「お前、時友名前だろ?あの有名な」
警視庁内でたまたま出会った初対面の彼に対しそう告げると、彼はなんとも言えない顔で俺を凝視していた。
「え!そうなのか?初めて見たな」
「思ってたより小柄だな。やっぱ噂はあてになんねぇな」
隣にいた萩原と一緒に反応のない彼に言葉をかける。
俺が言葉を発するたびに僅かに揺れる灰色の瞳が印象的だと思った。
「お前っ!小平太か!?」
「は?」
今まで固まっていた彼が弾かれるように意識を覚醒させると、俺たちの問いかけには一切答えず、彼は俺の両腕を掴みながらそう言った。掴まれた腕が少しだけ痛かったが、かといって微かに震えているそれを振り払うことも出来なかった。
「俺は松田陣平だ」
「松田…陣、平…」
「そうだ」
「小平太じゃ、ないのか…」
「悪いが人違いだな」
聞こえるか聞こえないかの声量で「人違い…」と呟いた彼は、今まで離さんと掴んでいた俺の両腕をあっけなく開放した。
下を向き「そりゃそうか」と諦めともとれる声色で、無理矢理納得させているような、感情を必死に押し殺しているような表情が見えた。どうしたもんか、と戸惑っているとぱっと顔を上げた彼は笑って手を差し出してきた。
「おれは時友名前!お前の名前を聞かせてくれ!」
今までの会話がまるで最初からなかったかのように、彼は記憶を切り捨てた。その実にあっさりとした態度に面食らうも、俺は無意識に彼の手を握りかえした。
「松田陣平だ。お噂はかねがね聞いてるぜ?組織犯罪対策部のエースさんよォ」
「エース?なんだそれ初めて聞いた。おれはただストレス発散に暴れたおしてるだけだよ」
「よく言うぜ」
隣で一部始終を見ていた萩原が口を挟みたそうにしていたが、俺が何も言わないのを見て諦めたようにため息をついた。彼は名残惜しそうに俺と握手していた手を放すと、俺の反応を窺うように話し始めた。
「あー…、えっと、迷惑じゃなければ、また話しかけてもいいか?」
「お前が?俺に?」
「…うん」
「何がどう迷惑になるんだ?」
「いや、なんか…色々と…知り合ったばかりでもあるし…」
「んな細かいこと気にすんなよ。喋りたきゃいつでも来い」
「ッ…」
俺の言葉を聞いて何故か驚いた彼は、途端に泣くのを我慢するかのように顔を歪ませた。
頭一個分違う身長の所為か、彼の灰白色の髪がよく見える。噂で聞いていた活躍をこの小さい体がこなしたのかと思うと俄然興味が沸いてくる。
「その豪快な性格…。全く、お前はどこへいっても変わらないな…」
「なに?」
「いや、こっちの話だ。突然引き止めて悪かった」
「?」
「いつかお互い時間が作れたら杯を酌み交わそう。その時はお前が好きだった強めの辛口を用意しといてやる」
言うだけ言ってそれじゃあ、と踵を返し足早に去っていった。振り向くだろうか、と思って見届けた背中は最後まで振り向くことなく廊下の一番奥の角を曲がって消えた。
引き止めようとしてやめた俺に、萩原が首を傾げながら言う。
「お前、日本酒好きだったっけか?」
「いや…普通…」
「じゃあなんで時友はあんなこと言ったんだ?」
「さぁな…でもまぁ、時間が合えば一緒に酒が飲めるってことだろ?これも何かの縁だ。その機会を楽しみに待つのも悪くねぇ」
「酔狂な奴…」
恐らくだが、きっと彼はあれ以上ここに居たくなかったのだろう。何が彼にそう思わせたのかは今の俺にはわからないことが多すぎる。
もし俺が彼の言う「小平太」だったとして、彼の望む答えを差し出せていたのなら、きっと仮面のとれた彼の素顔を拝めていたのだろう。
あの細っこい体のどこに犯罪者と向き合う覚悟と度胸があるのかは知らんが、あの灰色の瞳がぎらつく様を想像し、いつか一緒に仕事がしてみたいと思った。
組織犯罪対策部に身を置く時友名前と言えば、いくつもの噂が飛び交う存在だ。配属されてすぐに麻薬を密輸していた組織を壊滅させ、それに関わる裏の人間どもを一掃した話は警視庁にいる人間なら誰でも知ってるくらい有名な話だ。
妙に鋭い感性が的確に犯人を絞り込み、誰一人として逃がすことを許さない緻密な包囲網は強度を増すばかりだ。今や裏の世界でも彼を知らないものはいない。
それを彼はただのストレス発散だと言い切った。こんな面白い人間が警視庁にいたのなら、もっと早く会っておきたかったと、俺の中にある知的好奇心がくすぶられていく。
「新しい玩具を手に入れた悪い大人の顔をしてるぞ…」
「なんだハギ。嫉妬か?」
「はぁ?うーん………、まぁ、そうかもな。次に会ったときは無理矢理にでも視界に入って目を見返してやるさ」
「お前も大概人のこと言えねぇぞ?それ…」
「何がだ?」
「お前も充分、酔狂な奴ってことだ」
「ハハッ!違いねぇ!」
自分の知り得ないところで悪い大人と化した俺たちのことを彼はいつ気付くだろうか。
俺を見る目のところどころに懐かしむ視線を混ぜる彼を、人違いだと理解してる癖に誰かと重ねて見てる彼を、ことごとく否定してやろうじゃないか。
あのこは知らないだろうな
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