
秀吉は短く返事をしそのまま椅子に腰を掛けた。先程半兵衛の肩に触れた右手を改めて見つめる。その手に残る感触に秀吉は酷く不安を覚えた。
人の賑わう食堂の一角で、慶次と半兵衛は食事を取っていた。定食に付く白米を既に二杯おかわりをしている慶次と相反し、半兵衛が口にしているのは色々な栄養が含まれているというゼリー飲料一つのみ。そのバランスの悪さに慶次も眉をひそめる。
「なぁお前、大丈夫?」
「何が?」
プラスチックの飲み口を咥え首を傾げる半兵衛に慶次が詰め寄る。その拍子に少し伸びた銀髪が目に掛かる。
「飯!最近いつもそれだけじゃないか」
「……そんなことないよ」
「病み上がりなんだろ、しっかり食わなきゃだめだろ」
「でもこれ楽だし早くて良いよ?慶次君もこれにしたら?」
「いやお前……」
不意に慶次が半兵衛の前髪を分ける。
「ほら顔色悪いじゃねぇか、なんか痩せた気もするし……もっとちゃんと食わねぇと、秀吉も心配してるだろ」
「もう、うるさいなぁ。君は僕の保護者か何かなのかい」
半兵衛が顔を振り慶次の手を跳ね除けた。
「今は忙しいからこれなだけ、家ではちゃんと食べてるよご心配なく」
そう言って半兵衛はキッと慶次を睨みつける。こうなったら言い返すだけ無駄なことは短い付き合いの中で慶次も理解した。
「分かった分かった。でも本当、無理すんなよ」
慶次は両手を上げ降参するが最後に一言だけ念を押しておいた。
「はいはい、分かったよ」
中身が空になったゼリー飲料の袋を潰しながら半兵衛が軽く返事をする。その白く細い手が慶次にはいつも以上にそう見えた。せめて固形物をと慶次はおかわりした白米を一口どうだ、とすすめてみたが案の定首を横に振られてしまった。
帰宅をすると半兵衛はまず秀吉に風呂をすすめ、自身はキッチンに立ち夕食の支度をする。秀吉が風呂に入っている間に調理を済ませ、リビングへ戻ってくる頃には夕食をテーブルに並べる。そして半兵衛はというと作りながら味見ついでに食べたから、と言ってそのまま風呂に入る。これが最近の二人の習慣だった。
「ゆっくり浸かってこい」
そう声を掛けるといつも半兵衛は笑って頷く。
だから気付かなかったなどという言い訳をする自分に秀吉は腹が立った。
夜中、ふと秀吉は目を覚ました。リビングから物音がしたような気がしてベッドを降り、ゆっくりとドアを開けてみる。
「半兵衛……?」
心当たりのある人物の名前を呼ぶが返事はない。それどころかリビングは暗闇に包まれ、人の気配はしなかった。気のせいかと秀吉が部屋に戻ろうとした時、廊下の方から聞こえた微かな音に気付き足を止める。
「……」
それが何なのかと考えた途端、両足は勝手に走り出していた。明かりのついていないトイレのドアを遠慮なく開ける。幸い、鍵のかかっていないドアは易々と開けることができた。
「う゛ぇっ……ッ、はぁ…っ」
そこで身体を丸め器の中へ嘔吐する半兵衛の姿に秀吉は驚愕した。
「半兵衛、お前……」
苦しそうに呼吸をしながら半兵衛はゆっくりと振り向く。そして眉間に皺を寄せながら血の気の引いた顔で懸命に笑顔を作る。
「あぁ、見つかっちゃったね」
「半……っ」
秀吉が口を開くと同時に、再び嘔吐感に襲われた半兵衛は器に頭を垂れ身体を震わせた。
「お、ぇッ……ごめ、ん……秀吉、ごめん」
「半兵衛……」
こんな時まで自分に謝罪する半兵衛に秀吉は眉をひそめる。その切羽詰まった声からただ胃の調子が悪いとか気持ちが悪くなって吐いているという訳ではないと察した。
「気にするな、全て吐いてしまえ」
蹲る半兵衛の傍に膝をつき、震える背中を秀吉は優しくさすった。手に感じる肉と違うごつごつと固い感触と、器を掴む手に浮かぶ骨の線が痛々しくて秀吉の胸が軋んだ。だが今誰よりも苦しんでいるのはこの目の前にいるかけがえのない存在ではないか。誰より何より大切なこの存在をこの手で支えなければ、守らなければ、そう誓ったではないか、と秀吉は己を叱った。
ーー何故もっと早く気付いてやれなかったのか。
背中をさすりながら秀吉は奥歯を噛み締めた。
吐き気が治った頃、秀吉は半兵衛の口を濯がせベッドへと運んだ。横になるようすすめたが半兵衛はそれを断りベッドの端へと腰掛ける。
「落ち着いたか」
「うん、ありがとう」
秀吉がコップに水を注ぎ差し出すと半兵衛は申し訳なさそうにそれを受け取り口を付ける。冷たい水が喉を下ると、ひりひりと痛む箇所が潤っていくように感じた。
「半兵衛よ、お前何か」
「ーーっ!」
隣に腰掛けた秀吉が先程のように背中に手を伸ばすと、咄嗟に半兵衛がそれを手で払った。乾いた音の後に一瞬の沈黙が流れる。
「あ、の……」
