主に半兵衛受けのお話が多いです。

まわりみち 1


現パロ、秀←半、捏造斎藤家

 校内に響くチャイムの音を合図に生徒達はノートや筆記用具を鞄に押し込み席を立つ。
「秀吉ー!席取りに行くぞ!」
 弁当の包みを片手に声を上げる慶次に呼ばれ、少し離れた席の秀吉は椅子から腰を上げる。
「半兵衛も!」
 人当たりの良い笑顔を次は半兵衛へと向ける。
「はいはい、今行くよ」
 既に席を立っていた半兵衛がくすりと笑いながら同じく弁当の包みと鞄を持って慶次達の元へと向かう。
 昼食時間になると途端に混み合う食堂は三人が着いた頃にはほとんど席が埋まっていた。
 だが互いに定位置のようなものがあるようでいつも同じ生徒が同じ場所を陣取っている。
 その為やや遅れて到着したところで半兵衛達がいつも使う4人掛けのテーブルはまだ空いていた。
 半兵衛達がいつもの席へ腰掛けた時だった。
「秀吉」
 不意に、鈴のように可愛らしい声で名前を呼ばれた秀吉が声の主を見つけ微笑む。
 それと同時にほんの一瞬、半兵衛の顔が曇った。
 だがそれはこの場の誰一人にも気付かれる事はく、すぐに秀吉と同じ方向へ顔を向けた時には、何事もなかったかのように先程と同じ笑顔を浮かべていた。
「ねね、こっちだ」
 秀吉にねねと呼ばれた女子生徒は笑顔で手を振ると秀吉の元へと駆け寄った。
 その手には桜色の包みに入った小さな弁当箱と、赤色の包みに入った大きな弁当箱が乗っている。
「いいなぁ秀吉は、いつもねねの手作り弁当が食えるなんてよ」
「何言ってるんだい、まつ殿の料理を毎日食べられる君だって十分贅沢者だよ、ねぇ秀吉」
「うむ、半兵衛の言う通りだ」
 三人の他愛もない会話にねねはくすくすと笑った。
 そのままごく自然な流れで秀吉とねねが隣り同士で座り、その向かいに慶次と半兵衛が座る。
 これがいつもの光景だった。
 秀吉とねねは入学当初から付き合っている。
 誰もが羨ましいと思う程仲の良いカップルで、二年生になった今でもそれは続いていた。
 体格も性格も逞しく優しい秀吉と容姿も心も美しいねね、お似合いとはこの二人の為にある言葉だと二人の出会いから現在までを見てきた半兵衛は思った。
 そして同時に少し胸が痛んだ。
 半兵衛は秀吉のことが好きだった。
 高校生の頃、風邪を引きがちで学校にあまり行けず人と関わることが少なかった半兵衛は、やがてクラスで浮いた存在になっていた。
 たまに登校しても一人教室の隅の席でぼんやりと外を眺めたり本を読んでいる半兵衛を気に留める人間はいない。
 だがある日、一人だけそんな半兵衛に声を掛けた人間が現れた。
「竹中、休んでいる間の授業内容をまとめておいた。よかったら使ってくれ」
 読んでいた本から声の方へ視線を移すと思いの外大きな身体の男と目が合った。
 体格に比例して常人より大きなその掌は一冊のノートを差し出している。
「……ありがとう」
 人と話すことがほとんどなかった半兵衛は咄嗟に返す言葉が出てこず、ぼそりと礼だけを返しそれを受け取った。
「あぁ、分からない箇所があればいつでも聞いてくれ」
 紅の瞳を細めて男は笑った。誰も相手にしようとしなかった自分に声を掛けるなんて余程のお人好しなのかと考えていると、半兵衛はハッと気が付いた。
「あの……」
 困ったように目を伏せた半兵衛にその男は何事かと首を傾げる。
「君、その、名前は、何ていうの……?」
 ぼそぼそと呟く半兵衛の言葉に一瞬男は固まり、次の瞬間豪快に笑った。
 その声の大きさに驚きびくりと半兵衛の肩が震えた。
「すまなかったすまなかった、我は豊臣秀吉だ。これからよろしく頼む、竹中」
 秀吉と名乗った男は相変わらず笑いながら大きな掌を半兵衛に差し出した。
 向けられた笑顔が半兵衛には太陽のように暖かく思えて、白く細い手は無意識にその大きな掌へと引き寄せられていった。
 半兵衛の思った通り、握ったその掌は温かかった。
「秀吉?お、珍しい奴が来てんじゃん!よっ、俺のこと知ってる?前田慶次ってんだよろしく!」
 慶次と出会ったのもその日だった。
 秀吉を探して教室へ駆け込んで来た慶次は半兵衛が口を開く前に自己紹介を済ませると、本人の了承も無くいつの間にやら半兵衛を友達と認定した。
 それからの学校生活を半兵衛はこの二人と過ごすことになったのだ。
 思えばあの日あの大きな掌に包まれた時、自分は既に秀吉のことを好きになっていたのではないだろうかと半兵衛は思った。
 秀吉といる時間はとても楽しく穏やかで、明日も会えるのが嬉しいと毎日胸が躍った。
 そんな半兵衛が秀吉のことが好きだとはっきり自覚したのは大学に入ってすぐ、ねねと秀吉が付き合うことになったと聞かされた日だった。
「半兵衛、慶次、聞いてくれ」
 四人で昼食をとっている時、ふと秀吉が口を開いた。
 隣りに座るねねの恥ずかしそうな笑顔から半兵衛は嫌な予感がした。
「我とねねは、その、付き合うことになった」
 あぁほらやっぱり、口には出せない言葉が心の中に響いた。
 それと同時に軋むように胸が痛んだ。
「そいつはめでてぇ!おめでとう秀吉!ねね!」
 先に二人を祝ったのは慶次だった。
 慶次がねねのことを好きなのは半兵衛も知っていたが、慶次の言葉や表情からは嫉妬や苦しみなんかは感じられない。
 心から二人を祝福していた。
 慶次はそういう男だ。自分より他人の幸せを願うことができる優しい男だ。
 それなのに自分はと半兵衛は自嘲した。
「そうかい、それは本当によかった。二人ともおめでとう」
 嫌だ、そんなのは嫌だ、そう思いながら涼しい笑顔で嘘を吐いた。
 ありがとうと笑うねねが羨ましくて妬ましかった。
 そしてこの時やっと気付いた、自分はそういう風に秀吉のことが好きだったのだと。

