※現代からのトリップ主
「あれ?また来たの?」
「んー」
本日の桃の収穫を終えて家へ帰ると、もう最近じゃすっかり見慣れた彼が家主以上にくつろいでいた。
修行なんてそっちのけでこの家に入り浸っている彼の様子を元さんは知っているはずなのに、何のお咎めもないなんて不思議だ。
「お茶でも飲む?」
「んー」
「?」
上の空で返事をする彼を振り返ると、ハンモックに揺られながら何かを考えているのか、遠くを見つめている。さては元さんに怒られたな、と思案するも、それくらいでしょげる人ではないと思い直し振り出しに戻る。そんなことを考えながら手元では先日作った桃の葉紅茶の準備を進めていた。
太ちゃんから伝授された技術と燃燈くんにしごかれて身に着けた術を用いてわたしは自分が育てた桃を品種改良し様々な製品化を試行錯誤していた。その一つとしてこの桃の葉紅茶ができたのだ。
うっすらと記憶に残る向こうの世界の物をなんとかこの世界でも作れないかと奮闘してできた力作だ。そうやってできたわたしの試作品は結構ウケがいい。
こぽこぽと沸騰されたお湯で葉を蒸らし、ふわりと漂う優しい桃の匂いを堪能していると、いつの間にか隣に来ていたのか彼がわたしの手元を覗きこんでいた。
「うわ!びっくりした!」
「いい匂いがするのう」
「いつの間にそこにいたの…」
「これもお主が作った試作品か?」
「シカト?ねぇ?シカトなの?」
「早く飲みたいのう」
音もなく隣にやってきたかと思えば、くるりと踵を返して今度はソファーへと寝転がる。ほんと、なんなんだ。
わたしの質問には一切答えずだらだらと紅茶ができるのを待っている彼に、やはり元さんからお叱りを受けたんではないだろうかとなくしたはずの考えを呼び起こした。
二人分の湯飲みに出来上がった紅茶を注ぎ、お盆に乗せて彼の元へと運ぶ。ソファーの前に置かれた机にお盆を置き、ソファーを背もたれにして座ったわたしを横目で見た彼は無言で湯飲みに手を伸ばした。
わたしはそれを視界の端に収めながらちょびちょびと口を付ける。個人的にはもう少し甘いほうが好きだなぁと思ったので次回は桃の実を乾燥させて混ぜ合わせようかと考える。今は手っ取り早く甘さを足すために角砂糖を取りに行こうとしたときだった。
「しばらく、ここには来れんようになった」
「へっ?」
彼がポツリと、ようやくわたしへと言葉を投げかけた。
それは想像をはるかに超えるようで、なんだそんなものかと妙に納得するような話だった。
「その理由を聞いても?」
「…封神計画というものを元始天尊様から持ち掛けられてな。仙道のいない人間界を作りたいというわしの願いも込められておる」
「ということは、人間界へ降りるんだね」
「うむ。だから、ここでこうしてゆっくり過ごせるのも今日が最後かもしれんのう」
「明日には降りるんだ?」
「そうしようと思う」
「そっかぁ…」
角砂糖を取りに行くことは諦めて、わたしは彼の話に耳を傾けた。
彼が元さんから受けたのはお叱りでもなんでもなく、壮大な物語の始まりを予期させるには十分な代物だった。
あまり自分のことを話さない彼だから、彼がどういう経緯で仙人界へ来てどういう野望を持っていたのかは今もなお知らない。仙道のいない人間界を作りたいって思っていたこともさっき初めて知ったくらいだ。
聞くこともしなかった。きっと聞いたら答えてくれたかもしれないけれど、聞いたところで、というのが本音だった。
「…それだけか?」
「えっ?なにが?」
「案外、薄情な奴よのう。言い出しづらかったわしがアホみたいではないか」
「なんで言い出しづらかったの?」
「………」
それっきり少しふてくされたように口を閉ざした彼に、わたしは本当のことを言おうかどうか迷った。
けれど彼が今日が最後だなんて大袈裟なことを言うもんだから、仕方なくその思惑に乗っかってやろうかと思う。
「太公望が何を思ってそれを打ち明けてくれたのかはわからないけれど、それを聞いて何も思わないわたしじゃないよ」