会社で見た時と同じように驚いた顔をしたかと思えば慌てて目を逸らす。コップを握る両手が小さく震えていた。
「あの、すまない……本当に……」
「半兵衛よ、一体どうしたというのだ、我に何を隠している」
「……」
半兵衛は黙って俯く。秀吉が握られたコップを取り上げ細い手を掴むと驚いて半兵衛が顔を上げる。
「秀吉っ、やめてくれ!」
左手を掴む秀吉の大きな手を半兵衛は懸命に引き剥がそうとする。
「何故だ」
「ダメなんだ!離して!」
「何故だと聞いているッ」
秀吉が抵抗する半兵衛の両肩を掴み無理矢理自分と向き合わせる。
「我が、我が嫌いなのか」
「……ッ」
低く暗い秀吉の声に半兵衛の動きが止まる。ほんの少しの間黙り込み、そして小さく口を開いた。
「君、に」
絞り出した声は怯えているかのように震えていた。
「君に、触れられるのが……つらい……」
つらい、という言葉と同時に、紫の瞳から涙が零れ落ちた。
「嫌いじゃない、そんなわけないよ……でも、僕は……」
俯き片手で目元を覆うと、半兵衛は悲鳴を上げた。
「僕は汚いんだ……ッ」
堪えきれず、半兵衛はついに声を上げて泣き出してしまった。
酷く取り乱す半兵衛を秀吉はただ黙って胸元へ引き寄せ抱き締めた。もう半兵衛は抵抗しない。ただひたすら秀吉の腕の中で子供のように泣きじゃくった。そんな半兵衛の背中を秀吉はゆっくりと撫でてやる。
「……半兵衛、お前は美しい。あの日お前と出会ってから今日まで変わらずな」
しっかり半兵衛へ伝わるようにと秀吉が耳元で優しく囁く。
「美しく、そして誰より優しい人間だ」
しかし嗚咽を漏らしながら半兵衛は首を左右に振る。
「僕が、僕が今まで何をしてきたか、君も知っているだろ」
半兵衛が秀吉と初めて出会ったのは平蜘蛛、信長と光秀に抱かれた日。それより前、それから後にも半兵衛は毎日何人もの男達に身体を売ってきた。秀吉もそのことはよく知っている。それなのに秀吉は自分を美しいと言うのが半兵衛には理解できなかった。
「なんで、あんなことしてた僕が綺麗なわけないよ」
ーー汚い。
「君は僕を守ると言ってくれたけど」
ーーあぁ汚い。
「僕はもう汚れきってしまっているんだよ」
秀吉が半兵衛に好きだと告げた日、半兵衛は心の底から嬉しいと思った、だが同時に酷く怯えてしまった。今まで散々他の男に身体を汚された自分が秀吉に触れていいわけがない、こんな人間が誰かに本気で愛されるわけがない、否定的な言葉ばかりが半兵衛の頭に浮かんだ。
ーー秀吉を汚してしまう。
秀吉を好きだと思えば思うほど、両手に、身体に、あの独特の匂いのする粘着質な液体が纏わり付いているように感じた。汚い、気持ちが悪い。そう思う度に込み上げてくる嘔吐感に耐えきれず、夜な夜な吐いてしまう。
「君に相応しい人間じゃ、ないんだ……」
掠れた声で半兵衛が弱々しく秀吉の胸を押し返す。
「それを決めるのはお前ではない」
未だ涙の止まらない目元を懸命に拭う半兵衛をじっと見つめ、秀吉は静かに口を開いた。
「我がお前を必要だと言っているのだ」
「秀吉……」
「我がお前は美しいと思っているのだ」
「……っ」
「お前は美しい、例えどんなに身体を汚されようともその心は強く美しいままだ。あのような場所にいながらもお前の瞳は死なず、煌めいていた」
目元を擦る半兵衛の手を止め、秀吉が優しくそこを拭い微笑む。涙と不安に揺れる紫の瞳の奥に小さな光が宿っていた。初めて半兵衛に会った時に秀吉はそれに気が付き不思議と惹かれた。そしてこの男を救いたい、守りたい、とそう思った。狭い暗闇の中で煌めくこの小さな光を両手で包み、掬い上げたいと。
「だが先日、あのことがあった日に、お前のその瞳が曇ってしまった……そうさせてしまったのは、我だろう」
伸びた銀髪を分けて半兵衛の顔を覗き込み、秀吉が悔しそうに眉間に皺を寄せる。自分の力の無さの導いた結果がこれだと奥歯を噛み締めた。
「……何か、あったのだろう」
半兵衛の瞳が一瞬だけ大きく開いた。あの日襲われたこと以外のことを聞かれている、そうすぐに分かった。
「聞かせてくれぬか?」
いつも自信に満ち溢れている紅い瞳が、今はとても悲しそうに半兵衛の瞳に映る。
「……君には敵わないな」
あの日と同じように問われ、困ったように半兵衛は笑った。
「僕のもう少し昔の話、聞いてもらえるかな」
前髪に触れる秀吉の手を取り、その上に半兵衛が自分の手をそっと重ねる。そして静かに瞼を伏せた。
To be continued...
本当は今回で終わるつもりだったのですが全く収まらなくてまた次回へと続きました。皆様、もう少しだけお付き合いください。
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