西谷との口論があってから、なんだか部活に行くこともバレーをすることも怖くなった。スガも大地も俺に気をつかって話しかけてくれるし、部活に来いよって誘ってはくれるけど強制はしない。それがなんだか腹立たしくもあり、悲しくもあった。本当に自分勝手な感情だ。

西谷とも、顔を合わさなくなった。西谷の自宅謹慎があったからじゃない。それが終わっても会わないようにしていたのは俺だ。そうやって周りが俺を腫物のように扱うなか、久しぶりに見た彼だけは違った。

「あ」

放課後、今日も体育館へと続く道を見送って下駄箱へ行く途中、前から来ていた彼と目が合った。
向こうも俺に気付いて先程の声を上げたのだけれど、その次の言葉を聞く前に俺が視線を逸らし体ごと下駄箱の奥へ引っ込ませてなかったことにしてしまった。
そういう行動をしようと思ってしたわけじゃない。もう反射的にしてしまった瞬間やっちまったって思ったし、でもそれを冗談として振る舞うこともできなかった。

今のこんな弱い俺は彼の目にはどう映ったんだろうか。その答えを聞くのが酷く怖くて、今すぐここから去るために下駄箱の扉を開けたときだった。俺の行く手を阻むようにぐい、と力強く腕が引かれた。

「うお!?」

咄嗟に振り向いたそこには俺を睨みつける彼がいた。
え、顔怖っ!ただでさえヤンキーっぽい見た目をしている彼の睨みを利かせた表情が凄みを増している。大地とはまた違った鬼の形相だ。

「おいコラ、なにシカトこいてんだ。目ぇ合ったろが!」
「え」
「普通挨拶するだろ!なになかったことにしようとしてんだてめぇ。ふざけんな!」
「え!?え!?」
「挨拶ってのは基本中の基本だろうが。そんなんでお前社会に出たらやってけねーからな!気付きませんでしたは言い訳にはならねぇぞ!」
「え…名字、だよね?なんかキャラ違くない?」
「は!?勝手に話変えてんじゃねーよ!おれは今怒ってんの!てめぇが!シカトこいたから!おれ"あ"っつったよな?聞こえたよな?な?」
「あ、うん…ごめんね?」
「次やったらマジ殴るから」
「え。あ、はい…本当すみません、でした…」
「ん」
「………、名字だよね?」
「あ」

今まで散々怒鳴っていた彼だけど、何かに気付いた瞬間やっちまった…、と小声で言った彼は誰が見てもわかるくらい引きつった顔をして俺の腕を離した。
そしてあからさまに目を泳がせて、気まずそうに言いよどんだあげく、彼が放った言葉は俺を笑わせるには充分な台詞だった。

「あー…えっと…、ひ、久しぶり〜!げ、元気してた〜?」
「ぶっ!あっはっはっは!さっき散々俺に怒鳴り散らした威勢はどこいったんだよ!ぶはっ!」
「ああああれは!忘れてくれぇぇぇ!っていうかマジごめん!おれほんとなにやってんだって感じだよな!チームメイトとはいえ年上に向かって!ほんとごめん!!」
「はははっ!なんか久々に腹痛い!」
「あーもう最悪…」
「なに?名字ってば実は俺のことてめぇって言ってたの?」
「言ってねぇよ!」
「ふはっ!名字とこんなにフランクに話すなんて変な感じだなぁ」
「あ!やばっ!大地に怒られる!」
「いやでもたまに俺とかスガにもそういう話し方してたけど?あれってもしかして無意識?」
「え。まじか。ホントすまん」
「名字って敬語取ると一気に雰囲気変わるなぁ。年下なはずなのに俺より年上みたいだ」
「!、あはは!じょ、ジョーダンキッツイワー」
「なんで棒読み?」

しばらく下駄箱で突っ立ったまま笑い合っていたけれど、一区切りついてシンとなる。そうして彼が「んじゃ行くかー」と言った瞬間、さっきまでの楽しかった時間が一変した。
自分の顔から笑顔が消える感覚がわかるくらい、気持ちが一気に底辺へと沈んでいった。ぴたり、と止まった体に、彼の不思議そうな視線が射抜く。
どくどくと鼓動が早くなって”体育館へは行かない”その一言が鉛のように重くて喉から出ない。早くそれを彼に伝えなければ、そう思えば思うほど言葉はずっと引っかかるばかりだった。そんな俺を見かねてか、彼の方が先に口を開いた。

「なにしてんの?帰らねーの?」
「…っ、え?」
「え?って、なんだよ。早く帰ろうぜー。あと腹減ったからなんか食いたい。ラーメンとか」
「え?え?ちょ、名字!」
「なに?」
「なにって、お前…部活…」
「あれ?旭くん聞いてねーの?」
「え?なにが?」
「おれ、一ヶ月部活禁止なんだわ。だから放課後はもう帰るだけー」
「え…」
「んじゃおれ靴取ってくるわ」

そう言った彼はそれ以上なにも追及することなく自分の靴を取りに向かった。その背中を呆然と見つめながら、彼に聞きたいことが頭の中で一気に溢れ出した。
部活禁止ってなに?一ヶ月ってどういうこと?西谷と同じそれを、なんでお前もやってるんだよ。なんで、何も言ってこない?なんで俺を責めない?なんで、いつも以上の姿を俺に見せるんだよ。

彼の作り出す距離感や空気感が、良い意味でも悪い意味でも心地よくて勘違いしそうになる。許された気持ちになる。

「名字」
「んー」
「ラーメン食いに行くか」
「え!まじで!やったー!いこいこ!もう腹減りすぎて死にそう!」
「どこがいい?希望ある?」
「醤油とんこつ食えるとこ!」
「お!ナイスセレクト!うーん、じゃああそこかなぁ」
「やった!ラーメン!ラーメン!」

俺の少し前を嬉しそうに歩く彼に、自然と笑みがこぼれる。
こうしてると普通の後輩に見えるのに、さっきの威圧感といい、時折見せる彼の顔は全然後輩らしくない。それは俺だけじゃなくてスガも同じことを言っていた気がする。大地は一緒に居すぎてもう慣れたから気にしてないって言ってたっけなぁ。

不思議な後輩だと思う。そういうの含めて全部、先輩のような後輩だと思った。いつだったか彼が一年生のときに大地が言った"賢いバカ"っていう異名を思い出して全くその通りだと改めて思った。

彼が何も言わないことをいいことに、今だけはまだぬるま湯に浸っていたいんだ。いつかそこから這い上がるのか沈みゆくのか。俺次第の選択肢にもう一つだけ加えるとしたら、彼が引っ張り上げてくれることを追加したいと思った。

沈みゆく潜水艦

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