昼時で賑わう食堂にて暇を持て余しながら相手を待つ。先程『すぐいぐ』と返信があったからそれほど待たずに済みそうだ。
それにしても相変わらずこの世界の文明にまだ慣れていないのか、文字を打つのは遅いわ打ったと思ったらオール平仮名でしかも誤字というオチは一向に治りそうにない。
先ほどの返信画面を思い出しては笑いそうになるので、気持ちを切り替えるためにほとんど進めていないゲームを起動させた時だった。
食堂の入り口に出現した見慣れた髪色が目に飛び込んできた。その時点で起動するためにロードしていたゲームを終了させ、またしても俺がこのゲームを進めることは叶わなかった。

慌ただしく入ってきた男はきょろきょろと忙しなく首を動かし、人にぶつかりそうになってはするりと避けて歩いていく。
器用な奴だ、と笑みがこぼれたその時、ばちり、と視線があった。その瞬間破顔した男の顔に、見てるこっちが恥ずかしくなる。

「留三郎〜〜〜!!」

勢いよく抱き付いてくる男、もとい時友名前によって倒れそうになる椅子ごとなんとか踏ん張って耐えた俺を誰か褒めてほしい。
色んな人の視線が一斉にこちらに突き刺さっていることを気付いてるはずなのに、なかなか離れようとしない彼は俺の背中を無遠慮にバシバシと叩いてくる。地味に痛いからやめてほしい。

「とりあえず先に飯食おうぜ」

そう声をかけると待ってました、と言わんばかりに嬉しそうに笑ってようやく俺の隣へと落ち着いた。

「早く!早く!留三郎の飯!!早く!!」
「落ち着け。飯は逃げねぇよ」
「早く食いたい!!」
「わかったから落ち着けって!」

犬みてぇ、と思ったけれど、それを口には出さず二人前分の食材が詰め込まれたお重弁当を机に広げた。
視界に入れた瞬間それはもうきらきらと目を輝かせて手を合わせ始める。

「いっただっきま………」

あんなにも急かしていたのだからすぐにでも箸を伸ばしてくるのだと思っていたが、彼はぴたりと動きを止めた。
そのことを不思議に思い「どうした?」と声をかけると、小さく笑って箸をおいた。

「いけないいけない。腹減りすぎてすっかり忘れてた!ちゃんとしなきゃな!」
「?」
「留三郎。アレ、覚えてるか?」
「は?アレ?………あ〜…、アレか。いやでも俺覚えてねぇわ」
「大丈夫!私が覚えてる!」
「そうか。なら頼む」
「おう!」

彼の言わんとしてることがわかり、俺も机に箸をおいた。
何をしても目立つ彼だから、食堂に入ってきてから今まで随分と彼に視線が突き刺さっていた。それを物ともせず、気にもとめず、"俺と昼飯を食べる"ってだけの時間を大切にしているのがわかってしまう。
周りから見たらあんなに急かしてまで食べたがっていたご飯を前にして、彼が冷静さを取り戻し箸をおいたところから好奇心の目が向けられていた。

一つ丁寧に深呼吸し背筋を正した彼と共に、俺も重箱の中身を見ながら同じようにして手を合わせた。
目を閉じれば昨日のことのように思い出がよみがえる。あの箱庭での、あの食堂での、あの楽しかった情景が。

「われ、今幸いにこの清き食を受く。つつしんで食の来由をたずねて、味の濃淡を問わず、その功徳を念じて品の多少をえらばじ。いただきます」
「いただきます」

一瞬、食堂がしんと静まりかえった気がした。彼の醸し出す凛とした空気が、ざわついた食堂を支配したのだ。
ゆっくりと目を開けてお互いの顔を確認し、笑う。

「美味そう!いただきます!」
「どうぞどうぞ」
「美味い!!」
「そりゃよかった」

ようやくいつもの彼がまとう空気に変わり、食堂も徐々に昼時の騒がしさを取り戻し始めた。
ご飯を食べるまで騒がしくしていた彼だが、一度食べだすともくもくと食材を口に運ぶ。
基本的に彼は食べ始めると口数が減る。それは食べ物を味をしっかりと噛み締め、体の中へ染み渡らせる感覚を楽しんでいるからだ。
そうしたほうが何倍も食材の栄養を吸収できると彼は豪語するが、残念ながら俺はいまだにその域には達していない。
それに食べている姿はとても行儀が良く、普段の彼しか知らない人が見るとそれはもう驚きを隠せないだろう。

「なんか懐かしい」

ポツリと呟かれた言葉に、柄にもなく返答に困った。
味のことを言ってるなら昔から変わらない調理の仕方をしているからそう思うのも無理はない。
隣に並んで食べることを言ってるなら、それは俺も同じだと思った。
文次郎のことを言ってるなら、何も答えようがないと思った。

