(ホメロスの場合)

 なにやら鼻につく甘い香りがする。ホメロスは眉を顰めた。勤務中、それも城内で嗅ぐ香りではないと眉をひそめていると、「あっ」と声が聞こえた。
 ある意味聞き慣れた人物の声。いつもいつもその口でグレイグへの愛の告白ばかりを吐き、馬鹿の一つ覚えみたいにグレイググレイグと付きまとっている女だ。なんでもグレイグに昔から憧れていて、助けてもらったことで完全に惚れたらしい。まったくお気軽で羨ましいことだと、ホメロスはその女の無様な姿をいつも鼻で笑っていた。

「ホメロス、いいところに」
「今日もいい天気だ」

 絡まれるのが心底面倒で窓の外に目をやりそんなことを呟くと、「もうっ!」と咎める声が聞こえる。まったく怖くはない。

「なんだ、いったい。さっさと大好きなグレイグのところへ行ってくればいいだろ」
「うん、今向かってるところ。あのね、クッキー焼いたんだけど、よかったら一枚どう?」

 その言葉にホメロスは眉を顰めた。クッキーだって? この匂いの原因はお前か。表情を取り繕うことなくそのままイアを見つめれば、なに? とのんきに首を傾げられる。

「俺は甘いものが嫌いだ」
「えぇー、残念。美味しくできたのに」

 そう言って腕の中にある小さなかごの中から一枚のクッキーを取り出したイアは、それを口に咥えた。そのまま手を使わずサクサクと音を立てて食べ始めるので、下にぽろぽろとカスが零れていく。いや、普通に手で食べても零れるだろうが。
 さくさく。さくさく。その音にじわじわと苛立ちを助長され、ホメロスは露骨にため息をついた。早足でイアの元に近付くと、「なに?」と言いたげに見上げられるので、

 ――さく。イアが口に咥えたままのクッキーの端を口に含み、乾いた粉の食感と甘みに眉間の皺を濃くする。

「……甘い」

 ぺろ、と唇についたクッキーのカスを舌で舐め取ると、イアが丸々と目を見開きホメロスを見つめていた。

「なんだ」

 クッキーを口に挟んだままだ。そのクッキーの反対側には、食べかけの跡がついている。先ほどホメロスが口にした部分だが、案外多く口に含んでしまったらしい。執務に戻る前に茶でも飲むかと算段付けた。

「ま、まだグレイグともちゅーしてないのに!」
「なんの話だ」

 クッキーを手に取ったイアは、顔を真っ赤にさせ涙を浮かべながら叫ぶ。いや、キスはしてないだろ。顔は近づけたし唇も近かったとは思うが。

「ほ、ほめ、ホメロスのばか! セクハラ! 天然ジゴロー!!」

 まるで小者の悪役が捨て台詞を吐いていくようにイアは叫び、顔を腕で覆いながら隣をばたばたと駆けていく。その背中を見つめ、唇の端に残っていたクッキーのカスを指先で拭った。それを、ぺろりと舌で舐め取り、

「……甘い」

 しかし、イアのあの反応を見たあとだと、不思議とこの甘さも悪くない。ホメロスは鼻歌を口ずさみながらイアが来た方向へと向かい、辺りに漂う甘ったるい匂いに目を細めた。
 ――ああいうのは、からかいたくなる。それだけだ。ふっと浮かべた笑みには、ホメロス自身も気付いていなかった。




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