「………」
「人間界に降りてしまうってことは、きっと今以上に会えなくなるってことでしょ?家に帰ると勝手に上がってわたし以上にくつろぐ姿を見れなくなるし、わたしの試作品を一番最初に口にしてくれることもなくなるし、仙桃の出来の良し悪しを教えてくれることもなくなるし…。寂しくなることしか浮かばないよ」
「………」
「でもわたしが寂しいと言ったとして、人間界へ降りることをやめる人じゃないってわたしは知ってるよ。わたしは太公望の進む道を邪魔したいわけじゃなくて、できることなら行ってらっしゃいって気持ちよく見送りしたいし、太公望のために背中を押してあげたいと思ってるよ」
わたしがいるこの場所は仙人界でも数人しか知らない場所で、わたしの存在すらもあまり公表されてないのだ。その理由を彼は知らない。聞いてこないからわたしも教えてない。
だから彼がこうして頻繁に顔を出すようになって、情も芽生えるどころか誰かと過ごす時間の幸福さを甘んじて受け入れてしまったのだ。
それが唐突になくなってしまうことに慣れていかなければいけない。時間はかかるだろうけど、それで彼が負い目なく旅立てるのなら笑って送り出したいと思う。
「太公望が言ったんだよ?人にはそれぞれの悲しみ方があるって。自分だけが辛いんじゃないって」
「…言ったのう」
「なら、わたしたちも、そういうことでしょ?」
「うむ…」
わたしの言いたいこと、伝わっただろうか。
賢い彼のことだから、ちゃんと汲み取ってくれていると思うけれど。
そうだ、とおもむろに立ち上がって席を外したわたしは、仙桃を保管している部屋へと向かった。
太公望対策としてわたしにしか解除できない施錠を施した部屋へ行く様子を怪訝な顔で見送っていた彼が、腕いっぱいに仙桃を抱えて戻ってきたわたしを見て目を輝かせた。
「そっ!それはっ!」
「人間界へ降りる太公望にわたしから餞別。何があるかわからないからね。たくさん持って行っていいよ!」
「名前っ!いいのか!?」
「いいよ。大切な友達のためだもん」
「!」
顔を綻ばせて仙桃を取ろうと手を伸ばした彼が、ピタリと動きを止めた。
その反応に首を傾げたわたしに、彼も少し首を傾げた。
「なに?」
「いや、なんか…」
「虫でもついてた?」
「そういうわけじゃなくて…」
「じゃあなに?」
「なんか、引っかかった…」
「え!蜘蛛の巣!?家の中にやられてた!?」
「そういうわけでもないわっ!」
「じゃあなんなの…」
「んー…」
「仙桃いらないんだね?」
「それはいる」
「いるんかい」
訝し気な顔で、それでもしっかりと仙桃を受け取る姿に、この桃オタクめ、と内心で悪態つく。
何が引っかかったのか、わたしも彼もわからないままだったけれど、今はそんなことどうだっていい。
少しでもこの時間を楽しんでくれるのなら、わたしと過ごす時間を大切にしてくれるのなら、心の底から太公望の夢を応援しようと思えた。
「そろそろ行くかのう」
「お土産は持った?」
「おう!」
「忘れ物はない?」
「多分な」
「次会うまでにわたしも腕を磨いておくね。味が落ちたなんて言わせないから」
「うむ!楽しみだのう〜!」
「それって桃の出来だけでしょ」
「ちっ違うわい!」
玄関まで見送りに行くわたしに、ここまでで良い、と言って振り返る。外はすっかり夜の帳が下りて満点の星空が広がっていた。まるで彼の冒険の始まりを援護するように星々が輝いていた。
まだ何かを言いたそうにこちらを見る彼に、別に今生の別れじゃないんだからと言いそうになってぐっとこらえた。
「あー…んー…、なんて言うべきか…」
「なにが?」
「別れの挨拶は違う気がするし、かと言っていつものように帰るには軽すぎるし…」
「太公望って変なところで細かいね」
「む。それは悪口か?」
「まぁ褒めてはないかな。貶してもないけど。ただの感想」
「ただの感想…」
一生会えなくなるわけじゃないけれど、挨拶一つを大事にしてくれる彼のそういうところには好感が持てる。
