02


 少年たちが向かうのは、勇者イレブンの故郷。ナプガーナ密林を抜けた先の山間いにひっそりと佇むイシの村だ。道中を阻むナプガーナ密林はその名の通り大きな木々の連なる密林地帯で、一歩踏み入れればたちまち出口がわからなくなってしまう。それは、振り返れば自分の通ってきた道すらわからなくなるほどだった。
 背の高い草木が立ち並び、湿った空気は少しばかり肌寒い。ふる、と身体を震わせたフィアは、思わず腕をこすった。この密林地帯を抜けるには相当旅に慣れていなければならないだろう。どうやらカミュはこの辺りの地形に精通しているようで迷う様子はなかったが、フィアとしては正解も不正解もわからない上に同じ景色が続いているような気さえして眩暈がした。空を見上げれば時折青空がちらりと垣間見えるものの、大半が青々と葉を広げる木の影に隠れている。

「こんな人里から離れた場所にあるなんて、村の人たちは大変だね」
「いや、本来ならこんな道を辿らず簡単に行けるんだ。だが、そっちの道はデルカダール兵が張ってるだろうから、迂闊に通れない」
「ふうん?」

 デルカダール兵? 聞き覚えのない言葉だったが素知らぬ風で頷いたフィアは、カミュの話を耳に入れつつ前を歩くイレブンの後ろ姿に目を細めた。焦燥感を感じる背中だ。一刻も早く村に戻らなければならない。そんな空気を感じる。
 この道中、フィアはふたりに余計な詮索をすることはなかった。それはなぜか――簡単な話だ。逆に詮索された際、フィアは彼らになにひとつ説明することができない。自分がされれば困る、だからしない。という、実に単純明快な理由だった。
 そう、この短い道程の中で知り得たもうひとつのこと。彼女は、記憶がなかった。
 思い出せないことをただの度忘れだと呑気に構えていた少し前の自分の頭をぽかりと叩いてやりたい気持ちはあるが、だからといって焦っても事は進まないだろう。それに、フィアが彼らに「自分は勇者を助ける使命がある」と言った以上、下手なことは口にできまい。記憶がないのならなぜそう言い切れるのかと問われれば、フィアは首を振るしかないのだ。
 ――大樹の元で声を聞いたから、など、そんな馬鹿な話をいったい誰が信じるというのか。
 記憶を失ったというからにはそれ相応に事情があったのだろう。だが、覚えがある限りフィアはあの静かな野原に佇む木の根元ですやすやと気持ちよく眠っていただけだ。記憶喪失になるほどのことがあったのならば、なぜそんな穏やかに呑気なことをしていられるというのか。
 満身創痍の中あの場で力尽きたのではとも思いかけたが、その様子はない。傷は確かに魔法で癒すことができるが、それではまとう服が綺麗である理由が付かない。それらの情報を束ねたところ、即ち、フィアの身にはなにもなかったと考えるのが自然だ。
 ――ではなぜ、記憶がないのだ! 結局考えたところで収穫などあるはずもない。故にフィアは、無用な詮索を避けていた。

「勇者様も楽じゃないね。魔王のことだけでも、大変なことなのに」
「って言ってもなぁ。正直、デルカダールに行くまで、魔王のまの字も聞いたことなかったぜ。勇者が生まれたから魔王が生まれる、ってのも安直過ぎだしな。16年前に滅びたっていうユグノア国も魔物の襲撃にあっただけで、魔王の存在はなかったみたいだし」
「でも、それが予兆だったという可能性は十分にあり得るんじゃない? なんの目的もなく一国を滅ぼそうとしていた魔物だったなら、その前にやられていると思うし」

 フィアの言葉に、それもそうだとカミュは頷いた。まぁでも、と彼は空を見上げ、木々の隙間から零れる日差しに目を細める。

「勇者様の育った村って、どんな場所なんだろうな」
「……さぁ。きっと、のどかで穏やかで、素敵な場所なんじゃないかな」
「なんでわかるんだ?」
「なんとなく。イレブンがそうだから」

 前行くイレブンの背中を見つめながら言うフィアの言葉には、カミュも納得したようだった。そうだなと頷く声に、特別な感情はない。それほど自然な見解だった。

「なぁ、イレブン。お前の故郷って、どんな感じだ?」
「え?」

 先を行くイレブンに聞こえるようにだろう、声を張り上げるカミュにイレブンは振り向いた。立ち止まり、不思議そうな顔で首を傾げている。

「ごめん、よく聞こえなかった」
「あぁ、悪い。お前の故郷ってどんな場所なんだろうなと思ってさ」

 カミュの問いかけにイレブンは少し顔を綻ばせ、うれしそうに目を細めると頷いた。

「そうだな……穏やかで、優しい場所だよ。母さんも村のみんなも、気立てがいいっていうか」
「へぇ。やっぱそういうところか」

 カミュは声を弾ませ、イレブンの肩に腕を回す。さらさらと零れる髪を手のひらでかき混ぜ、にっと笑う笑顔は日差しが弾けるようだ。

「いい場所だな!」

 まるで自分のことを誇るかのようなカミュの様子に、イレブンははにかんだ。うん、と頷くその瞳は優しい。その面影に一瞬誰かを重ねた気がしたフィアは、ゆるりと首を振る。
 ――どちらに、なにを重ねたのだろう。彼女にはそれが、わからなかった。