 二年の夏、自習室を使って秀吉と半兵衛が二人で勉強をしているとやや遅れて慶次も合流してきた。
「悪いな!遅れちまって」
 外はかなり暑かったようで走ってきた慶次の額には汗が滴っていた。
「君にしては早い方じゃないかい」
「ははっ、全くだ」
 室内にいた二人は暑さとは無縁の涼しい顔で慶次をからかう。
「ひっでぇな」
 慶次はむっと唇を尖らせながらも二人のすぐ向かいの席に荷物を広げ、同じく勉強の体制に入る。
 だが、まだ暑さが引かず集中できないのかすぐに顔を上げ、使わないノートで涼を取り始めた。
「あちぃな〜……あ、なぁ二人はもう進路決めたのか」
「む、進路か」
「ちょっと慶次君邪魔しないでよ」
 慶次の問いにそういえばと顎に手を添える秀吉。
 それとは真逆に迷惑そうな声を上げる半兵衛。
「まぁ、少し休憩ということで良いではないか」
 秀吉が宥めると半兵衛は不服そうな顔をしながら分かったと溜息をついた。
「我は半兵衛と二人で会社を興す。だがそれには金が掛かる、一度どこかの企業に勤め金を貯めながら経営の方法も学ぶつもりだ。学校の授業だけでは社会には通用せんからな」
「そうだね、僕は秀吉とは別のジャンルの企業に入るんだ。そうすれば会社を立ち上げる時やその後、互いが持つそれぞれの知識は役に立つだろうからね」
 秀吉は目を輝かせて自分の将来を語る。
 その秀吉の将来の中に自分の名前があることが半兵衛は嬉しかった。
 半兵衛に無いものを秀吉は持っている。
 前向きな気持ちと自ら未来を切り開く力、そんな秀吉に憧れて惹かれた。
 そして役に立ちたいと思う内に秀吉の方から一緒に企業しようと誘いを掛けてくれたのだ。
「二人とも夢があっていいねぇ、俺は前田の会社を継ぐことしか選べないんだぜ。その為に無理矢理経営学部に入れられてよぉ」
 慶次は古い歴史を持つ前田の会社を継ぐことが決まっていた。
 叔父の利家の代で会社がかなり大きく成長したことで、跡を継ぐ慶次には一族から多大なる期待が寄せられている。
 それに応える為にと利家の勧めで慶次は半兵衛たちと同じように経営学部へと入ったのだ。
「確かに君が僕らと同じ学部に入るなんて意外だったよ」
「だろ?俺はもっとこうザ・キャンパスライフみたいな大学生活に憧れてたのに、毎日毎日勉強勉強……家に帰れば利が今後の経営方針についてとか何とかで謎のシュミレーション始めるし……」
「それだけお前に期待しているということだろう、胸を張れ」
 話す内に暑さとは違う理由でげっそりとやつれる慶次を秀吉が持っていたノートで仰いで元気付けてやる。
「そうだよ、跡目争いもなくお家が継げるなんて平和的でいい話じゃないか」
「お前何時代の人だよ……」
「ほらほら口より手と頭を動かしたらどうだい、君まだ一文字も進んでないだろう」
 半兵衛は項垂れる慶次の尻を容赦なく叩く。
「あ、秀吉」