わたしは彼のことを大切な友達と思っているけれど、それを敢えて口に出すことは少ない。さっきは勢い余って言ってしまったが…。ただ彼も、少なからずそういう風に思っていてくれたら嬉しいと思う。
うだうだ踏ん切りつかなく悩んでる彼を見て、わたしの心はなんだかくすぐったくなった。
「太公望。ん!」
「ん?」
両手を広げて彼を見ると、ぽかんとした表情で見つめ返してくる。どうやら意味が伝わってないらしい。
ここの文化にはこういう形式の挨拶はないのだろう。そりゃそうだ。文明も世界も何もかもが違うのだから。
「これは、こうするんだよ」
ぐっと彼に近づいて、いまだにぽかんと呆けた顔をしている彼の両腕の内側に自分の両腕をすべらせて抱きしめた。
お互いの間にあった空気が一斉に逃げていき、衣服と衣服が隙間なく密着する。わたしとそんなに身長の変わらない彼の、少し上のほうにある肩先に顔を寄せた。着痩せするタイプなのか、想像していたより彼の体は薄く、細いなぁと思った。
突然のわたしの行動にビクリと体を揺らした彼は、酷く焦りを含んだ声色でわたわたと暴れ出す。
「おおお、お主!?何をしておるっ!?」
「これはハグって言って挨拶の一種だよ。行ってらっしゃいとまたねを重ねて。言葉で言い表せないなら、これでいいんじゃないかなって思って」
「いや!しかしだな!これはそのっ、色々とまずいというか!ある意味問題が!」
「太公望。わたしが寂しいと感じる気持ちの半分でもいいから、太公望もそう思ってくれてると嬉しい。人間界に降りたらきっと、今感じてる寂しさを引きずる暇なんかないだろうし、わたしのことなんかあっけなく忘れちゃうくらい新しい出会いがたくさんあると思う。でもそれでいい。あなたはあなたの信じる道を行けばいい。そこに犠牲があろうが、別れがあろうが、決して立ち止まらず突き進んでいくのが太公望だと思うから。だけどね、もし、どうしようもないくらい辛いことがあったときは、思い出して。ここに戻っておいでよ。太公望が元気になるまでいくらでも付き合ってあげる。わたしにはそんなことくらいしか出来ないからさ」
「名前…」
「伝えたいことがまだまだいっぱいあるんだけど、ごめん。うまく言葉に出来ないや。それも全部、これで伝わればいいのになぁって…」
ぎゅうっとしがみつくように彼の体を包み込んだ。
行ってほしくない。ここにいて。ずっとこの時間が続いてほしい。今日が最後だなんて言わないで。わたしのこと忘れないで。きっとまた会えるよね?会いに来てくれるよね?
彼を困らせるような言葉ばかりが出そうになって、寸のところで押し殺すように飲み込んだ。彼の服から香る桃の匂いを肺の奥まで吸い込むと目頭が熱くなって鼻の奥がツンとした。あぁ今はダメ。まだ泣いちゃダメ。ここで泣くとわたしのちっぽけな努力が全てが水の泡になる。
しばらく無言を貫いていた彼は、ゆっくりとわたしの背に同じように両腕を回してくれた。
「お主は本当に、わしを掻き乱すのがうまいのう」
「そんなことしてないし」
「気付いておらぬだけだ」
「………そう、かな」
「わしも、まだお主に言いたい事がたくさんあるが…うまく言葉にならぬ…」
「ふふ、一緒だね」
思わず笑った瞬間、目尻から一筋涙が落ちていった。それはじわりと彼の服の色を変えたけれどこれっぽっちじゃ素肌にも届かない。彼がわかるはずもない。
「元気でね。太公望」
彼の返事を聞く前に、強制的に彼をこの空間から崑崙山へと送り出した。
どさくさに紛れて彼の足元に作った転移の印を発動させたのだ。
あんなにも密着していたというのに、ぽっかりと彼がいなくなった空間が急激に虚しくなった。我慢していた涙はもう、せき止めきれずに溢れていたけれど、彼がそんなわたしを見ることなく行けたのであれば何も言うことはない。
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