 ◇ ◇ ◇


 密林を抜け視界が開けた先には、女神像とキャンプの跡地が待っていた。女神像の近くは神聖な気で溢れ魔物が近寄らないのだというのは長年旅を続けていたというカミュの弁で、慣れない密林を抜けた後で疲労もたまっているだろうとそこで一泊を過ごすことになった。
 しかし、カミュ以外のふたりはキャンプというものの経験がまるっきりないものだから、まるで勝手のわからないイレブンとフィアは手際よく準備を進めるカミュの様子をほうほうと感心した様子で見つめ、「お前ら、ぼーっと見てないで覚えろよ?」というもっともな指摘に素直に頷いた。
 まだまだ始まったばかりの旅路だ、今後もこうしてキャンプを行うことがあるだろう。魔物を警戒する必要がなくゆっくり床につけるというのは、ありがたい話だった。
 近くを流れている川で魚を取り、道中で見つけた山菜をもとに、カミュはこれまた慣れた手つきで食事の支度を整える。さすが旅に慣れているだけのことはある見事な手際の良さで、不慣れなイレブンとフィアが手を出してはかえって邪魔な気さえして、ふたりはやはり感心した様子でカミュを見つめるのだった。

 夕食の用意が整う頃には陽も暮れ、食事を終える時分になると空には星がまたたき始めていた。一日中鬱蒼と生い茂る大自然の強大さに圧倒されていたためか、開けた空は夜に染まっていても心地がいい。
 気が遠退くほど散りばめられている満天の星は、かしましく賑やかだ。しばらく夜空をぼんやり眺めていたフィアは、「そうだ」というカミュの言葉に首を降ろした。思いの外長い時間見上げていたようで、首がじんわりと痛みを放つ。

「なぁ、イレブン。お前にいい物をやるよ。今までいろんなお宝を手に入れてきた、オレとデク、とっておきの逸品だ」

 得意げに話すカミュに、イレブンはぱちぱちと不思議そうにまばたきを繰り返していた。その横顔がなんだか間抜けに見えて、フィアは思わずくすりと笑ってしまう。
 さてカミュはいったいなにを取り出すのだろうとわくわくした面持ちで見つめていたフィアは、せかせかとなにかを組み立て始めるカミュの背中にもどかしい気持ちで姿勢を崩した。フィアの位置では、カミュの背中にすべてが隠れてしまうのだ。
 丸太に腰かけたままぐぐぐと体を横に倒しなんとか覗き込もうとすると「ぅわっ」うっかり転げ落ちそうになり、慌てた声を上げるのとカミュが「よし」と満足げに立ち上がるのはほぼ同時で、わたわたとバランスを取ろうとしていたフィアに「どうした?」とカミュは不思議そうに声をかける。

「ううん、ごめん、なんでもない。な、なあに、それ?」

 まさか丸太から転げ落ちそうになるなんて恥ずかしいことを口にすることは憚られ、フィアは立ち上がると服の裾をパンパンと払いながら誤魔化そうと話題を振った。カミュは特に気にした様子もなく、「あぁ!」と得意げに目を輝かせイレブンに向き合う。

「その名も、ふしぎな鍛冶台!」

 でででん! と、背後に愉快な曲が流れてきそうな陽気さでカミュは言った。
 ふしぎな鍛冶台、とはその名の通り『不思議な』鍛冶台で、素材とレシピさえあれば金属の剣はもちろんのこと、木のブーメランに布の服まで、材料を問わずあらゆる装備が作れてしまう優れものらしい。
 不思議な、と名付けられるだけのことはあると、フィアは大層関心してそれを見つめる。得意げに話す説明書を辿るようなカミュの説明に、イレブンもフィアに負けず劣らず興味津々のようだ。
 カミュの手で組み立てられた鍛冶台は、キャンプの火の光を浴びてなお青く淡く輝いている。明るい夜空の色によく似ていると、フィアは思った。
 素材とレシピさえあればどんなものでも作れるのだという鍛冶台には、魔法の力が込められているのだろう。淡い輝きはおそらくそのためだと、フィアは検討付ける。なるほど、それは確かに勇者に相応しい代物だ。
 試しにやってみたらどうか、というカミュの提案にイレブンは好奇心を隠しきれない様子でせかせかと鍛冶台の上に材料を並べていき、ハンマーを手に取った。

