「爆弾の解体ィ?」
「そ。教えてやろうか?」

喫煙所として使っている屋上で鬱陶しそうに風に煽られる髪を抑える彼は、更に顔をしかめて俺の言葉の続きを待った。
爆発物の解体を専門とする俺の技術を彼になら教えてもいいと思えたのだ。実際、そう思ってある男にも教えてやったもんだ。飲み込みの早い奴だったからすぐに覚えてあっけなかった記憶もある。

「知ってて損はないだろう?」

フィルター越しに一息吸って紫煙を吐く。
一連の動作を見ていた彼が、ふいに視線を逸らして微妙な顔をした。

「別にいい」

返ってきた言葉はなんとも素っ気ないものだった。てっきり食い気味で教えてほしいと言うだろうと予想していた俺は、とんだ肩透かしをくらう。
彼、時友名前がどういう人間であるか、わかった気でいたことを少しだけ恥じた。彼は俺に、まだ本当の自分を見せてくれていない。ただ前よりも距離が近くなり、彼が度々俺の前に現れるものだから、そう思ってしまったに過ぎない。

初めて彼に会ったときに一方的に取り付けられた約束のようなものを、彼は後日ちゃんと果たしてくれた。
好きだと言った覚えのない強めの辛口である一升瓶を持ち、俺の配属先へと姿を現したときはその場にいた誰もが驚いたことだろう。

二人で彼の持ってきた酒を彼が用意した店で酌み交わした。純和風の部屋からは中庭に作られた枯山水を独り占めできる作りになっており、ふわりと香る畳の匂いですらもその部屋を作り出す一部となっていた。
部屋について早々着替えてくると言って席を外した彼を待っている間に、その店の女将が来て机の上に料理を盛り付けていく。その品々が妙に時代を感じる、と思った矢先、彼が深緑の着物を身にまとい帰ってきた。
高く結っていた髪をおろし、緩く三つ編みにしたそれを右肩から垂らしていた。彼の独特な灰白色の髪が、深緑の色に映えてとても美しかった。
いつものジャージとTシャツ姿を見慣れていた所為か、酷く違和感があったものの、彼の一つ一つの動きが着物を着慣れた者がする所作だということに気付き、違和感は納得へと変わった。
女将と軽い挨拶をし、彼は人払いを頼んだ。それを笑って了承した女将は「ごゆっくり」と一礼し、俺と彼の時間が終わるまで誰一人として姿を現すことはなかった。

結論から言うに、彼は俺を通して別の誰かを重ねていた。
別人だとわかりきっているはずなのに、俺の話し方や過去、動作、全ての行動に別の誰かと重なる部分を彼は探していたのだろう。
小さなそれを見つけては目を細めて嬉しそうに笑う。懐かしむように俺を見ては時折悲しそうに目を伏せる。
彼の茶番に付き合わされているんだと、早々に気付いた俺だったが、最後まで彼に名前を呼ばれることがなかったと気付いたのは彼と別れてからだった。
不思議と怒る気にはなれなかった。逆に興味が沸いた。何故そこまでして俺と誰かを重ねたがるのか。その存在は彼にとってどういうものだったのか。

けれど、それを口にしようとは思わなかった。口にした途端、彼は二度と俺に近寄らない気がしたからだ。まだ彼という異質な存在を無下に手放したくなかったのだ。余計なことは言わないし聞かない。
賢い彼のことだ。俺がそう思っていることを知りつつも、自分の欲望を満たすために俺へと歩み寄るのだろう。

すくってやりたいと思った。どちらの意味かと問われれば、両方の意味だと答えただろう。
だからだろうか。傲慢になりかけていた俺の意識を、彼は見事に打ち砕いた。ただそこには、彼なりの意志があったのだけれど。

「確かに、そういうのは知ってて損はないと思うが。でもそれはおれが手を出すべきことじゃない」
「どういうことだ?」
「おれにはおれの役割がある。お前にはお前の役割がある。おれはお前の役割を奪ってまで覚えるべきことじゃないと言ったんだ」
「そんな大層なことかよ」
「適材適所ってやつさ。その線を簡単に踏み越えようとは思わんさ」
「………」
「お前のことだ。おれになら教えてもいいと思ってくれたんだろう。それは素直に嬉しいことだし有難く教えをご教授されたいもんだ。だけどな、おれは大事にしたい。お前にしかできないこと、おれにしかできないことを。補い、支え合う。それが仲間の在り方だと思ってるからこそ、お前の領分を奪いたくないんだよ」
「仲間、ね」
「だからさ、死んでくれるなよ?おれには爆弾の解体なんて出来ないんだから。お前の代わりはいないんだ。おれもやっと、区別できるようになってきたんだからさ」

それを無駄にしてくれるな、と。彼は言った。
俺は咥えていた煙草を思わず落としてしまった。一本目を吸い終わり、二本目へと火をつけたばっかりだというのに。
彼の言わんとしてることがわかった気がした。区別ができるようになったと、彼は言った。それは俺が散々痛感していたことに対し、彼は自分の中で踏ん切りをつけ始めていたのだと知った。

「いつもごめんな…でも多分、もうすぐだからさ」

その時は本当に近いのだろう。彼が俺を射抜く視線が、ちゃんと俺という存在を認めているような目だった。
重なっているようでずっと重ならないお互いの視線が、初めて交えた錯覚に陥る。

「その時になったらまた、あの店で飲もう。今度はお前の好きな酒を教えてくれ。そしたらおれの好きな酒もお前に教えてやるからさ」

小さく、けれど確かに開いた穴があった。それを開けたのは彼だ。そしてそれを閉じるのも彼だ。
もう僅かに閉じかけているその穴は、その時が来たら完全に閉じるのだろう。ならば今は、僅かに開いた隙間からこぼれ出る空気を感じながらのんびり待とうじゃないか。
出会ってからそんなに月日は経ってないはずなのに、もう随分待ったような気がしてならない。あまりにも遅いと、今度は遠慮なんかしてやらない。いつまで待たせる気だ、と、無遠慮に近づいて強引にでも閉じさせてやる。

「あぁそうだ。さっきの話だが」
「ん?」
「解体のことはお前に任せるが、爆発物が存在するかどうかを見分けるために、匂いだけ提供してくれないか?」
「匂い?」
「この鼻で覚えてやるよ。あるのがわかれば、後はお前に任せればいいだけの話だからな」

そう言って笑った彼を見て、思い出した。
いつだったか萩原が言っていた。彼が有名な理由の一つに、犬をも凌ぐ嗅覚を持っていると。

「簡単に言ってくれるぜ。何種類あると思ってんだ」
「なに。それが百だろうが千だろうが覚え切れる自信があるのだから、何も問題ないだろう」
「その自信、どっからくるんだか…」
「遥か昔から培ってきた経験の賜物さ」

彼の言葉に含まれる年月の長さが、もっとずっと遠い場所を示しているような気がした。
同じ時代を生きているはずなのに、どこか浮世離れしここじゃない場所へ思いを馳せる彼に、何が何でも現実に繋ぎ止めておきたいと思った俺はおかしいのだろうか。

死んでくれるなと言った彼の言葉に嘘がないのなら、爆弾なんてものを使う悪い奴らの餌食になんかなってやるもんかと。この道を行くと決めた当時の覚悟を再び思い出して胸が熱くなった。
三本目の煙草を取り出して火をつける傍らで、屋上に吹く強い風が拾い忘れた二本目を吹き飛ばしていった。



剥き出しの心に触れさえしない

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