 ああだこうだと騒いでいる空間にあの鈴のような声が響いた。
 一瞬、半兵衛は瞼を伏せる。
 そしてちらりと隣りに座る秀吉を見上げるが、秀吉の視線は教室の外へと向けられていた。
「ねねか、どうした」
「今、少しだけいいかしら?」
 ねねの姿を見つけた途端無意識に秀吉は席を立ち、教室の出入り口へと足を進めていた。
 会えば近くに歩み寄るのが自然な動きになっているのかなどとつまらないことを考えている自分に半兵衛は嫌気がさした。
 ほんの少し楽しげに会話をして秀吉が振り返る。
「悪いが少し外す」
「おう、ごゆっくり〜」
「うん、構わないよ」
 二人の返事に頷いて秀吉とねねは廊下へ消えていった。
「本当仲良いよな、あの二人」
「うん、そうだね」
「見てるこっちまで幸せな気分になるな」
「……そうだね」
 徐々に暗い顔をする半兵衛に気付いてか気付かずか、慶次は口を閉じようとしない。
「俺さ、ねねがあいつと付き合って本当に良かったと思ってるんだ。きっと俺じゃねねをあんな風に笑わせてやれないからさ、ほら俺って頼りないだろ」
 ちらりと見た慶次の横顔には寂しさと慈しみが混じっているように見えた。
 悲しいはずなのに酷く優しく笑っている。
「どうして、君は……」
「ん?なんだ」
「……いや、なんでもなよ」
 どうして君はそんな風に綺麗でいられるんだ、そう聞きたかったけれどやめておいた。
 自分の醜さを改めて認識してしまう気がしたから。
「あ、そういえば半兵衛聞いた?ウチの学部の一年に編入生が来たらしいぜ」
「一年に?二年じゃなくて?この時期に?」
 急な話題の変更に半兵衛は正直安心したが、その内容に首を傾げた。
「普通編入って二年からだろ?でもそいつ親が大企業とか大学のバックの会社だとかで特別に入れたって噂」
「それって良くない方法じゃ……」
「あと、めちゃくちゃ頭良いらしい」
 慶次が自分のこめかみを人差し指でとんとんと叩く。
「そんなに?」
「試しにテストさせてみたら今の一年のトップの成績軽く抜いたらしくてよ、ウチの大学のモットーって勉強したい奴ぁ寄っといでみたいなところあるから」
「そんなモットーあったっけ」
 勉強する気がなくなったのか開いたノートの端に慶次は何やら落書きを始めた。
 これは何が描き上がるのだろうかと反対側からノートを覗きながら半兵衛は相槌を打つ。
「ま、そんで学校側も喜んで受け入れたってわけみたいだぜ」
「ふーん、そんな凄い子なら会ってみたいね」
「名前は知らないけど顔なら見たことあるぜ俺」
「へぇ、どんな子?」
「うーん……あ」
 その生徒の顔を思い出そうと視線を泳がせた慶次が教室の外を見た瞬間、やや間抜けな声を漏らした。
「うん?」
「あれ」
 慶次の指差す方へ半兵衛は視線を向けると、噂の人物らしき生徒がいた。
 その生徒をはっきりと視界に捉えた時、慶次とは正反対の声色で半兵衛は口を開いた。
「あ……」

