その日は本当についてなかった。
僕がついてないのは今に始まったことじゃないけれど、今日はいつも以上についてなかったのだ。

朝食を食べながら見ていた占いでは牡羊座が最下位だった。光るものにご注意!と言われたが漠然としすぎていて結局何に注意すればいいのかわからず終いだ。
そんな最下位な牡羊座のラッキーパーソンが懐かしい人ときた。それすらも漠然としすぎていてこの占いの信憑性が疑わしい。
最後に天気予報を見て今晩雨が降るってわかっていたのに、出る間際になって時計がおかしいことに気付き慌てて飛び出したら傘を忘れ、駅では電車が遅延して仕事先に遅刻し、そういうときに限って僕を訪ねてくる人が多くて頭を下げっぱなしだった。
お昼もまともにとれないまま簡単な栄養補給ゼリーで事を済まし、慌ただしい一日を終えようやく帰宅できると思ったら案の定外は土砂降りの雨が降っていた。
途中のコンビニで傘を買おうとしたら愛想のない店員に「売り切れっす」と言われ、鞄で雨を凌ぎながら駅へ走るさなか、いつもは通らない近道を通ったことで僕の運は尽きた。

薄暗い公園に嫌な予感を感じつつも走っていると、丁度死角になっていた角から誰かが勢いよく飛び出し、思いっきりぶつかった。
その時に腕にピリッとした痛みが走ったが、それよりも尻餅をついた衝撃のほうが大きく、雨に濡れた道路へ二人とも倒れ込んだ。
何かがカラン、と落ちる音が聞こえた。

「す、すみません!急いでまして!大丈夫、です、か…えっ…!?」

音を鳴らし落ちたものは、僕と僕にぶつかった人の間で街灯の明かりを受け鈍く光っていた。それは刃先の長い包丁だった。
よく見ると赤いものが付着していて、それが血だとわかった瞬間、詰んだ、と思った。あの占い当たってやがる…、と今朝見た占いを恨めしく思いながら、目の前の人物が次にどう動くのかを予想した。
服が雨に濡れて多少の動きにくさはあるが、素人相手にやられるわけにもいかず、どうするべきかと考えていると相手が懐に手を差し込んだ。
その瞬間素人相手とか言ってる場合じゃない、と思ったのもつかの間、そいつは取り出した拳銃で僕をめがけて一発放った。強く雨さえ降ってなければかろうじて避けれるその弾も、この暗さと雨が邪魔で何も見えなかった。
襲ってくる痛みを覚悟するかのようにぎゅっと目を閉じたとき、キィンと何かが何かを弾き、そしてパリンと割れる音が聞こえた。
待てどもやってこない痛みを不思議に思い、ゆっくりと目を開けると僕と僕を撃った人の間に誰かが立っていた。
僕に背を向け、僕を庇うように立っていたその人の手には、道に落ちていた包丁が握られていた。長かった刃が半分の長さになっており、折れたであろう刃先が僕の近くに転がっていた。

もしかしなくてもこの人が落ちていた包丁で相手が撃った弾を防ぎ、その反動で刃が折れたのだろう。
そんな神業ができる人が現代にいるなんて、と驚きながら見上げると、酷く懐かしい影がフラッシュバックした。街灯の下で光る雨に濡れた灰色の髪が、二度と会うことのない彼のようだと思えた。

「あ、の…」

と声をかけるのと同時に僕の前に立っていた人が相手の懐に素早く入り渾身の一撃をぶちこんだ。その衝撃でふらつく相手の体を胸倉を掴んで立たせるとそのまま勢いよく背負い投げ、後ろ手で手錠をかける。その一連の動作を見て彼が一般人ではなく警察の人なんだと言うことがわかった。
一足遅れて他の刑事や警官が到着し、あれよあれよという間に手錠をかけられた相手はパトカーへと押し込められた。僕はというと誰にも声をかけられることなく雨に打たれたままその様子をぼんやりと見届けていた。

ふいに、灰色の髪の人が振り向いた。
細く長く伸びた髪を高く結わえてるその人に、いるはずのない人を重ねてしまいそうになる。街灯の下にいた僕とは違い、影になってて顔が見えないはずなのに、彼が息をのんだのがわかった。