「私さ、ずっとつまらない人生を送ってたんだなって、留三郎に会うまで気づかなかった」
「は」
「声だけなら、色んな奴に会ったけどさ…こうして姿形が伴って出会えたのは留三郎が初めてだったんだ。だから、再会したときのことを想うと今でも涙腺が緩む。恥ずかしい話だよ」
「名前…」
「これ以上は望めない。けど、もしかしたらって希望が消えることもない。多くを望めばきっと両手からこぼれてしまう。それが少し怖いんだ」

それ、飯時にする話か?と思ったが言葉を卵焼きと一緒に飲み込んだ。
彼の言いたいことはわかる。俺も、声だけなら何人かに会ってきた。だけどその度に、言いようのない感情だけが心に残っていった。

ここにいるのは自分だけなんだから、いちいち悲しむのはやめよう。声だけでも聴けただけで充分。途端に会いたくなるけれど、それは自分の思い出の中だけにしておこう。

何度も何度も自分にそう言い聞かせて生きてきた。彼、時友#name2#という旧友に会うまでは。

まさか俺が鑑識官として警視庁に配属された場所で、彼が捜査一課に在籍してるとは夢にも思わなかった。
再会した場所が殺害現場で、被疑者の遺体を前に彼が号泣しながら俺に抱き付いてきたことは記憶に新しい。その後しばらく鑑識の部屋に入り浸っては俺の後をついてまわる彼に捜査一課の警部からお咎めをくらってたっけな。

実際のところ、俺も再会したときはちょっと泣いた。だけど彼があまりにも自分以上に泣いて取り乱していたため、逆にこっちが冷静にならざるを得なかった。
事件そっちのけで俺から離れない彼を見る同僚たちの視線が痛かったのなんの。その記憶すらも今じゃ笑って思い出せるというのに、彼は今でも泣きそうになると言うのだ。

「でも留三郎が鑑識で良かった」

薄く笑って安心したようにそう言った彼の真意をすぐに見抜いた俺は、思わず眉を寄せた。

「あのなぁ、誰かにやられるほど俺はひ弱じゃねぇぞ」
「わかってるよ。けどさ、現場って想像してるより危険なこと多いんだもん。留三郎は喧嘩っ早いし、熱くなると周りが見えなくなるタイプだから刑事には向かないし。だから鑑識で正解だなって」
「…まぁこっちのほうが性に合ってるけどな」
「もしそれでも留三郎に危険が迫ったら私が全力で守るから!なんてったっては組の学級委員長だし!」
「その前に生物委員会の委員長だろ?」
「うわそれすげぇ懐かしい。戦う用具委員長殿…」
「やべぇなそれ…俺の鉄双節棍どこだ…今めっちゃ触りたくなった…」
「私も、自分の和弓が恋しい…」

ふとした時に出る昔話を、誰かとこうして分かり合える今がどれほど素晴らしい日常なのかを俺は知っている。
まさかこんな風に、今まで生きてきた時代を捨て、新しい場所で生を宿し、再びあの時の仲間とあの時間の話ができるなんて誰が予想できただろうか。

きっと彼は俺を手放したくないと思っていて、どうにかこうにか自分の片手の範囲内に置いておきたいんだろう。
だがそう思ってるのは何も彼だけじゃない。俺だってそう思って隣にいるってこと、きっと気付いちゃいないんだろう。
昔からそうだ。彼のそういう根本的な部分は治ってない。それを酷く嬉しく思ってる自分がいるのも、昔から変わってないんだ。

あの時と変わらず長く細い灰色の髪を上のほうで結わえている所為か、彼が深緑の制服を着ている錯覚に囚われる。
俺といるときだけ一人称が元に戻る彼に、昔を懐かしむなと言われても無理な話だ。

「俺も髪、伸ばそうかな…」
「ごほっ!」
「大丈夫か?」

ぽつりと無意識に飛び出た言葉に、彼がぽかんと腑抜けた面を見せたあと、腹を抱えて笑った。
彼が笑うたびにゆらりとゆれる灰色の髪を疎ましく思ってる俺を見て、彼はなんともいえない表情で微笑んだ。
短くなった俺の髪に手を伸ばし、壊れ物を触るかのようないやに優しい手つきに心臓の裏側を撫でられるようなザワつきを感じた。

「留三郎には今の短髪がすげぇ似合ってる。お前はそのままでいい」

そんな恥ずかしいことよくさらりと言えるもんだと、聞いてるこっちが赤面しそうになる。
また明日からよからぬ噂が飛び交うんだろう、とちょっとげっそりしながら彼を見ると、心底幸せそうに笑っていた。
その顔を見たからには、周りの程度の低い噂話なんか気にならないと思えるほど、彼が隣にいる事実が幸せだと思えた。

神様とやら、この俺たちの時間をぶち壊してくれるなよ、と。居もしない存在に願わずにはいられなかった。



他人事のように嘯いて

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