 噂の編入生は校内のどこを歩いても目立っていた。
 異例の編入という話題とは別に、外見が特に人の目を引いた。
 肩まで伸びる暗めの赤い髪、顔に掛かる前髪を惜しげもなくかき上げているため金色に光る両目は露わになる。
 その瞳孔は蛇のように縦に伸び、鋭い切れ目と合わさり近づきがたい雰囲気を醸し出した。
「半兵衛の幼馴染なんだってな、斎藤……なんだっけ」
 中庭を歩く噂の人物を二階の教室の窓から見下ろしながら慶次が呟く。
「斎藤龍興、でももう何年も会ってなかったから向こうも僕だと気付くかどうか。小学生以来かな?」
 窓の縁に軽く腰を掛けて半兵衛が指折り数える。
「お前はよく覚えていたな」
 話の流れから秀吉も窓の外を覗いてみる。
「あの通り目立つ子だったからね、龍興君は。雰囲気はだいぶ変わったけど顔は昔の面影があるよ」
「昔からあんな風だったのか?」
 龍興が歩く先にいる生徒たちは彼の姿を見るなりさっと道を空け、ベンチに座って談笑している生徒はぴたりと話すのを止め視線を逸らす。
 ここ数日半兵衛たちは龍興を見かけることがあったが、龍興の隣りに並んで歩こうとする友人らしき人物は一人も見当たらなかった。
「あんなに怖がられてはいなかったと思うけど」
「まるで海割りだな」
 龍興に対する他生徒の反応を見て秀吉は苦笑いをする。
「やんちゃないじめっ子ではあったけど」
「半兵衛いじめられてたのか?」
「子供の悪ふざけだよ、オカマだのもやしだの馬鹿にされたくらいさ」
「そっか、あんな殺気立ってるやつのいじめとかどんだけえぐいもんかと思ってちょっと背筋凍った」
 想像しながら慶次がわざとらしく肩を震わせると、即座に秀吉が茶化すなと慶次の頭をはたいた。
「いだっ!ちょっ、お前怪力なんだから加減しろよ!」
「お前がいらんことを言うからだ」
「ふふ、いいんだよ秀吉」
 思いの外痛かったようで秀吉に文句垂れる慶次を見て半兵衛がくすくすと笑う。
「でも少し気になるから今度話し掛けてみるよ」
 窓の外に視線を戻して半兵衛が呟いた。
 慶次の言うとおり、背中越しでも分かるほど龍興は荒れているように見えた。
「あぁ、友が居らず不安なのかも知れんな。知り合いがいると分かれば少しは安心できるだろう」
 慶次をあしらいながら秀吉は賛同した。
 友達が居なくて不安、その言葉に半兵衛は納得した。
 高校時代、秀吉達と出会うまで自分が不安だということを半兵衛は自覚していなかった。
 自分の世界、本の世界に逃げ込んで誤魔化していた。
 だが、差し出されたあの大きな掌は自分を不安というそこの見えない渦から引き上げてくれた。
 自分に同じことができるとは思わないが、少しでも掬い上げられるならと細く頼りない手を伸ばすことにした。