「イレブン、なにを作るの?」
「お、オレも聞きたいな。どれを作るんだ、イレブン?」

 好奇心を隠しきれないのはどうやらイレブンだけではないようだ。フィアもカミュも、目を輝かせイレブンの手元を見つめる。すっかり話題の中心になったイレブンは、注目を集めていることにはにかみながら「出来上がってからのお楽しみだよ」ともったいぶって見せた。
 鍛冶台の上に材料が置かれ、レシピブックを片手にイレブンはしげしげとその中を確認している。ぶつぶつとなにか独り言を呟いているのは、頭の中に手順を入れるためなのだろう。しばらくもしない内にレシピブックを閉じ傍らに置いたイレブンは、ハンマーを手に取り腕まくりをした。

 かん、かん、とハンマーが振り下ろされる度に、素材たちが淡く光を帯びていく。不思議な光景だった。ただの岩の欠片のようだった鉱石が、清めの水を注がれる毎に刃の形へと姿を変えていく。ハンマーを振り下ろすイレブンの額には汗が滲んでいたが、鍛冶台の放つ光に当てられてどこか神秘的にすら感じられた。フィアはイレブンの手元と横顔を交互に見つめ、その眩しさに目を細める。
 やがてイレブンが打っていた手を止め、じっと淡く輝くそれを見つめた。光は徐々に大きくなり、カッと一瞬強い光が辺りに立ち込める。思わず目を瞑ったフィアだったが、恐る恐る目を開けると光はとうに消え失せて、ガッツポーズをするイレブンと目が合った。

「成功したの?」

 フィアの問いかけに、イレブンはうんと満足げに頷く。

「へぇ、完成したのか。どうだ、うまくできたか?」

 覗き込んでいたフィアの肩口からひょいっと顔を覗かせたカミュの関心はイレブンの手の中にある完成品だが、突然耳元で声が聞こえたフィアは思わずひゃあっと驚きカミュと距離を置いた。どきどきと胸が鳴り、び、びっくりした! と胸に手を当てて深呼吸を繰り返しているフィアに苦笑を零しつつ、イレブンはカミュにぐっと親指を見せる。

「マジか! 初めての鍛冶なのにやるな、イレブン! 練習したらもっとうまくなると思うぜ。その調子でがんばれよ」
「うん」

 自分のことのように喜ぶカミュに、イレブンはどこか誇らしげだ。大きく頷き足元の鍛冶台に視線を落としたイレブンは、出来上がったそれを手に取り満足げに目を細めた。

「これからは、キャンプの度に鍛冶ができるように準備しておいてやるからな」

 カミュの心遣いに、イレブンはありがとうと頷く。
 カミュはこういった汗水を流す鍛冶に励むのは柄ではないと言っていたが、楽しそうに行うイレブンの様子に興味を持ったのだろう。自分でやるつもりはないが、物が出来ていく過程を目にするのは楽しい。そういったところだろうか。フィアにもその気持ちがよくわかる。
 ふたりのやり取りを一歩離れた場所で見守っているとようやくはやる鼓動が落ち着き始め、フィアはふぅと安堵の息を吐き肩を撫で下ろす。

「で、その短剣、どうすんだ?」
「これは、フィアに」

 ふたりの話の流れから自分の名前が出てくるなど微塵も思っていなかったフィアは、イレブンの言葉にきょとんとまばたいた。私に? と首を傾げるフィアに、イレブンは微笑む。

「護身用に。これくらいなら、魔法の邪魔にもならないと思うし」
「あ、ありがとう」

 まさか自分用だとは思いもしなかったフィアは戸惑いつつも、手渡されたナイフの美しさに目を細めた。聖なるナイフ。その名の通り、聖なる力を宿したナイフだ。小ぶりだが美しい刃先は、まるで欠けゆく月のよう。
 カミュが長細く切り取られた皮切れを渡してくれるので、フィアは受け取ったそれを刃先に巻き付け腰紐にひっかけた。その場で飛び跳ね足踏みをし、落ちないことを確認する。

「へぇ、様になってるじゃねぇか」
「本当? 強そう?」

 思わず綻ぶが、その質問にふたりは苦笑を返すだけだった。……強そうではないらしい。その辺りはフィアも自覚があるので想像の範疇ではあったが、そうであっても社交辞令というものがあってもいいじゃないかと心の中でそっと拗ねた。
 ふあ、とカミュが大きな欠伸を零す。それに釣られたのかフィアも眠気を感じ、目元をこすった。

「今日はいろいろあって疲れたな。そろそろ寝ようぜ」

 カミュの提案に、イレブンもフィアも首を横に振る選択はない。満場一致で床に就くことになったフィアは、腰紐にひっかけたナイフを皮切れ越しに撫で、ふっと小さく笑んだ。誰かからもらったというだけで、人はこんなにもうれしくなるものらしい。

 あの時、あの場所で目覚めたことにはきっと意味があるのだろう。フィアが覚えていないだけで、自分には勇者を助ける使命があるのだと確信できたように。
 きっとなにかに導かれ、彼らは出会った。終わりなき時を求め、これからも続く出会いの尊さを知りながら。

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