「伊作…?」

とても小さく吐き出された声は震えており、僕に届くか届かないかの音量だった。
でも確かに僕は聞いた。あの聞き逃しそうな小さな声さえも、僕の鼓膜は拾って脳内に響かせた。

恐る恐る僕へと近づく影が、ようやく街灯の下へ現れたとき、僕も同じく息をのんだ。
そこにはあの頃と変わらない、時友名前がそこにいたのだから。

「名前…?」
「っ!伊作っ!!」

泣きそうな顔で雨に濡れることもいとわず彼は僕を抱きしめた。
これは夢?それとも幻?困惑してそれ以上声が出ない僕と同じように、彼もまた同じことを声に出しながら存在を確かめるように腕の力を強めた。
その瞬間またしてもピリッとした痛みが走った。思わず「痛ッ」と口に出てしまった言葉に、彼は我に返り、体をはがしたかと思うと全身をくまなくチェックし始めた。

「血の臭いがする。どっか怪我でもしたか?」
「そういえば腕が痛いかも」
「あ!ここ!ぱっくり切れてる!」
「ほんとだ!道理で痛いわけだ!」
「なんで気付かないんだよ。ばかたれが」
「だって尻餅の衝撃のほうが大きくて今まで忘れてた…」
「保健委員長のくせに…その名が聞いて呆れるなぁ」

そう言って困ったように笑った彼の顔を近くで見て、やっぱりこれは夢なんじゃないかと思った。でも腕の痛みが現実だと教えてくれている。
この世界で、もう昔の仲間に会うことなどないのだと、そう悟って生きてきたというのに。こんなサプライズ、本当に信じてもいいのだろうか。こんな僕が、受け取ってもいいのだろうか。

雨とは違う、視界がどんどん滲んで彼の姿がぼやけてしまい、表情すらもわからないくらいだ。
ボロボロと声もあげずに泣き出した僕を見て、彼が酷く焦ったように「そんなに痛いのか!」と勘違いを始めた。動いて喋って息をして、確かにこの場所で生きている彼を見て、泣けないわけがなかった。

「本当に…本当に君は、あの名前なのかい?」
「そういうお前は不運で有名な善法寺伊作か?」
「信じてもらえないかもしれないけど…僕は、まごうことなき善法寺伊作で…今でも不運な日常を日々生きてるよ…」
「まじか。生まれ変わってもそこは治らないんだな。ご愁傷さま…」
「うっ…酷い…」
「ならばなおのこと、また昔のように私も巻き込まれ型不運になるのは目に見えてるなぁ」

そう言って着ていたジャージを僕の頭に被せ、これ以上傷口に雨が当たらないようにしてくれる優しさだとか、立ち上がるときにずっと体を支えてくれた腕だとか、雫が落ちて光る灰色の髪だとか。
全てを形作り彼を彼として織りなすものが、僕のぽっかり空いた穴を埋めていった。

病院へ向かうと言ってびしょ濡れのまま止まっていたパトカーに僕を乗せると、慣れた手つきでハンドルを操作し車を走らせた。流れ出した景色を見て、また職場へ逆戻りかとため息をつきそうになった。
時折聞こえる車内の無線を聞き流しながら、今日一日の出来事を思い返した。占い通りの一日を過ごし、まさに最下位と呼ぶにふさわしい日だった。だけど今日あったすべての不運なことを許せるほど、僕の心はこれ以上ないほど満たされていた。

もうすぐで見覚えのある病院につく、というとき、急に彼が車を左に寄せてハザードをたいた。
突然の停車に驚いて運転席を見ると、彼が音もなく静かに涙を流しながら座っていた。あまりの衝撃に一瞬言葉を失ったけれど、すぐに彼に声をかけた。

「名前!?ど、どうしたの!?」
「ごめん伊作…早く病院に行ってお前の傷を診てもらわなきゃいけないってのに…安心して実感したら…力、抜けちまった…」

そう言って泣きながら笑った彼を見て、僕の両目にも止まったはずの涙があふれ出してきた。
そうして少しの間、お互いぐしゃぐしゃに泣きながら言葉を交わし、病院についた頃にはすっかり体が冷めてしまい、翌日仲良く風邪をひいたのは言うまでもない。



優しさだけがいつも懐かしい

back