*****

 窓を叩く水の音から、いかに激しく雨が降っているのかが分かる。
 梅雨といえどこんなにも降るものかと半兵衛が気だるげに溜め息をついた。
「今日が休みでよかった」
 横殴りの雨を窓越しに眺める。
 今日は日曜日、大学は休みの為半兵衛は自宅で勉強をしていた。
 本当なら少し出かけて本でも買いに行こうかと思っていたのだが、昨晩の天気予報を見た時点で引き篭もることが決定したのだった。
「こういう日は授業があっても行く気が起きないものだからね」
 大学から左程遠くないアパートで半兵衛は入学と同時に一人暮らしを始めた。
 十三畳と普通よりスペースのあるワンルームの部屋は勉強机とベッド、生活に必要な最低限の家具しかない殺風景な部屋だった。
 だが日に日に増えていく本と、それを納める為の棚が徐々に部屋のスペースを埋めていき、書斎とも呼べる部屋へと変化しつつあった。
 固まりそうになった身体を伸ばし半兵衛は時計を見る。
 朝にノートを広げ、気付けば時刻は昼過ぎになっていた。
 いったん休憩をとろうと半兵衛は勉強机から腰を上げる。
 キッチンへ立ち湯を沸かし、買い置きしておいたココアの袋の中身をカップへ移す。
 そこへ沸いた湯を注ぎ込むと部屋中に甘い香りが漂った。
 火傷しないよう息を吹きかけてから口に含むと、優しい甘さが口の中に広がっていく。
 半兵衛がほっと一息ついているところに、不意にインターホンが鳴った。
「誰だろう、秀吉?慶次君?」
 自宅まで訪ねてくる人物はごく僅かで思い当たる名前を呟きながら玄関へと向かう。
 ドアに手を掛けたところでもう一度インターホンが鳴らされた。
「はーい、すみませんでした、どなた……」
 待たせて申し訳ないと詫びながらドアを開けた時、半兵衛は固まった。
 目の前に立っていたのは自分より身長の高い男。
 雨に濡れ垂れ下がった暗めの赤い髪の間で金色の瞳が鋭く半兵衛を捉える。
「龍、興君」
 予想外の来客に驚き硬直していた半兵衛が驚きを隠せないまま口を開いた。
「……」
「えっと、久しぶりだね。どうしたの急に」
 黙ったまま見つめてくる視線が気まずくて目が泳いでしまう。
 頭上からの威圧感が重い。
「どけ」
「え……わっ!?」
 低い声でぼそりと呟くと龍興は半兵衛を押し退け勝手に部屋へと上がり込んだ。
「ちょっと、待って!急に何なのさ!」
 許可も無く侵入してきた幼馴染に声を荒げるが全く見向きもされなかった。
 先程まで半兵衛が勉強をしていた部屋まで入ると、右肩で背負っていた大きめのリュックを下ろした。
 傘を差していても無意味な程激しい雨に打たれたリュックからは湿った嫌な音が鳴った。
 玄関に鍵をかけ小走りで後を追ってきた半兵衛が我が物顔で床に座る龍興に苛立ち混じりで声を掛ける。
「一体何のつもりなんだい君は。急にやって来て挨拶もなしに勝手に上がり込んで」
「ここに住む」
「はぁ?」
 家主と視線を合わせることも無くテレビのリモコンを手に取りながら龍興が短く答えた。
「俺も今日からここに住むっつってんだよ」
「は、いや何言って……ここに?今から?そんな急に……認めるわけないだろ。ここは僕がお金を払って借りているんだ、君はただの侵入者、すぐに出て行ってくれ」
 少し前まで可哀相な後輩などと思っていた自分を恥じた。
 龍興は昔から横柄だ。
 自分の気分だけで物事を決める悪ガキだったと半兵衛は思い返していた。
「……」
 少しの間黙り込むと、龍興は着ていた上着のポケットから携帯を取り出し、どこかへ電話を掛け始めた。
 服まで濡れているのか龍興の腰掛けた床もじわじわと湿めりが広がっていた。
 動こうとする気配のなさに半兵衛は溜め息をつきながら風呂場へと向かう。
 何を考えているのかと小声で文句垂れながら大きめタオルを一枚掴むと不機嫌を纏いながらリビングに戻った。
 すると丁度通話を終えた龍興がおいと、半兵衛に声を掛けた。
「なに」
「ここの家賃俺が払うことになった。名義も変える、だからここは俺の家になる」
「……はぁ?」
 淡々と語る龍興の話が飲み込めず半兵衛の眉間に皺が寄る。
「君が?そんなお金持っているのかい」
「ジジイの遺産がある、そこから引き落とす」
 吐き捨てるように言い放つと半兵衛が持ってきたタオルを乱暴に掴み取った。
「……お爺様亡くなったの」
「あぁ、去年な」
 突然の訃報に半兵衛は戸惑った。
 龍興の祖父のことは半兵衛もよく知っていた。
 半兵衛の父親の勤める会社の上司は龍興の父親の義龍で、創設からわずかな期間で大手企業と呼ばれるまでのし上げたのが龍興の祖父斎藤道三だった。
 家族ぐるみで交流のある半兵衛は、幼い頃は道三に遊んでもらったり菓子をもらったりと孫の龍興と同様に可愛がってもらった。
 半兵衛自身も祖父のように思い慕っていた道三の訃報、好かない人間の身内といえど心が痛んだ。
「今は親父が跡継いで、俺はその跡を継ぐから経営の勉強しとけってよ」
「そうなんだ。でも、何故うちの学校に?」
「……関係ねぇだろ」
 荒々しく頭をふきながら龍興はそっぽを向く。
 なるほどと、半兵衛は思った。
 龍興は父親の義龍とは左程仲は良くなかった。
 義龍はどちらかというと、子育てよりも仕事に重きを置く人だった。
 半兵衛が龍興と一緒に道三に遊んでもらった時、近くに義龍の姿があった記憶はほとんどない。
 優しかった祖父の他界、子供に関心のない父親、本人が自覚しているかは分からないがきっと龍興は寂しいのだろう。半兵衛はそう考えた。
「そうかい」
 だからと言って必要以上に優しくしてやるつもりは半兵衛にはない。
「とりあえず着替えてくれないかい」
 ただ、今日の横柄な行動には、特別に目を瞑ることにした。

 続く。

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朝顔の夜